160.オフレコ㉓ ~in廊下Ⅲ~
そもそもユキヤの様子がおかしく、それをロゼリアが察したということであれば──今回に関しては甘いだの思い入れだのという話題は全くの的外れだったのではないだろうか。あくまでもロゼリアの気遣いであり、ユキヤに対して甘いだのなんだという発想はユウリたちの嫉妬からくるものだとしたら……。
その可能性に気付いて、ユウリは内心慌てていた。自分がものすごく心の狭い人間に思えたからだ。
ユウリのそんな内心などつゆ知らず、メロがジェイルを睨んだ。
「ユキヤくんの様子がおかしいって……そこはジェイルが気にするとこじゃねーの?! トモダチだろ!?」
「うるさい。少し前からあいつがおかしいのはわかっていたが、……何も言わないんだ。灰田も同じだろう?」
ノアが控えめに頷く。
どうやらジェイルとノアはユキヤの様子がおかしいことには気付いていたものの、本人が話さないのでどうしようもなかったらしい。
友人と普段一緒にいるお付きにすら言わないことをロゼリアに話すかどうかは謎である。
「おまえらにも話さないことをお嬢に話す~?」
メロは懐疑的だった。昔からの友人であるジェイル、生活を共にしているノアにも話さないことをここ数ヶ月で距離が近づいただけのロゼリアに話すとは思えないということだ。
ユウリもメロと同意見だったので、ジェイルとノアを見比べた。
ジェイルは渋い顔をしたままだったが、ノアは言いづらそうに口をモゴモゴとさせる。
「……ロゼリア様なら強引に聞き出すことは可能だと思ってます」
静かな答えに、何となく納得したような雰囲気が漂う。
ロゼリアに「いいから話しなさい」と詰め寄られて「言わない」という選択肢を選べるかと言うと、きっと選べないだろう。どういう風に接するかはさておき、ロゼリアには妙な威圧感がある。そこに怒りが乗っかると最悪なのはユウリが身を持って知っている。今のロゼリアはよほどのことがない限りは怒ったりしないとはわかっているが、敢えて怒りを武器にされたら面倒くさそうだ。
今のロゼリアは──きっと真面目に聞き出すのだろう。
自分の話をちゃんと聞いてくれたように、ちゃんと相手の前に立って。
そうなったら話してしまうんだろうなとぼんやり思った。
ロゼリアの変化は喜ぶべきことで、恩恵は自分にもあったのだけど、今になってモヤモヤするのはきっと致し方ないことなのだろう。少なくともロゼリアは相手のことを考えながら行動しているだけなので、そこに何も知らないユウリが口や行動を挟めるものではない。
ごくごく個人的な自分の感情を表に出さず、切り分けて行動しなければ、と今一度自分を戒めた。
軽く首を振って、小さく息をつく。視線を伏せたノアを見つめた。
「そうだね。強引に聞き出そうと思えば聞き出せるだろうし、そうでなくてもロゼリア様にならユキヤさんは話せてしまうかもしれない」
「なんで?」
「南地区のデリケートな話題だったら話せる人間なんて限られてるじゃない。友人だからこそ話せないこともあると思うよ。──少なくとも、ロゼリア様は九条印を使ってユキヤさんと約束、いや、契約をしているわけだから……」
メロの不思議そうな問いかけにもすらすらと答えることができた。実際のところは知る由もないが想像くらいはできる。
友人だからこそ話せない、という言葉にジェイルが少し反応していた。複雑そうな顔をしていることから、話してもらえないのが不満なのが伝わってくる。ノアも同様だ。
そんな話をしたところで、ハルヒトがキョトンとした顔をしているのが視界に入った。
「……ハルヒトさん……?」
「……ロゼリア、会印持ってるんだ?」
会印。この場合は九条印のことを指す。
各領を治めている『会』の会長や後継者などが持てる特別な印鑑だ。当然、八雲会の会長であるハルヒトの父親も持っている。八雲会のものであれば八千世印と呼ばれているはずだ。『会』の名前を使ってないのはあくまでも血統を重視するからである。
ハルヒトは現会長から直接後継者として認定されている割に苗字は『千代野』で『八千世」ではない。ここはきっと面倒な理由があるのだろうと誰も確認はしてこなかった。正妻が認めないとか、現会長が正式な場を設けるまではとか、色々とあるのだろう。その辺の事情は興味もなかったので気にしたことがなかった。
「持ってるっスよ。ユキヤくんとの話に真面目なのは九条印使って契約したからってのもあるのは確かだし」
「へぇ、すごいね。ロゼリアは……」
「そうかな~?」
メロがひたすら不思議そうにしている。ハルヒトはそれを見て苦笑いをした。
「だってオレは持ってないからね。まぁ、千代野って時点で持てるわけがないし、……そもそも欲しくない。父さんは面倒事が増えるだけだからって滅多に使わないらしいしね」
「──確かに八雲会のミチハル様は八千世印をほとんど使わないという話を聞いたことがあります」
愚痴めいた言葉にジェイルが頷いた。ハルヒトは「そうなんだよ」と肩を落とす。
ハルヒト本人が後継者という立場を煩わしく感じているので「欲しくない」のだろうし、滅多に会印を使わないミチハルのことを知っていれば「会印を使う=面倒事」という認識がインプットされていてもおかしくはない。会によって認識がかなり違うようだ。ちなみにガロは相手からの信頼を得るために結構頻繁に持ち出すという話だ。
「だからロゼリアはすごいなって」
「それはガロ様を見ているからだと思います」
「そっか、ガロさんは結構使うんだっけ?」
「はい、気軽に使われることもありますね」
ガロの側近もしていたことがあるジェイルが受け答えをしていた。「気軽に」という言葉にハルヒトは驚いている。ユウリはその辺りのことはさっぱりだった。
ハルヒトの視線が応接室へと向けられる。
どこか眩しそうに目を細めるのを見て、ユウリはその姿が眩しく思えてしまった。
ハルヒトは以前のロゼリアを噂程度にしか知らないからか、今のロゼリアをかなり好意的に受け入れている。昔のことをよく知っているユウリたちからすると、恋愛感情を自覚しても、昔のことを思い出して微妙な気持ちになることがあるのだ。今のロゼリアを素直に受け止められるハルヒトが少し羨ましい。
ハルヒトは応接室からそっと視線を逸らして、大きくため息をついた。
「……やっぱり昔からそういう環境で育たないと後継者なんて無理じゃない? ねえ?」
周囲の人間は無言になってしまった。
ハルヒトのような立場の人間から「ねえ?」などと同意を求められても気軽に答えられるわけがない。ユウリとメロ、そしてノアは「そんなことを聞かれても困る」としか言いようがないし、ジェイルの立場からだってコメントはできないだろう。
どうしよう、と変な空気になったところで、メロがあっけらかんと口を開いた。
「そういやハルくんってアップルパイ食べた?」
「え? あー……オレ、林檎が苦手でさ……」
全く脈絡のない話題であっても、ハルヒトはすぐに答えた。さっきのセリフは相手が困るだけだと悟ったようだ。かなり強引な話題転換だったが、ユウリはホッとしていた。ロゼリアとハルヒト、そしてその他の人間という立場の差を自覚して憂鬱になりそうだったからだ。
ハルヒトの言葉にメロは目を丸くしていた。
「林檎が苦手な人って初めて見た……」
「……まぁ、好き嫌いって人それぞれだろ?」
「そっスね。でもなんか意外だった」
「そう? ……オレ、結構好き嫌い多いよ」
何だか含みのある言い方だった。メロは能天気に「そうなんだー」と言っているだけで含みに気付いた様子はない。
嫌な思い出でもあるのかなと考えたところで、応接室の扉が開く。
ジェイルは壁から手を離し、メロは立ち上がって──と、それぞれ姿勢を正すのだった。




