177.閑話休題
視察が無事(?)に終わり、着替えと髪の色を元に戻すためにホテルに戻った。
キキは普通に機嫌良さそうだったのにメロとユウリはいまいち。髪の毛を元に戻すのも時間かかっちゃうのにキキは嫌そうな顔ひとつせずに、というかむしろ「喜んで!」というくらいの勢いで準備を進めてくれる。
それがとても不思議で、キキと二人きりの部屋で聞いてみた。
「何か良いことあったの?」
「そういうわけでは……あ! でも、美味しいケーキを食べました。したことがない贅沢だったので、そのせいかもしれません」
「ケーキだけ? もっと色々頼んでも良かったのよ」
「二人と一緒にピザも食べました」
……。もっと思い切り贅沢しちゃえばよかったのに! と、思ったけど思うだけにしておいた。
『前世の私』が突然こんなホテルに放り込まれて「好きなものを頼んで良い」と言われても多分同じレベルのことしかできないわ。お金のことなんて気にせずに、と言えるのはあたしがお金を使い慣れてるからなのよね。しかも際限なく。普通は上限があると思うだろうし、「自分の立場でこんな高いもの……!」と慄くのは別におかしな反応じゃない。
あたしが適当に頼んで部屋に運ぶように言えばよかったのかも。
次の機会があればそうしよう。あれば、だけど。
「メロとユウリはどうしてた? 気疲れしちゃったのかしらね、あの様子だと」
二人のことを尋ねてみると、キキはきょとんとした顔をした。それから、視線をあたしから外して、目を瞑るように言う。メイクを落として、やり直してもらってる最中。
キキはあたしの肌の上に指先をすべらせて下地を塗り直している。
「まぁ、そんなところです。……あの、ロゼリア様」
「……なぁに?」
慣れた手つきで下地を塗り、ファンデーションを乗せていく。
昔はちょっとでも触り方が気に入らなかったり、ムラがあったりすると問答無用で怒っていたのよね。今となっては何をそうピリピリしていたのかよく思い出せない。難癖をつけたかっただけのような気がする。今は──もちろん綺麗に仕上げて欲しいけど、あたし自身のコンディションがあるし、今日は既にメイク二回目だから肌も疲れてるだろうなって予想がつく。
あとはもう帰るだけだから、ほどほどのメイクで良い。というのは、既に伝えている。
メイク中にキキとこうやって会話をするのも以前じゃ考えられなかった。やや控えめな呼びかけに、一瞬だけ遅れて返事をする。
「あの、答えたくなかったら無視をしていただいて構わないのですが……」
「? とりあえず聞くわ」
「は、はい。ありがとう、ございます。……ロゼリア様は、将来のことってどうお考えですか?」
「将来……?」
変な反応をしてしまった。急に聞かれてびっくりしたというか。
前に一度ユウリに将来の相手のことに言及されたことがあるのと、ユキヤにこの件が終わったらやりたいことを話したくらい。
そして、今キキが聞いているのはそういうことじゃない。キキが美容の専門学校行くように、あたしがどういう道を歩むのか歩みたいと思っているかってことを聞いてるのよね。
「どう、って……今は特に考えてないわ」
「そうですか……」
「というか目の前の問題を片付けたいもの」
キキには詳しいことは話してない。とは言え、こうやって一部手伝わせてるから何となく察しているとは思う。与えた情報以上に深く聞いてきたり、今日の変装のこともあまり詳しくは聞いて来ないのがキキのいいところ。
だから、目の前の問題についてはきっと聞いてこない。キキの聞きたいこととは直結しないしね。
「目の前の問題が片付いたら……?」
「とりあえずゆっくりする。あと買い物に行ったりするわ」
「……その後は?」
「全然考えてないわ」
これは本当に正直なところ。ぼんやりと今の環境から逃げるために海外に行っちゃおうかなとは考えてるけど、これは流石に話さないわ。
キキは少し黙る。「失礼します」と言い、あたしの顔を少しだけ上向かせた。
「例えば……ガロ様にパーティーや顔合わせの場に誘われたら、どう致しますか?」
「……。そうねぇ……伯父様がどうしても、って言うなら参加するわ」
なるほど、そういう可能性もあるわね。合点がいったので素直に頷く。
伯父様は他会主催のパーティーや顔合わせの場にあたしを連れて行くのは極稀だった。なんせ評判が悪いから、周りに止められてたんだと思う。でもあたしだって流石に弁えてたから、そういう場ではよそ行きの顔をしてたのよ。大人しくニコニコしてたわ。
まぁ、とは言え、そういう付け焼き刃の外面では評判を打ち消せなかったのよね。だから、伯父様の周りの人間……式見とかが先方から指定されない限りは連れて行かないように言われてたに違いない。
姪っ子が変わったので見て、って感じであちこち連れて行かれる可能性は確かにある。
面倒だけど、今答えた通り、伯父様が「どうしても」と言うなら着いていく。一応義務というか……?
キキの指先が瞼を撫でる。アイシャドウ、何色かしら。
「ロゼリア様は……」
「ええ、何? 答えるかどうかはさておき、聞いてもいいわよ」
躊躇いがちなキキのセリフにちょっと笑いながら先を促す。
そりゃ聞いていいか迷うわよね、こんな話。
「九龍会の後継者に、ご興味は……」
「ないわ」
きっぱりはっきりと答えた。多分キキが本当に聞きたかったのはこの話だろう。
答えを聞いたキキはあたしがあまりにはっきりと言うものだから驚いた顔をしていた。
以前はね、あたし以外に近い血縁がいないこともあって「当然あたしでしょ?」くらいの気持ちだったのに今ではさっぱり興味がなくなっている。金はともかくとして、権利や地位って堅苦しいわ。
誰かが継がなきゃいけないのはわかってる。
基本的に直系血族、そうでなかったら傍系血族って感じでとにかく血の繋がりを重視した継承なのもわかってる。
けど。だけど、今となっては「あたしじゃなくてもよくない?」って思ってる。
他会では血族完全無視で現会長の完全指名制という継承の仕方もあるし、事前に候補を養子にした上で継承って話しも聞くし!
やる気と能力がある人がやって欲しい。あたしはどっちも足りてない。
今の南地区の問題だけでもそれが痛いくらいにわかる。特に能力のなさが浮き彫りになっていて、あたしの言うことを聞いて奔走してくれてるジェイルとユキヤには申し訳ない気持ちすらある。
「ガロ様が指名しても、ですか?」
「それは……ないんじゃない? まぁ、あんたの質問に答えるとしたら、指名されても拒否したいわね」
指名という言葉に少し笑いが零れる。なんだかんだで伯父様はちゃんと見てるからないでしょうね。
能力が足りないとか、そういう話は一切するつもりはなかった。自分を卑下するのはあたしらしくないし、あんまりそういうこと言ってるとカッコ悪いし? あくまで「その気がない」って話にしておきたい。
「……意外でした。最近のロゼリア様はてっきり──」
「ああ、そのために色々と動いてるのかも、って? そうじゃなくて、身辺を綺麗にしたいだけよ」
「えっ」
「変な意味じゃなくて、ただ色々と思うところがあったってだけ」
しまった。変な言い方しちゃった。キキが驚いた顔をしている。
それはそれとして、メイクはほぼ完成したっぽい。目の前の鏡を見て仕上がりを確認する。
「ナチュラルでいい感じね。ありがとう。やっぱりキキに任せるのが一番だわ」
「いえ、そんな……お疲れ様でした。あの、」
「キキ。さっきの言葉はあんまり気にしないで。大した意味はないわ」
そう言ってにっこり笑って見せる。キキはそれ以上は何も聞いてこなかった。
危ない危ない。先のことを話す時は言葉選びに気をつけなきゃ。
そして。
着替えを終えて、少しホテルでのんびりしてから椿邸に戻るのだった。




