167.十月一日⑥
ハルヒトとの昼食を終え、休憩の意味もあって私室に戻る。ちょっと食べすぎちゃった気がする……。
以前よりずっと食べ物が美味しく感じるようになったし、お酒も飲まなくなったから健康になってるんじゃないかしら。が、食べ物が美味しく感じるようになったせいで、ちょっと多く食べるようになって……しかも引きこもり状態だからちょっと体重が増えてしまった。そのうちダイエットしなきゃだわ。
私室に入り、あたしはそのまま奥にある金庫へと向かった。九条印やその他貴重品がしまわれてる金庫。
金庫の前にしゃがみ込み、そっとダイヤルを回して金庫を開ける。
ユキヤと契約してから開けてなくて、当然ながら九条印も使ってない。
中から九条印が入った箱を取り出し、膝の上に置く。
ユキヤがあの時来なかったらどうなってたんだろう。あたしなりに何とか突破口を探したと思うけど、どうなってたのかさっぱり想像がつかない。『たられば』の話をしてもしょうがないのはわかっていても考えてしまう。
前世の記憶を取り戻して、デッドエンド回避のために何とかしようと思い立ったこと。
ユキヤや周囲に対して決意と覚悟を見せるために九条印を使ったこと。
──それらが本来のゲームストーリーを歪めている。
時折、本当に歪めてもいいのか、ストーリー通りに悪女のままでいた方がいいんじゃないのかって考えたこともあるけど、やっぱりどうしたって死にたくなかった。
前世では無念すぎる死に方だったし、その先に待ってるはずの楽しいことが全部なくなった。決して今がその延長だと思ってるわけじゃない。前世は前世、今は今で切り分けて考えている、つもり。
あたしはあたしとして生きて、生き延びて……それなりに平和に暮らしたい。
以前みたいな悪いことはしないし、他人に酷いこともしない。
そして、周りのみんなは、できれば幸せになって欲しい。
ただ、ゲームでアリスとくっついた時みたいな幸せはないかもしれない。その上、その幸せにはあたしは関われない。そんな資格があるとは思えないし、どの面下げてって感じになるのよ。
アリスじゃないから、あたしはきっと誰のことも幸せにはできないわ。前世だって高校生で人生が終わり、今だって幼少時に両親を亡くして以来まともな人間関係なんて築いて来なかったから、まともな対人スキルが身についているとは思えない。
ゲームの中のアリスみたいに、誰かに寄り添ったり一緒に泣いてあげたりできないしね。
……そうなるともうお金しか出してあげられないのよ、あたしは。
しかもそのお金はあたしのじゃない。……さもしい人間よね。
箱を撫でながら、そんなことを考え、これまでを振り返っていた。
他人のことを考えながら行動してきたこともあるけど、基本は『自分が死なないため』なのよね。
利己的というか、本質的には変わってないのかも。ジェイルは我儘じゃないって言ってくれたけど……。
このまま突き進んで本当にデッドエンドが回避できるとは限らないし、お金で正解が買えるなら買いたいくらいだわ。けど、この件はお金で解決しても根本的な解決にならないから、あたしなりに色々考えて立ち回っている。
とにかく生き延びたい。死にたくない。
ぎゅっと箱を抱きしめて、ゆっくりと息を吸って吐いた。気を抜くと泣いてしまいそうだった。
「お嬢~、入っていいっスか?」
ノックとともにメロの雑な声が聞こえてきた。
あたしは金庫の中に九条印をしまい、ダイヤルを適当に回してから立ち上がる。
すう、はあ。と、もう一度しっかり深呼吸をする。飾り棚の上に置いてある鏡を覗き込み、変な顔をしてないことを確認してから振り返った。
「あたしが出るから部屋には入ってこないで」
「はーい」
隣の執務室なら入れられるけど、最近は私室に入られるのは抵抗があるのよね。なんでかしら。以前は結構メロとユウリを入れて色々と──いや、あんまり考えないでおこう。
メロを待たせることにさほど抵抗はないから、のんびりと扉へと向かった。
ガチャ、と中から扉を押し開ける。
メロだけじゃなく、ユウリもいた。二人の顔を交互に眺める。
「どうかした?」
「寝てたんスか? 食べてすぐ昼寝とかすると太るっスよ」
「──寝てたんじゃないのよ……」
イラッとしてメロを睨むとちょっと怯んでいた。横でユウリが呆れた顔をしている。
メロの前に腕を出してメロを後ろに下がらせつつ取り繕うような笑みを向けてきた。
「す、すみません。ちょっと時期は早いんですが秋薔薇が咲いていたので……庭の散歩でもしませんか?」
「散歩?」
「はい。庭師の方にいくつか持っていっていいと確認も取ったので、お部屋に飾る用の花を選べたらと……」
「ふーん」
どういう風の吹き回しなのかわかんないけど、とりあえず二人はあたしを散歩に誘いに来たらしい。意識的に体を動かさないと運動不足なのは確かよ。
見れば、メロは日傘、ユウリは園芸用鋏と花用の包装紙を持っていた。
特に散歩をして花を愛でるという気分でもないけど、まぁいいか。気分転換としてはいい案だわ。
「わかった。いいわよ」
「やった」
「では、行きましょう」
快諾すると二人は何故かすごく嬉しそうだった。なんで嬉しそうなのかはさっぱりわからない。ハルヒトじゃあるまいし、わざわざあたしと過ごす時間を作ろうとする発想も謎だわ。
メロとユウリ、二人について行く形で部屋を出て歩く。
気がつくと二人の間に収まっていて、メロもユウリもあたしの歩調に合わせて歩いていた。
「お嬢、お昼カレーだったんスよね」
「そうよ。あんたたちもカレーだったんでしょ」
カレーみたいな料理は賄も同じメニューなことが多い。賄事情は詳しくないけどね。
「カレーだと毎回ユウリのために甘口作ってくれる水田さんってマジ親切っスよね」
「別メニューよりも辛さを調節する方が簡単なんでしょ」
基本はあたしの好みに合わせて作られるからカレーだったら辛口。だけど、それだと食べられない人間が一定数いるから辛さを分けて作ってくれているらしい。実際、ハルヒトに出されたのは中辛だったしね。
ユウリはその話題を拗ねた顔をして聞いている。味覚の問題だから仕方ないのに、どうやら甘口しか食べられないという事実にコンプレックスがある様子。メロがちょっと馬鹿にしてるし……あたしも昔「ダッサ」って言っちゃったことがあるのよね。
ちょっとしたことで過去のことを思い出してしまって微妙な気持ちになる。なんであんなこと言っちゃったんだろうって悔いる気持ちが、多少なりとも。
「それに、辛いものを食べられたら偉いってわけでもないし。……ただの味覚の違いだわ」
フォローのつもりで言うと当のユウリは驚いた顔をしているし、メロはつまらなさそうな顔をした。
ユウリと肩がぶつかる。何かと思ったら、ユウリは嬉しそうな顔をしてあたしの顔を覗き込んできた。「えへへ」と笑っている。……そこまで喜ぶこと?
「ロゼリア様、今度僕のカレー食べますか?」
「え? ……まぁ、そうね。機会があればもらうわ」
「はい、ぜひ。甘口も美味しいんですよ」
あたしの好みとしては辛口なんだけど、という言葉をぐっとこらえて答える。以前の罪滅ぼしというか、それでユウリが多少なりとも満足するならって気持ちからの言葉だった。ユウリが嬉しいならそれでいいわ。
反対に今度はメロが拗ねたような顔をしている。
「水田さんの腕がイイだけだっつーの」
「……メロ、あんたちょっと舌がおかしいから刺激物は控えなさい」
「えっ」
拗ねたメロにツッコミを入れると驚いた顔をしていた。ユウリがあたしの言葉に頷いている。
「え。えー? 辛いのが好きなだけなんスけど」
「あんたが食べる辛いものって目にくるのよ」
「本当にね」
あたしとユウリの呆れ声にメロは戸惑っていた。そこまでとは思ってなかったらしい。
甘口が限界なユウリよりも全然問題がある味覚をしていると思うわ、メロって。
二人の表情を見て、ふと我に返る。
……以前だったらこんな風に気軽に話をしながら歩くなんてこともなかったなぁと思いながら屋敷を出た。




