166.十月一日⑤
ハルヒトが言っていた通り、昼食はカレーライスだった。
あたしが食べたことがないような特殊なカレーをリクエストしたんじゃ、ってちょっと心配してたけど普通のカレーだった。
ご飯は雑穀米で、じっくり煮込まれたカレールーの上に素揚げ野菜が乗っている。確か夏も似たようなのが出てきたなと思ってたけど、野菜の種類が結構違う。今日は秋野菜カレーってところかしら? 根菜ときのこ類多めだわ。
カレーの他にはサラダとスープ、一口で食べられる付け合せが運ばれてきた。
「……あんた、カレー好きだった?」
「え? 好きというか、何だか定期的に食べたくならないかな。カレーって」
「それもそうね。──いただきます」
「いただきます」
揃って食前の挨拶をしてから、各々好きなものに手を伸ばす。
カレーって確かに水田が定期的に出してくるものではあるのよね。以前、「手で食べるなんて嫌よ!」と言ったことがあるので、ハルヒトが「ナンでカレーを食べたい」と言った時にあたしに出していいか確認してきたことがあったっけ。今となっては美味しければそれこそナンでもいいし、水田の腕は信頼してるので別に嫌がったりもしなかった。実際出てきたカレーとナンも絶品だったしね。
というわけで、ハルヒトのリクエストのおかげもあってあたしの食の幅も、水田の作れる範囲も広がっている。そういう意味ではハルヒトに感謝よね……。
先にサラダを食べて、プチトマトを口運んだところで、ハルヒトが手を止めてあたしを見つめているのに気付いた。
「……何?」
口の中のものを咀嚼してから問いかけると、ハルヒトがくすぐったそうに笑う。
なんか笑うようなことあった!?
「こうやって誰かと一緒に食べるのって楽しいなって思って」
「……。……あんたそれ何回言うのよ……」
呆れてしまった。だって、三日に一度は言ってる。
八月三十一日にあたしの目の前に現れて、もうまるっと一ヶ月経った。あたしと一緒に食卓を囲むようになって三日後に「誰かと一緒に食べるのって楽しいんだね」と言い、更に三日おきに今と同じセリフを言っている。
それだけハルヒトが置かれていた環境が特殊だったってことなんだけど、いい加減慣れてくれてもいいと思うわ。
サラダをつつく手を止めて言うと、ハルヒトが「えへへ」と笑った。
「ついつい口から出ちゃうんだよ」
「まぁ、楽しそうで良かったわ。……美味しい?」
「うん、とっても」
食事中のハルヒトは上機嫌。
最初の頃は若干出てくるものに対しておっかなびっくりなところがあった。あたしは何も知らないふりをして「どうしたの?」なんて言いながら、食の安全を証明するためにハルヒトが食べようか悩んでいるものを先に食べて見せている。今はもう『ここで出される食事は安全』だとインプットされたらしく、何でも美味しそうに食べていた。
ハルヒトは正妻である八千世ミリヤに嫌われている。
そのせいで食事に毒を盛られることがあった。これはゲームでも語られていた事実。
だから、見知らぬ食べ物が怖かったり何も考えずに一口で食べてしまうことに抵抗があって、こっちに来た時もその傾向がかなり強かった。特に林檎がダメなのよね。毒を盛られていた挙げ句に吐き出す時に喉に詰まらせて、かなりやばかったというのはゲームでのハルヒトの談。過去が変わっているとは思えないから林檎が特に嫌いなのは変わってないと思う。
そんなハルヒトが目の前で美味しそうに食事をしている──というのは、いちゲームユーザーとしてはかなり心にクるものがある。
良かったわねと言いたいけど、何でハルヒトの眼の前にいるのがロゼリアなのかしら……。
なんて、我に返ってしまうのをやめたい。あたしがロゼリアなのは変えられないのに。
でも、アリスととこうやって食事をして欲しかったわ。
「ロゼリア?」
あたしが明後日の方向に思考回路を飛ばしていたからか、不思議そうな表情で名前を呼ばれた。
小さく首を振って、フォークを持ち直す。
「何でもないわ。ドレッシング、いつもと違うわね」
「ちょっと酸味が強い、かな?」
「ええ、これも美味しいわ」
「──そうだね、美味しい」
美味しいと言い合い、ハルヒトが笑う。この時間を噛み締めているみたいな──。
ロゼリアなんかの時間を楽しまないで欲しいと思う反面、この時間を楽しんでいる自分もいる。
というのも、結局あたしだってこれまでずっと一人で食事を取ってきたから、こうやって誰かと毎日食事を取るなんて何年ぶりか……。伯父様と食事を取ることもあったし、誰かに付き合わせることもあったけど、こうしてある種の『家族』みたいに食事を取るのは──本当に、両親を亡くしてからなかった。
だからちょっと不思議だわ。この時間が。
「……そういえば、あんたは辛いものは平気なの?」
「え? うーん、多分そんなに得意じゃなさそうなんだよね。今出してもらってるカレーが一般の中辛くらいって言われてるし、これくらいが限度な気がするよ。ロゼリアは?」
「え。……あぁ、あんたのカレーは少し甘くしてあるのね。あたしは辛口くらいが好きよ」
中辛と言われて一瞬驚いた。あたしのカレーは辛口でってお願いしてたから。
つまり、水田はあたしとハルヒトのカレーはそれぞれ辛さを調節してるんだわ。あたしのは辛口、ハルヒトのは中辛という具合に。まめよね、水田。
「……そうなんだ。──ねぇ、ロゼリアのカレーを一口食べてみたいな」
ハルヒトはあたしに、ではなく、背後に控えているメイドに伝えていた。流石に食べ物の交換であるとか、「一口」みたいな真似はこの場ではしない。
メイドはすぐさま「かしこまりました!」と言って厨房に下がっていく。そう時間もおかず、ちょっとした小皿にあたしが食べているものと同じカレールーを入れて戻ってきた。そして、それをハルヒトの前に置く。
ハルヒトはメイドに「ありがとう」と伝えて、小皿のカレールーをひと掬いして、そのまま口に運んだ。
じーっとその様子を眺めていると、ハルヒトの表情が固まる。
「……け、結構辛いね。やっぱりオレは今食べてる中辛ぐらいが限度みたい……」
「ライスと一緒なら多少マシじゃない?」
「多少は……。けど、ロゼリアみたいにパクパクは食べられないと思う……」
そう言ってハルヒトは水を飲んでいた。そんなに……?
ユウリとメロも両極端な好みをしていたのを思い出して口の端に笑みを乗せる。
「辛さへの耐性って人それぞれよね。ユウリは甘口しか食べられないし、メロはかなり激辛までいけるし……」
「ぅわ。メロ、すごいね」
「舌がちょっと馬鹿なのよ」
あたしの言葉にハルヒトはおかしそうに笑った。
メロ、辛さと美味しさをちゃんと感じているようには見えなかったのよね。ただ辛さを楽しむと言うか……。ユウリは逆にちょっと過敏らしくて、刺激の強いものが苦手みたい。
そんな風に食事の時間は過ぎていく。
ハルヒトが楽しそうで何よりだけど、この時間が『当たり前の日常』になってしまったら嫌だという気持ちがある。以前までは傲慢さゆえに他人を遠ざけてきたのに、今になって『誰か』があたしの傍にいるのが……何だか恐ろしいのよ。
あたしはいずれ周りの人間からきちんと距離をおかなきゃいけないと思う。
喉元を過ぎた時、また以前のような『九条ロゼリア』になってしまうかもしれない。無自覚に、そうなるのが当然と言わんばかりに。
そうなった時に周りを傷つけるのが嫌。嫌われるのも憎まれるも嫌。
──だから、今のような時間はあくまでも『特別』であって、『当たり前』にしたくはなかった。




