17.罪滅ぼし、のようなもの
「ユウリ」
夕方。庭の掃除をしているユウリを見つけて話しかける。
ユウリは面白いくらいにびくっと肩を震わせて、箒をぎゅっと握りしめていつものように子犬のような視線をあたしに向けてきた。
……この視線が問題なんだけど、そうさせてるのはあたしなのよね。
「今ちょっといい?」
「え、あ、はい。……なんでしょうか」
「ってよく考えたらあたしにそんなこと言われたら手を止める以外ないわよね……」
ユウリは黙り込んだ。
あたしがこんなこと言ってもしょうがないのに口から出ちゃった。
「昼間の話なんだけど」
「……昼間の?」
「そう、勉強しない? って話」
そう切り出すとユウリはきょとんとしてしまった。
何を言われたのかわからないって顔をして、あたしをまじまじと見つめてくる。
「……べん、きょう……ぅえ、えぇっ?!」
理解した瞬間、変な声を上げて手に持った箒を取り落としていた。
……そんなに驚く?
あたしは今日勉強について色々言ったと思うんだけど……って、まぁ本気にされてなかったってことよね。これまでのことを考えると本気にされないのも当然か。
でも、ユウリをこのままにはしておけない。
アリスに会って二人で逃げるのは構わないし何なら応援するけど、あたしを殺してから二人で逃げようって流れになってもらっちゃ困るのよ。
「そうよ、勉強。普通に学校や塾に通ってもいいし、家庭教師を呼んでもいいし、通信教育でもいいし……」
「あっ、あああの、ほ、本気、だったのですか……?」
「? ええ、当然よ。あんただってメイドたちの手伝いばっかりじゃ手持ち無沙汰でしょ」
ユウリの扱いはペット。明確な仕事はなくて、あたしに呼ばれる時間以外は他の使用人の手伝いをしている。
これまではずっとあたしの傍にいるように言ってきた。けど、今は正直ユウリを巻き込んだり、南地区のことに関わらせる気はなくて、できれば距離を置きたい。
というのも、やっぱりユウリが絶妙にあたしの加虐心をくすぐるから。
ユウリを見ていると虐めて泣かせたい気持ちがどうしても沸き上がってしまって、今はまだそれを抑えられているけどいつまで自制心が続くのかわからない。だから、できる限り傍に置く時間を少なくしたい。
本気だというあたしの言葉にユウリは困った顔をする。
足元に落ちた箒を拾い上げながら、あたしのことを見つめたり視線を逸らしたり、落ち着かない様子を見せた。
「……別に今すぐ答えをくれなくていいわよ。決まったら教えて頂戴。……ああ、別に勉強じゃなくても、何かやりたいことや希望があれば教えて」
急すぎたのかも。
アリスに「本当は勉強がしたい」と本音を言うのだってルート分岐後だし、すぐに判断できることでもないのかもしれない。
また日を置いて確認してみよう。
そう思ってユウリに背を向けた。
「あの!」
後ろからユウリの声がして、あたしは振り返ってもう一度ユウリを見つめた。
ユウリは箒をぎゅっと握り締めてあたしをまっすぐ見つめている。
「何?」
「ロ、ゼリア、様。教えてください……どうして急に僕に勉強をしないかと仰るのですか? これまで、僕が勉強することに対して……その、あまりいい顔をされなかったのに……」
「その方がいいと思ったからよ。勿体ないって思ったの、今更だけどね」
何とも言えない顔をしている。
ユウリは一応は高校を卒業してるけど、あたしのせいであんまり勉強には身を入れられなかったと思う。本当なら成績優秀だったでしょうに、あたしよりもいい成績を取るのが許せなくて勉強の邪魔をしていた。
……今思うと本当に最悪なんだけど、当時はやっぱり「あたしにはその権利がある」って思ってた。
ユウリとメロとキキは伯父様があたしのために『用意』してくれた。
周りには年上ばかりしかいなかったし、同年代の親戚もいなくて、伯父様が「年の近い友人や付き人が必要だろう」って連れてきて今に至る。……お母様とお父様は思うところがあったみたいだけど、既に連れてきてしまった三人を返すなんてこともできず、三人に「ロゼリアのことをよろしく」って言ってたわ。
だから、昔から「三人はあたしの言うことを聞いて当然」って気持ちが強かった。
でも、ユウリの人生を食い潰していいわけじゃないのよね……。
本当に今更の話だわ。
「あんた、勉強好きよね?」
「……はい」
「本当はちゃんと勉強したいんでしょう?」
ユウリは答えなかった。やっぱり今すぐは答えが出なさそうだわ。
……やっぱりあたしが今更こんなこと言っても信用できないし、したくもないと思ってるのかも。好きなことをさせてあげたいと思っててもそうすぐうまく行くものでもなさそう。
メロだったら喜んであれこれ言ってきそうなのに。性格の違いね。
これ以上ユウリを見ているのも何となく辛くなって、あたしは顔を背ける。
待ってるから、と言い残して、ユウリの傍を離れた。
* * *
ユウリの元を離れたあたしはキキを探して、物干し場のある裏庭に来ていた。
「キキ」
「っ、は、はいっ!」
タオルなんかの洗濯物を取り込んでいるキキに声をかけると、ユウリと同じかそれ以上に驚いていた。びくっと全身を震わせて、取り込み途中のタオルを抱きしめている。
これまでのあたしの言動がこういう反応をさせているのよね。
「ちょっと聞きたいことがあるの」
「は、はい、なんでしょうか……?」
緊張した面持ちのキキを見つめて、ゆっくりと口を開いた。
「キキは何かやりたいことってある?」
「……やりたいこと、ですか……?」
「そう。……例えば、な、なんていうか……十分なお金があって、明日からどこへでも行ける、どこへでも行っていいってことになったら……どこへ行って何をする?」
キキがきょとんとする。何を聞かれているのかわからないって反応。
すごく情けないんだけど、上手な聞き方が思いつかない……。
あたしは罪滅ぼしをしたい、んだと思う。
ただ、これを本当に罪滅ぼしと言っていいのかも自信が持てなかった。根底にあるのが保身で、要はデッドエンドを回避するための行動で……身勝手だと言われたら、その通りだし否定ができない。
けれど、キキたちの悪いことをしてきたという自覚もある。
デッドエンドを回避したい気持ちと、悪いことをしてきたという自覚とが、まだ上手く消化できてない。
「……。……申し訳ございません。考えたことがありません」
「考えてみてくれない?」
「え?」
「それで、行きたいところややりたいことが見つかったら、教えて欲しいの」
「……。……は、はい、承知しました」
キキはわけがわからないという表情のままだったけど、一応頷いてくれた。
時間を置いてまた聞いてみよう。ユウリと同じで少し時間がかかるのかもしれないわ。
キキは攻略対象とは違って、ゲーム内でそういう本音みたいなものを聞くシーンはなかった。メロやユウリのルートだとアリスに協力的で色々と情報をくれたり、フォローをしてくれていたはず。幼馴染の手伝いをしようって気持ちだったのかな。
自室に戻ろうとしたところで別のメイドが「ロゼリア様、お電話です」と伝えに来てくれた。このタイミングだし、アキヲかしら。
* * *
早足に自室に戻ると、呑気な電子音の曲が聞こえてきた。保留のBGMね。
傍にいるジェイルに「アキヲ?」と聞くと静かに頷いた。あたしは椅子に座って受話器を取り、耳に当てて通話ボタンを押した。
「……もしもし? 待たせて悪かったわね」
『ロゼリア様、ご連絡を頂いたにも関わらず折り返しが遅くなってしまい申し訳ございません』
「いいのよ、あたしこそ急で悪かったわね」
あたしは受話器を少し離して音量を上げ、ジェイルにも聞こえるようにしながら話を続ける。ジェイルは「聞こえます」と言いたげに頷いた。
『それで、どのようなご用件だったでしょうか?』
「ええ、あなた計画のために色々準備してくれてたじゃない? 事情があったとは言え、計画を中止させたのはあたしだし、何か協力できないかと思ってね。……計画のために増やしてくれた商会をいくつか買い取りたいと思ってるんだけど、どうかしら?」
『えっ』
驚いた声が聞こえてくる。
勝手な想像だけど、アキヲは増やしたダミー商会の処理に困っている部分もあるはず。廃業させるにしても手間と金がかかるし、存続させておいても管理の問題もあるから……単純に考えれば悪い話ではないはずなのよね。
アキヲが妙なことを考えてなければ、だけど。
『……は。そう、ですね。手に余るのは確かなので、買い取って頂けるなら助かりますが……』
「そう、よかったわ。じゃあそういう方向で話を進めましょう」
『承知しました』
アキヲが計算をしているような雰囲気が伝わってくる。色々損得勘定をしているよう。
……ユキヤの言っていたように金や権力が欲しいってことなのね。ただ、アキヲが突き進んでいる道は地獄に一直線よ。本当ならあたしが歩くはずだった道をアキヲが率先して歩いているのは、何とも言えずに居心地が悪い。
ふう、と小さく息をついてから二つ目の話題を切り出した。
「ところで──……本当に計画は中止してくれた? 中止してくれるならある程度協力するけど……万が一、」
『……! ははは、まさか。ロゼリア様にあのようにご忠告を頂いたのに中止をしないなんてそんな真似は……』
息を呑む音が聞こえてきた。
ユキヤの情報通り、まだ諦めてないのね。あたし抜きにでも計画を進めて、そこから得られる金を全て自分のものにしようと考えているに違いない。確かにあたしの存在がなければアキヲが総取りだけど、あたしの援助や『九条ロゼリア』の名前がないときついはず……。
ただ、アキヲはそんな素振りは見せない。
「そう? 繰り返しになるけど、あたしは長生きしたいわ。……そこから先は何があっても責任は取れないわよ、あたしは」
長生きしたい。
これがあたしの本音だなんて、誰が思うのかしら。
『ええ、私もですよ。ロゼリア様。……長生きをしましょう、お互いに』
「本当にね。じゃあ、あたしが買い取れる商会のリストを送って頂戴」
『はい喜んで。数日以内にお送りいたします』
簡単に別れの挨拶をして電話を切る。
横に控えていたジェイルが手を差し出してきたので、受話器を手渡した。
「アキヲ様の性格ですと全ての商会は出してこないですね」
「当然ね。まぁ、ある程度目星がつけばいいわ……リストが来たらユキヤにも連絡して頂戴」
「承知しました」
うまく進めばいいんだけど、こればかりはゲームとは違って攻略情報もシステム的なヒントもないからどうにもならない。けど、ゲームの中のロゼリアとは違う道を歩んでいるはず、と自分に言い聞かせるしかなかった。
少なくともこの件が落ち着くまではジェイルとユキヤは信用していいのだから。メロは微妙だけど。




