145.隔たり④
しばし考え込んだ後、そこまで自信がないままに口を開く。
「あたしが変装してみたかったって言えばいい?」
「……え?」
提案を聞いたユウリは何故か驚いた顔をしていた。そんなに驚くこと? って思ったんだけど、どうやらそうじゃないみたい。何を言えばいいのかって顔をしてまごついている。
あたしは思わずジト目になってしまった。
「ちょっと……あたしの話聞いてた?」
「す、すみません、ぼーっとしてました……」
この短時間でどうしてぼーっとできるのよ。あたしが考え込んでるのは目の前で見てたはずなのに。
そんな気持ちでジト目になっていたのがユウリに伝わったらしくてわたわたしていた。何か言い訳をしたそうにしていたから、一旦聞いてあげることにする。
「い、いえ、ちょっとみと──……な、なんでも、ありま、せん……」
ちょっと頬を赤らめていたかと思いきや、何故か青くなっていた。
何なのよ、一体。
ユウリが何を言いたかったのかわからなかったけれど、さっきの話を進めたい気持ちの方が強かったからそれ以上は聞かないことにした。
小さくため息をついて、さっき言ったことをもう一度繰り返す。
「だから、あたしが変装してみたかったってことにすればいいんじゃない? って」
「……ロゼリア様が変装を、ですか?」
「そうよ。ジェイルは、視察のために変装をするのが気に入らなくて却下する可能性が高いってことなんでしょ?」
「はい、そうです」
「だから、これまで探偵よろしく変装をしてみたかった。でもその機会がなくて……って言う前提で話をすれば視察のついでにやりたかった変装もできることになるわ」
そう言って人差し指を立てて笑った。
まぁ、実際『前世の私』は確かに変装というものをしてみたかった。スパイや探偵に軽い憧れを抱いていた時期がなくもない。だから、当時の気持ちを思い出しながら話をすれば、それなりに真実味のある説得ができると思う。
あたしの提案にユウリは少しだけ考え込み、それから小さく頷いた。
「ロゼリア様がやりたいと仰ることなら、きっとジェイルさんは反対しないと思います。……いい顔はしないかもしれませんが」
「だとしても渋々了解してくれるでしょ。ってわけで、あんたもあたしのフォローをするのよ」
言いながら、ユウリの肩をぽんぽんと叩いた。ユウリは不思議そうな顔をして首を傾げる。
「僕、も……?」
「ユキヤにもあたしの援護射撃をするようにお願いしてるのよ」
これで二人目。ユキヤとユウリが「ロゼリア様もこう言ってますし……」とでもフォローと援護をしてくれれば、ジェイルがいい顔をしなくても、強固に反対はしないと思う。これがメロだったら微妙だけど、ユキヤは幼馴染で付き合いも長いし、ユウリとは普通に仲良さそうに見えるし、大丈夫でしょ。
そんな気楽な気持ちになっているとユウリがちょっと微妙な表情をしていた。
「何? 何か気になることでもある?」
「いっ、いいえ! 何でもないです……! ……ロゼリア様が変装して南地区に視察に行く、という話に対してジェイルさんが渋るようなら、ロゼリア様の言葉を支持して、納得するようにフォローすればいいんですよね。ちゃんとやります。大丈夫です」
早口で言い募るユウリ。それを見て首を傾げてしまった。
口では「大丈夫」と言ってるけど何か不安。っていうか、ちょっと今日は様子がおかしくない? 以前みたいにあたしのことを怖がっておどおどしているって感じじゃなくて、なんっか……色々とあたしの言葉に納得できてない雰囲気をひしひしと感じる。
ゲームとは関係性が違っていて、恐らく悪い方向には行ってない、と思う。
けど、これにはあたしの希望的観測も入っているから楽観的になりすぎないように注意したい。
過去のあたしがユウリに酷いことした、っていう事実は変わらないんだから……。
そう自分を戒めてこっそり深呼吸をした。
「ユウリ、別に無理してフォローしてくれなくていいわよ」
「……うぇ?」
「ユキヤのフォローだけでもジェイルは聞いてくれると思うし……そもそもあんたが納得できないんだったら──」
「やります。大丈夫です。問題ありません」
納得できないのにフォローさせるのは申し訳ないな、と思ったのにユウリはどこか怒ったような顔をしてあたしの言葉を遮ってきた。ユウリのこんな顔も珍しいなんて驚いていると、今度は拗ねたように顔を背けてしまう。
何なの……。本当に今日は駄々っ子だわ。
「そう? ならよろしく」
「はい。ジェイルさんに納得していただけるように説得のお手伝いをします」
あれこれ言いすぎるのも逆効果っぽい。一旦、それでお願いしておくことにした。
……でも何がダメだったのかわからないわ。今ここで聞くのも絶対に変なことになりそうだからやめておこう。
話が一区切りついたタイミングでユウリが立ち上がる。
普段ならアップルパイと紅茶を持ってきた時点で部屋を出ていくのに、話に付き合わせたせいでずっと居座ることになってしまった。空になった皿とティーセットなどの食器を持ってきた時に使ったトレイに乗せていくユウリ。
それを何気なく眺める。
所作は丁寧で綺麗なのよね。この辺はメロとは大違い。あいつ、雑だから。
ついでに、前みたいなおどおどした雰囲気が消えたから、余計に秘書というよりは執事っぽさが加わっている気がする。執事か、そういう存在も欲しいかも。
なんてことを考えていたら、どうやら見すぎていたらしくて、ユウリが居心地悪そうに視線を向けてきた。
「……あの、何かありましたか?」
「何でもないわ」
「そ、それにしてはなんだか……」
「手つきが綺麗だと思っただけよ」
ユウリの手が震えた。カチャ、と食器が触れ合う音がする。
やっば。「綺麗」なんて嬉しくない言葉だったのかも。とは言え、口に出しちゃったものはしょうがない。
「褒めてるのよ?」
フォローのつもりで言うとユウリの頬がじわりと赤くなった。
まずい。追い打ちだったのかしら。あたしが誰かに向かって「綺麗」だなんて言ったことがないから恥ずかしくなっちゃったとか? 内心ちょっと焦るんだけど、変に言い繕っても余計に怪しくなるだけよね。フォローを重ねたい気持ちをぐっと堪えて、それ以上は何も言わないことにした。
トレイを落とさないように持ったユウリが何か言いたげに見つめてくる。
「……何よ」
「ロゼリア様って──……いえ、何でもありません。ちゃんと、やることはやりますし、メロや……ユキヤさんよりも、役に立てるように、します。あと、勉強もちゃんとします」
「??? わかった、期待してるわ」
なんでユキヤ? と思わなくもないし、正直何が何やらって感じだわ。でも、やる気になってるのは良いことだし頷いておいた。
あたしの「期待してる」という言葉にユウリが曖昧に笑った。嬉しそうなのに複雑そう。
「長々と居座ってしまい、申し訳ざいませんでした」
「引き止めたのはあたしだし、気にしないで」
「ありがとうございます。では、失礼します」
ユウリはそう言って深々と頭を下げ、部屋を出ていった。
それを見送り、閉まる扉を見つめる。
うーん。ユウリの知らない一面を見た時間だったわ。あんなに駄々をこねることがあるなんて思わなかった。自分の言いたいことが言える環境になっていると思えば、いい、のかしら……?
あんまり我儘言われるのも困るけど、あたしに比べたら全然マシだし、我慢しちゃうよりはいい。
とは言え……あたしはあたしで、ユウリが何を思っているのかを汲み取れるようにしたい。人の心の機微なんてさっぱりだけど! わからないって最初から諦めないようにしなきゃ……。




