158.幸せって?③
「……ちょっとは悩みが薄れたと思っていい?」
ソファの上、ユキヤとの間に人一人が座れそうなくらいの距離を作ってから尋ねた。何とも言えない顔をしていたユキヤは「そう言えばそうだった」とでも言いたげな顔をして困ったように笑う。
「──はい。気にかけていただいてありがとうございます」
「さっきも言ったでしょ。あたしがすっきりしないってだけよ」
しれっとした顔で答えておく。そういうことにしておかないとユキヤが変に気にしそうだし。
純粋に心配もしてるんだけどね。あたしらしくもないし、バランスが難しいわ。
「あはは、そうでした。……。……別の悩みができた気もしますが」
「え? どういうこと」
「いえ、すみません。独り言です」
べ、別の悩みって何よ。気になるじゃない。ユキヤは笑って首を振るだけで詳細を言う気はなさそう。
一旦は落ち着いたってことにしておこう。話を始めた時に比べれば表情も柔らかくて、いつも通りのユキヤって感じだわ。それに、これ以上話をしているとジェイルたちが痺れを切らすかもしれない。
区切りをつける意味も込めて、ゆっくりと立ち上がった。
「時間を取らせて悪かったわね」
「とんでもありません。むしろ話を聞いてくださってありがとうございました」
ユキヤが立ち上がって答える。無理やり聞き出した感もあるし、強引に話を進めちゃった感もあるのよね。とは言え、ユキヤは例え本心では嫌がっていても、表面には絶対出さないから……ちょっと不安なところもあるけど、あとはジェイルやノアに任せよう。あの二人ならユキヤのことをちゃんと見ててくれるでしょ。
あたしは右手を腰に当てて、ゆっくりと息を吐き出す。
「……もう一度確認だけど、あたしの買い物に付き合うって本気? 落ち着いた後にそれって──」
「ええ、本気です。ロゼリア様とのお約束なので、是が非でも解決させなくてはという気持ちになってますので」
「ああ、そういう……」
妙な納得感があった。偉い人との約束を破るわけにはいかないという、なんかそういう感じ。
もういいや。ユキヤがいいならいい、ということにしておこう。あんまりしつこく確認すると本当に嫌になっちゃうかもしれない。それはあたしだって本意じゃないもの。
あたしの反応を見たユキヤが何か言いたげに困り笑いを浮かべている。どうしてそんな顔をするのかと不思議に思ったけど、なんか面倒くさい雰囲気があったから聞くのをやめた。
おっと、そうだ。ユキヤは当然気付いていただろうけど──……。
「そう言えば……ノアがあんたのことを気にしてたっぽいわよ」
「えっ。──あ、ああ……そう、ですね。確かに悩みがあるなら話して欲しいと……何度か言われました……」
「話してあげなかったの?」
「流石に話しづらかったのです。……自分の決意が揺らいでいることや、父のことで今更悩んでいるなんて……」
立場の問題、かしら。
アキヲはノアを嫌ってるって話だったし、ひょっとしたら嫌がらせとかされてたのかもしれない。そういう背景あって、アキヲに対する恨みがノアにもあったら、実行者であるユキヤが悩んでるってことは確かに話しづらいわよね……だとしても、少しくらい打ち明けてあげて欲しかった気もする。多分、ユキヤのことを一番心配してるのってノアだから。
ユキヤをまじまじと見つめる。
すると、ユキヤが言いづらそうに口を開いた。
「……ノアが気にしているから、俺のことを気にしてくださったのですか?」
「えっ?」
どこかユキヤらしくないセリフや言い方に驚いて目を見開く。
ユキヤ自身も「らしくない」とでも感じたのか、はっとして口元を押さえた。
「も、申し訳ございません。今の言葉は忘れてください」
慌てるユキヤを見て、ちょっとかわいいと思ってしまった。ふ、と口元が緩んでしまう。
そして、腰に当てていた右手を下ろし、両手で肘を抱えるように前で組んだ。ノアが気にしてるっていうのも理由としてはあるけど、ユキヤのこと蔑ろにしてるわけじゃないってことは伝えておこう。
「それはそれ、これはこれよ。ノアが気にしてそうって思ったのもあるけど、ちょっと様子がおかしかったもの。あんた」
そう言うとユキヤは驚いた顔をした。多分表に出してるつもりはなかったのよね。
「……そう、でしたか?」
「ええ。具体的にどうおかしかったのかって聞かれると困るけど、まぁ何となく? 昨日も電話してた時も違和感があったもの」
「そう、ですか……」
納得したらしいユキヤ。ちょっとだけ間抜けな雰囲気だった。
何が違ったんだろうとでも考えてるみたい。あたしもその違和感を言葉にはできないのよね。落ち込んでるように見えたとか、ちょっと覇気がないとか……そういうレベルよ。あ、でも、目の下に薄っすら隈が見えたのは決定的だったかも。
そう思い、あたしは自分の目の下をトントンと指をさしてみせる。
ユキヤは不思議そうに首を傾げた。
「……えぇと……?」
「隈があるわよ。眠れてないんじゃない? 悩んでるからなのか、仕事のせいなのかはわからないけど」
そう言って手を下ろした。
ユキヤは自分の目元に指先を触れさせて、「そうかな?」と言いたげに首を傾げた。薄っすら見える程度だから鏡をぱっと見たくらいじゃ気付かないかもしれないわね。
……こういうのも以前までだったら絶対気付かなかったでしょうね。仮に「眠れてないんです」と言われたとしても「あたしの知ったことじゃないわ」って無視してたに決まってるもの。そう考えると大分進歩した気がする。
以前までが自分本位で我儘で傲慢すぎたっていうのは理解してるわ。
けど、こうしてちょっとずつ自分を認めていくことも必要だと思うの。
そんなことを考えながら、あたしは扉の方を指さした。
「さて……そろそろあいつらを呼び戻しましょうか」
メロあたりは飽きてどこかに行ってていなくても驚かないわ。いや、ひょっとしたら扉に耳をくっつけるかも……。
どちらにせよ、いい加減終わりしなきゃ──と、ユキヤの前をすり抜けようとしたところで、ユキヤに手を掴まれた。
え、また? 何?
「あ、あの、ロゼリア様……っと、すみません」
「別にいいわよ。何?」
どうやら咄嗟に掴んでしまったらしく、すぐに手を離してくれた。驚いたけど、いちいち気にすることじゃない。
何でもない風を装ってユキヤを振り返った。
「さっきの話は──……」
「誰にも言わないわよ。最初に言ったでしょ?」
「……全て言わないでおいてくださいますか?」
なんだそんなこと、って感じで答えると、ユキヤが神妙な顔で続けた。
全て? 全てって……?
いまいち意味がわからずにいると、ユキヤが小さく笑った。
「もう一度買い物に同行させていただけるという話も、という意味です」
それくらいは別に言ってもいいんじゃないかしら。とは言え、ユキヤが嫌なら言わないでおこう。
あたしは意図をちゃんと汲み取れないまま、ユキヤを見つめて静かに頷いた。
「……まぁ、まだ予定の段階だものね。いいわよ、言う必要性も感じないし」
「はい、そういうことにしておいていただけると助かります」
ユキヤがほっとしたように笑う。言わないで欲しいという意味をちょっと悪い方に考えちゃうわ。ジェイルに知られると面倒くさそうなのは確かだし……。
いいや、これで話は終わり。南地区に変装して視察に行くことに集中しよう。
変装、楽しみだわ。
自分の中で区切りをつけて扉へと向かう。ユキヤの視線が何故か背中に刺さった。
──あ、そう言えばブラウスのこと伝えるの忘れてたわ。ユキヤのことだから、あたしがあの時のブラウスを着てるなんて気付かないんじゃないかしら。
扉の前で立ち止まり、くるりと振り返る。
「そうそう、ユキヤ」
「はい」
「このブラウス、いい感じよ。買ってくれてありがとう」
「えっ?! ぁ、……」
ユキヤは目を丸くしていた。やっぱり気付いてなかったのね。まぁ男なんてそんなもんよ。
反応に困っているらしいユキヤを置いて、あたしは外で待たせている四人を呼ぶためにドアノブを捻って扉を引いた。




