147.オフレコ⑲ ~メロとユウリⅤ~
何も言えなかった。
メロの冷めた視線に対してどう反応していいのかわからない。こんな話をメロやキキとすることはなかったし、そういう話をする相手はこれまで別にいた。今となってはそういう繋がりも僅かになってしまったけれど。
「メロ……」
どうにかこうにか名前を絞り出す。ユウリの声を受けてメロが目を細めた。
メロは股を開いてしゃがみ込み、太ももの上に腕を置く。ガラの悪い態度に居心地の悪さを覚えた。壁際でしゃがみこんでいたせいで追い詰められている感じもあって更に居心地が悪い。
ロゼリアの前では『まだ』お行儀よくしている方だ。少なくともこんな態度は絶対に取らない。
「……やっぱさ、おまえばっかりずるくね?」
「な、何が」
「ベンキョーさせてもらったり、そのお金出してもらったり、……あと秘書とかさー」
またも何も言えなくなった。
前にも似たようなことを言われたが、その時とはニュアンスが大分違うように思う。前は「ユウリばかり良い思いをしてずるい」という話だったのが、今は「ロゼリアに目をかけられていてずるい」になっている気がする。
そんなのメロだって、という気持ちが湧き出てきて、言葉になりそうなのを何とか押し留めた。
メロの気持ちが見えた気がしたからと言って何を言いたいわけではない。
黙ったままメロが去っていくのを待とうと思い、口を閉ざしたままでいた。
「なんか言えよ」
「……別に言うことなんてないよ」
どこか不機嫌そうなメロを見て、自身の機嫌の悪さも悪化していく。
お互いに遠慮をしない間柄だと思っている。言いたいことは好きに言うが、性格の違いゆえにメロの方がユウリに対して何か言う方が多いだろう。ユウリ自身「口は災いの元」とも考えているので不用意なことは言わないように心がけているのだ。
とは言え、それは冷静でいられる間だけのこと。
「自惚れてる? お嬢に可愛がられてる、って」
「……あのね、」
「顔だけはお嬢の好みだもんな、おまえ」
明らかに挑発と嘲りを含んだ声音に、ひく、と口の端が動く。
これまでメロの攻撃性をこうして受けることはなかった。敵認定を受けたことがなかったからだ。何なら孤児院からずっと同じ場所で生活をしてきて、ロゼリアから酷い扱いを受ける時も同じだったのでお互いに愚痴を言い合いながら生活をしてきたという背景もあったので、同志や味方だと思われていたはずである。
なのに、こんな物言いをしてユウリを攻撃してくる理由はもう一つしかない。
受け流すことだってできたし、普段であればそれは容易かった。
しかし、今はそんな余裕はなかった。
「……メロ。まさか、僕が羨ましいの?」
「あ?」
「理由はともかくとして、ロゼリア様に色々と気にかけられてるのが気に入らないんだよね、メロは。
今日も僕がロゼリア様におやつを持っていった時に何かあって、ロゼリア様が僕のことを更に気にしてるんじゃないかって……気になってる?」
決して余裕があるわけではないが、余裕ぶった態度で言って見せればメロの表情が歪んだ。その表情は以前ロゼリアが機嫌を損ねた時の雰囲気に似ていて、少し体が強張ってしまった。
内心びくびくしつつ、それを表に出さないようにして──不格好だったろうけれど、少し笑って見せる。
「……メロが僕に嫉妬をする日が来るなんて思ってもみなかったよ」
更に歪んだメロの表情を見て目を細める。
まるで自分を見ているようだった。
ユウリがメロを羨ましく思うことはあっても逆はないのだとばかり思っていたのだ。ロゼリアが変わったことで「ずるい」と言う言葉を向けられることもあったが、雑談レベルの話で真剣味はあまりなかった。
だが、今は違う。
ロゼリアに対してやけに馴れ馴れしいメロを思い出すとそこには明確に嫉妬が発生する。ここ最近だってメロがロゼリアに自分から触れたり、気軽に話しかけたりするのを見てモヤモヤしていた。今となってはそれが嫉妬なのだとはっきりわかる
ジェイルのようにはなるまい、と思っていたのに──同じになってしまった。
メロが口を開いて何かを言いかけ、途中で何かに気づいて口を閉ざす。それを見て少しホッとしながら、手をぎゅっと握りしめた。
別にこんなやり取りをしたいわけでもなかったのに。
先に喧嘩を売ってきたメロが悪いのだと責任を押し付けて何も言わずにいた。
やがて、メロはどこか諦めたようにため息をつき、ガシガシと頭を掻く。
「ジェイルのことめっちゃ馬鹿にしてたのになー……」
「あはは。それは僕もだよ。ぁ、いや、馬鹿にはしてない、けど……」
笑いながら同意したところで慌てて否定する。決して馬鹿にはしてない。「変なの」と思っていただけだ。
変わったとは言え、『あのロゼリア』を好きになるなんて、と怪訝に思っていた。
なのに。
今はジェイルの気持ちが少しわかる。
名前を呼ばれるのが嬉しい。笑いかけてくれるのが嬉しい。役に立てるのが嬉しい。
ロゼリアのことが好きなのだと自覚してしまえば、これまで感じたモヤモヤ全てが解決してしまう。
ゆっくりと立ち上がるとメロも同じように立ち上がった。
「……まぁ、この気持ちが叶う見込みはないだろうけどね」
「なんで」
「……。前に聞いた時、自分の結婚相手はガロ様に決めてもらって構わないって言ってた」
「はッ?!」
「だから、まぁ……今のあの人はそういう相手を自分で見つける気はないんだと思うよ。それから単純に僕や君じゃガロ様が納得しないし、まず許してくれないよ」
好意を抱くのは勝手だが、障害が多すぎる。
それをすぐに思い出してしまい、ため息しか出なかった。
ロゼリア本人の問題、ガロの問題、そして自分自身の問題。
見れば、メロは物凄く不本意だと言わんばかりの表情をしていた。
「……めんどくせ」
わかっているはずなのにメロがぼやく。それを見てもう一度ため息が出てしまった。
「そういう境遇の人なんだよ、ロゼリア様は。ジェイルさんもわかってるから露骨にアピールしないんでしょ。釣り合いだけならハルヒトさんしかいない」
「ユキヤくんは?」
「もっと厳しい。このままだと父親が何らかの罪に問われるからね」
敢えて口にしたくなかったので言わなかったが、ユキヤが『犯罪者の息子』という立場になる可能性が高い。それが周囲にどう受け止められるかは火を見るより明らかだ。仮にロゼリアとユキヤがそういう関係になったとしても、ガロは絶対に反対する。ガロの周りにいる人間も反対するだろう。
自分がその立場だったらと思うとゾッとする。
とにかく難しい。ロゼリアに好いてもらうことも、周囲の人間を納得させることも。
「まー、いーや。当面はお嬢が手を焼いて困る相手がおれだけって状況が続くなら」
「……君、ちょっと歪んでるから気を付けた方が良いよ……」
子供みたいな思考に呆れる。
「ちょっと歪んでる」で済ませていいのかは謎だったが、あまり突っ込みたい話でもなかったのでそれだけにしておいた。
「メロって嫉妬する割に呑気だね」
「? だって、お嬢が恋人になるってのがいまいち想像できねーし? あと、気の迷いかもってちょっと思ってるし、自分でも」
「……こいびと……」
確かに──ロゼリアと『恋人同士』になるなんて想像は──。
と、考えたところで、これまで想像すらしたことがなかったものが脳内にぶわーっと広がった。
そして、かーーーっと顔が熱を持っていく。
メロがそんなユウリを目の当たりにして若干引いていた。
「……やらしー……」
口元に手を当ててわざとらしい態度を取るメロにイラッとする。
「う、うるさいな! そんなんじゃないってば!!」
「どうだか。甘えてくるお嬢とか胸を押し付けてくるお嬢とかベッドで──」
「ちょっ!? あーもう! やめてったら!」
メロの言うロゼリアの姿がリアルに想像されてしまい、ユウリはそれを打ち消すのに精一杯だった。
本当に本気でそんなことは考えたことがなかった。
しかし、トリガーさえあれば個人の想像などふわふわと広がってしまう。ついさっき自覚したばかりなのに。
そして。
いつの間にかキキが近くにいて、これ以上ないくらいの蔑みの表情を二人に向けていた。
ユウリもメロも血の気が引く。
「……最低」
低く、それでいてたっぷりの侮蔑を含んだ声音にユウリはとても傷ついた。




