155.心配事②
「……ええ、覚えています」
あたしがその笑顔に目を奪われている間に、ユキヤはその笑顔を隠すように視線を伏せる。
そこでようやく我に返った。危ない危ない。推しの笑顔の破壊力に聞きたいことを完全に忘れてしまうところだった。
……あっぶない。本当に無駄にドキッとした。
ユキヤに関わらず、攻略キャラクターは顔がいいからちょっとした笑顔や仕草にドキッとしてしまう。
少なくとも以前までのあたしはそういう「ドキッ」と感じたりしなかったんだから気をつけなきゃ。らしくないというのももちろんあるけど、デッドエンドを回避するために頑張ってるんだからそんなことを気にしてる場合じゃない。
覚えていると噛みしめるように言ったユキヤをじっと見つめる。
どこか陰りのある表情を不思議に思いながら、話を続けた。
「今のユキヤは……将来的に平和で幸せになれそう?」
「将来……?」
ユキヤはそんなこと考えたこともなかったと言わんばかりに反芻し、顔を上げた。
「そう、将来。考えたことない? 五年後、十年後の未来」
偉そうなことを言いながらもあたしも考えたことなんてないわ。五年後どころか、本来だったら年内に死んでるのよ。そして、あたしはその死を回避したくて足掻いている。今では結構遠ざかったように思えるけど、やっぱり安心はできない。
今のユキヤはどうなんだろう。
ゲームでは『今の南地区』をどうにかしたいって気持ちが大きいのと、仮に解決をしてもアキヲの息子である自分が南地区の代表にはなれないって考えてて……後を誰かに託せればいいって考えてた。
正直、ここはゲームと変わらない気がする。
あたしの問いかけに、ユキヤは呆然としたまま沈黙し──やがて力なく首を振った。
「……申し訳ございません。そこまで考える余裕は、あまり……」
「そうなのね。別に謝ることじゃないわ。あんたの立場なら、目の前の問題で手一杯なのは想像つくし……」
ひたすら申し訳無さそうなユキヤを目の当たりにして、あたしは取り繕うように笑う。
無理に将来のことを考えさせたいわけじゃない。けど、やることをやった先の道がぷっつり途切れてるなんて悲しいことは嫌。
「とにかくね。あたしはあんたにも幸せになって欲しいのよ。だから、そのことも……今は難しいとは思うけど、ちょっとでいいから頭の片隅に置いておいて頂戴」
ユキヤは黙り込んでしまった。戸惑いと困惑が表情から伝わってくる。
あとは、何かにすごく悩んでいるのが伝わってきた。
あたし個人の気持ちとしては、さっさとこの事態にケリをつけたい。だって自分が死にたくないから。どういう形であれ決着がついて、デッドエンド回避が確定するならそれに越したことはない。
でも、だけど。
その裏側で誰かが苦しんだり悲しんだり、ましてや死ななくていい人間が死ぬのは違う。
アキヲだってどこかのタイミングですっぱり計画を諦めてくれるなら、できる範囲で庇いたい。けど、アキヲにその意志はなさそうだし、このままずるずると引き返せないところまで行ってしまいそう。ゲームの中で『九条ロゼリア』も『湊アキヲ』も死んだ。いや、殺された。当たり前だけど、誰も死なない結末がいい、
黙り込んだユキヤを見つめる。アキヲが死んだら絶対にユキヤは悲しむ。なんだかんだで父親だもの。不仲であっても何か思うところがあるに違いない。
聞いてもいいものかと悩みながら、こわごわと口を開いた。
「……何か悩みでもある?」
「……。……いえ、……その、」
「的外れだったら申し訳ないんだけど……昨日、電話でアキヲの処遇を悩んでるって言ったじゃない?」
正解を探すように、探り探りの話し方になってしまった。
はっきりさせられない自分のことが歯がゆいけど、こればかりは仕方がないと割り切る。
「あんたは相応の罰を、って言ってたけど……本心では抵抗があるんじゃないかしら」
ユキヤの肩が微かに震えた。それがそのまま肯定じゃないにしろ、やっぱりアキヲ絡みなんだわ。ユキヤの悩みのタネって。これは当初から一貫して変わらないし、良いも悪いもアキヲ次第っていうのが……なんか、こんなことを思っちゃいけないんだろうけど、可哀想だわ。
多分全部を自分で背負ってしまっている。重荷は多分アキヲの息子だからで、他の誰かが肩代わりできるものじゃない。
とは言え、どうにかできるならしたいのよね……。
「もし、厳罰を下すことに抵抗があって、……あんたが迷ってるなら、別の方法を考えてみない?」
「それは──……お気持ちはありがたいのですが、私個人の感傷とは別に、やはり許せない気持ちがあります。ですから、父には厳粛な対応を求めたいです。温情をかけたくないという気持ちは……確かにあります」
「……そう」
ユキヤはすぐに首を振った。自分だけの問題じゃないからね。南地区のアキヲの周囲にもアキヲの行動をよく思ってない人間がいる。そういう人間がユキヤに協力してるから、個人的な感情で決定を覆せないのは容易に想像ができた。
と、なると……やっぱり悩みを吐き出させるしか……。
根本的な解決にはならないけど、愚痴や悩みを自分の中に溜め込み続けるのはよくない。言うなればデトックスよ。
「悩みとか愚痴とか……あれば聞くわよ? 吐き出さないとやってられない時もあるでしょ。──まぁ、あたしは気の利いた言葉も言えないから……話を聞くだけになるし、穴に向かって叫ぶ気持ちで……?」
ってしまった。最後の一言は絶対に要らなかった。「王様の耳はロバの耳」ってやつだわ。あれって穴に叫んだら結局国中に知れ渡るって話だから全然フォローになってない。
あたしはちょっと慌てた。
「そうは言っても誰にも言わないわ。本当にここだけの話ってことで……!」
「……はは」
ユキヤがちょっと笑った。笑ったけど微妙に気まずい。
これ以上何か言うとまた余計なことを言いそうだったから一旦そこで言葉を区切った。ユキヤを見つめて「いつでもどうぞ」と意思表示をする。
やがて、ユキヤはちょっと泣きそうな顔になったかと思いきや、膝に肘を置いて前屈みになり、完全に顔を伏せてしまった。どんな顔をしているのか、あたしからは見えない。ただ、つむじが見えるだけ。
「……最近、ロゼリア様のことをよく聞いてくるんです」
「ええ、聞いたわ」
「理由は、私が上手くロゼリア様に取り入ったからだと思っているからで……自分の言うことを私が素直に聞いたと思っているので、端的に言えば嬉しいんでしょうね」
淡々とした口調だった。ただ、口調の端々に悲しみや戸惑い、或いは嬉しさのようなものが伝わってくる。
ただ聞くだけと言った手前、あまり口を挟まずにユキヤの言葉に耳を傾けた。
ユキヤが手を組んで、指先にぎゅっと力を入れる。
「私に……どうだ最近は、と聞いてくる表情や、声は……実の息子に期待を寄せる親そのもので……幼少時、珍しく私のことを褒めてきた時の父に重なって……」
そこで言葉が途切れる。ユキヤは何かを堪えるように指先に力を入れていた。
──ああ。やっぱり。
幸か不幸か、アキヲを油断させようとして計画したあたしとのデートはいい意味でも悪い意味でも、アキヲの興味を引いてしまい、機嫌を良くしてしまった。
ユキヤの記憶の彼方に追いやられていた『父の姿』を思い出させてしまった。重なるような言動をアキヲが取ってしまった。
それがユキヤを悩ませる。
ゲームのストーリーと違っているから、変わってしまったものが多い。
けど、変わらない、いや、変えられないものもある。
ユキヤとアキヲが血の繋がった親子であることは変えられない。アキヲはユキヤを使える駒程度にしか思ってないかもしれないけど、ユキヤがアキヲに褒められたり期待されたりすることで芽生える父親への情はきっと簡単に消えない。
むしろ、鎖のようにユキヤを縛ってしまう。
居たたまれなくて胸が締め付けられた。




