163.十月一日②
「相談……?」
思いっきり眉間に皺が寄っていたと思う。悪気はなかったんだけど動揺して身構えちゃったわ。
アリスはそんなあたしの態度にも臆するわけでもなく、静かに頷いていた。
急ぐ話じゃなさそう。とは言え、相談って本当に何なのかしら。あたしに相談するようなことがあるとは思えないと言うか、アリスの所属している『陰陽』は『陰陽』で独自にコトを進めているはずだから、いきなり何なんだろう。それともアリスの個人的な相談?
あたしは一緒に運ばれてきたマドレーヌを手にしながらアリスを見つめる。
「ちなみに相談内容って?」
「……えっと、」
アリスが言い淀んだ。言いたくなさそうと言うより、どうやって言おうか迷ってる感じだった。
こんな反応をされると無性にその相談内容とやらが気になってしまう。今敢えて聞くような話じゃなかったのかもしれない。
「その。お話をする時間をいただきたいというのがまずあって、そこに……わたしの上司を同席させていただきたいんです」
マドレーヌを口に含んだ状態で固まってしまった。
じょ、上司? アリスの? なにそれ?
ゲームに上司なんていな──いや! ゲームの中でアリスが椿邸にメイドとして忍び込んだ後、『陰陽』の人間とやり取りをしてた。手紙だったり、買い物のついでに接触したり、そういう存在がいたわ。アリスから現状の報告をすることもあれば、『陰陽』からの指示を出すこともあった。
アリスが「先生」って呼ぶくらいで、ゲームの中では『陰陽とのパイプ役。アリスとは師弟関係』くらいの情報しかなかった。ゲームの中での心当たりなんてその人しかいないんだけど、立ち絵も名前もなくて……結構考察とか妄想立ち絵みたいなのがあったっけ。
アリスのちょっと困った顔を見つめる。
こんなことを言っても困るだろうなって気持ちが伝わってくるようだわ。
マドレーヌを飲み込みながら、どうしたものかと考える。
「いい話? 悪い話? それとも聞いてない?」
「聞いてません。けど、悪い話ではないと思います……」
普通に考えたら、裏でコソコソしているはずの『陰陽』の誰かがあたしに接触してくるなんて考えづらい。なのに接触してくるということは、あたしに何かお願いがあるか、直接取引をしたいか、ってところ?
アリスと話をする場に上司が同席したいという話だけど、多分逆よね。アリスがあたしとの時間を取り付けて、上司の方がメインで話をすることになるはず……。
アキヲの処遇のこともあるし、話の中で『陰陽』にアキヲのことを任せられたりしないかしら。あたしは交渉上手くないし、自信もないからそこで約束が取り付けられるとは思えないわ。とは言え、最低限提案レベルの話はできるに違いない。
「……なるほどね」
「あの、決してロゼリア様を悪いようにしようとか、何か企んでいるというわけではないです。……ただ、せ、上司から直接話ができる時間が欲しいと言われてて……」
今「先生」って言いそうになったわよね? ってことは、ゲームにも出てきたパイプ役で間違いない。
うーーーん。わざわざ事前に告知をして接触してくるんだから、あたしにとって不利な話じゃないと思いたいわ。
「場所はどこを考えてる?」
「場所はこちらで用意します。椿邸は人目があるのでちょっと……」
「ふーん? 話し合いの場にはあたし一人?」
「は、はい」
ちょっと詰問口調になっちゃったわ。まぁいきなりのことで色々と確認したくなるんだからしょうがないじゃない。
あたしは小さくため息をついて、カップを手に取った。マドレーヌで奪われてしまった口の中の水分を補充する意味と、自分自身の考えをまとめるためにお茶を飲む。
カップをソーサーに置いてから、アリスを見つめた。
「その条件じゃ時間は作れないわね」
「えっ!?」
「いや、よく考えて見なさいよ。あたし一人でそっちが指定した場所に行くなんて怖くてできるわけがないわ」
驚くアリスに呆れてしまった。
理由を言うと、アリスは「う」と言葉に詰まっている。デパートであんなことがあったんだから一人になる気にはなれないわよ、流石に。
「……アリス、この際はっきり言っておくわね。
あんた個人のことは好きだし、助けてくれたことには感謝してるし、疑わないようにしてる。けど、あんたの所属している組織は別よ。どういう組織なのかわからないし、……今のあんたの言い分は敵地にあたし一人で来いって言っているようなものよ」
そう言うとアリスは何も言わずに項垂れてしまった。
──ゲーム情報があるからアリスの所属している組織が『陰陽』ってことも、どういう組織なのかも一応把握はしてるんだけどね。今のあたし、ロゼリアとしてはそんなことを知る術がないんだから知らないということにしておかないとおかしい。
ちなみに『陰陽』の話題は、今のあたしも噂程度には聞いたことがある。
秘密組織のようなものとして噂されている。ゲームの中のロゼリアだって「陰陽?! そんなものが本当に存在しているですって?」とか言って、存在自体に驚いていた……けど、その『陰陽』に対しては畏怖を抱いている。何ていうか、会の人間には恐れられる存在なのよね……悪いことをして見つかると静粛される、みたいな噂話はあって、過去に国家転覆を企てたり隣の会を取り込もうとした他会の会長が不審死したことがあって、それらは『陰陽』の仕業だってまことしやかに噂されている。そして、そういう噂話はどこからともなくあたしみたいな血族の人間の耳に入ってくる。
だから、目の前に「陰陽です」なんて言って現れようものならびっくりするのよ。まずは笑い飛ばして、本物だとわかれば命を取られるかもって……きっと狼狽える。
アリスのこれまでの言動からも、あたしに対する害意はもうなくなったと思いたいけど……流石に一人では、ちょっと……。
「だから、場所を椿邸にするか、話し合いの場にあたしの指定した人間を同席させるか……どちらかの条件を飲んでくれないと時間は作れないわ」
「……。……ちなみに、ロゼリアさまが指定する人間が誰なのか……お聞きしてもいいですか?」
「そうね──……」
一瞬伯父様の顔が思い浮かんだ。けど、伯父様はあたし自身もちょっと困る。
頭の中に候補者の顔が一斉に思い浮かび、色々な条件を加味してほとんど消えていった。
「ジェイルか、話の内容によってはユキヤね」
あたしの頭の中に残ったのはこの二人。基本はジェイルにしたいけど、南地区の話なんだったらユキヤにしたいわ。
メロとユウリはあんまり重い話に巻き込みたくなかった。メロはちゃんと聞かなさそうだったし、ユウリの賢さは惜しかったけどね。ハルヒトの顔も思い浮かんだけど論外すぎてすぐに脱落していった。
答えを聞いたアリスは「なるほど」とばかりに小さく頷く。
「……ジェイルさんか、ユキヤさん、ですね。わかりました。確認いたします」
「そうして」
「……あの、条件を二つとも飲むとしたら……?」
こわごわと尋ねられ、ちょっと目を見開いた。
そんなことはないと思うけど一応答えておこう。
「話し合いの場が椿邸の中で、ジェイルかユキヤを同席させてくれるなら悩まないわよ? あんたと、あんたの上司とやらと話をする時間を作るわ」
「わかりました。ありがとうございます」
そう言ってアリスがばっと頭を下げる。
話をしている間にマドレーヌもお茶もなくなってしまったので、アリスがテーブルの上を片付け始めた。
しっかし……『陰陽』の人間と話をするなんて大丈夫かしら。いや、相手方が条件を飲まない可能性もあるから、まだ確定じゃないのよね。




