143.隔たり②
ユウリはあたしの視線から逃れるように頬に右手の甲を押し当てて顔を背けた。
……こういう可愛い反応をするからあたしの加虐心が煽られるのよね。
視線を背けて、自分でポットからカップに紅茶を追加で注いだ。あ、渋くなってそう。ミルクでも入れようかな。ミルクに手を伸ばし、カップにミルクを注いでスプーンでくるくるとかき混ぜた。
ちら、とユウリを見ると、何か小難しいことを考えてそうな顔をしている。……一体何をそんなに考えることがあるのかしら。
「ダメなの?」
「いえ、ダメというわけではないんですが……」
しどろもどろなのを見て首を傾げる。前、お菓子だって分けたのに、何が問題なのかわからない。
ユウリたちなら別に誤解しようもないでしょうに。
「あまり僕に対して気を許されるのもどうかと思うんです……」
「でもあんたは気にしないんでしょ? っていうか気を許すなってこっちのセリフなんだけど?」
あたしの言葉にユウリは困った顔を見せる。どうやら説明に困っているらしい。
いや、本当に気を許すなってこっちのセリフなのよ。あたしがいつユウリに対して加虐心を爆発させて、前みたいに手を出すかもわからないのに……随分とあたしのことを信用してるみたいだから心配よ。
ユウリは自分の胸に手を当ててゆっくりと深呼吸をした。それから真っ直ぐにあたしを見つめてくる。
「──で、でも、こういうのってロゼリア様が前に言っていた『適切な距離』とは違うのでは?」
「これくらいは別に普通かと思ったけど? 前よりは健全じゃない?」
「う、うう……」
以前のことを持ち出すとユウリは更に困った顔をしてしまった。
あたしとユウリの間の認識に山よりも高く海よりも深い隔たりを感じる。あたしが「これくらいいいでしょ」と思っている距離感はユウリにとっては良くないみたい。
とは言え、誰とも距離を取っていたら孤立するじゃない! あたしはほどほどに仲良くしたいのよ。友達もいないし。
困るユウリを見て、はっとする。
あたしはもっと肝心なことを見落としているのかもしれない。
ごく、と小さく喉を鳴らしてユウリを見つめた。
「ユウリ、遠回しな言い方しないで。嫌なら嫌って言いなさい」
「!? っちが……いま、す……」
真剣な言葉を真っ向から否定される。驚いた顔が印象的で、どうしてそうなるんだって言いたげだった。
「じゃあ何なのよ……」
呆れながら最後の一口を食べ終え、皿とフォークをテーブルに置く。紅茶で口の中を潤してからため息を一つつき、カップもテーブルに置いた。
ユウリの言葉から一体何を望んでいるのかがわかりづらい。言い辛いのかもしれないけど、はっきり言ってくれないとわからないのよね。残念ながら。
そう思い、もう一度ユウリに向き合った。
「あんたが何を言いたいのかわからないわ」
「それは、その……」
もじもじしだすユウリ。
その様子を眺めて、とりあえず言い出すのを待つことにした。
ダメならダメって言えばいいのに。ダメというわけじゃない、なんて言い出すから混乱するのよ、あたしが。
「ジェイルもメロもたまに何が言いたいのかわからないのよね。はっきり言ってくれないとあたしも困るのよ。どうしていいかわからなくなるから」
ため息交じりに言うと、ユウリがちょっと微妙な顔をする。どうやらジェイルやメロと一緒にされることが不満だったみたい。
まぁゲーム情報を元にみんなの感情を想像してたから今現在と違うのは当たり前、というか、こないだメロに気付かされた。だからこそ、ちゃんと言われないとわからない。これまでのあたしは誰かの気持ちを慮って行動してきたことはないし、気にしたとしてもそれは伯父様くらいなもの……。多少前世の経験は生きてるけど、ただの女子高生だった前世と今とでは立場が違いすぎる。
やがて、ユウリが意を決したように口を開いた。ちょっと顔が赤い。
「幼い頃からの付き合いだという理由で僕に気を許されると……その、ロゼリア様にとって僕は特別なのかも、って……誤解というか、き、期待をしてしまうからです……!」
言葉をうまく理解できず、ぽかんとしてしまった。
特別? 期待?
なんで?
脳みその中は「?」で埋め尽くされていたと思う。そんなことを考えていたとも思わなかったし、それをあたしに伝えるとも思わなかったから。
混乱したまま、ユウリを指さしていた。
「期待? あんたが? あたしに?」
びっくりしすぎて頭が回らない。
期待って──どういう期待なのかわからないというか、考えたくないというか、いや深くは考えないでおこう。考えてもしょうがない。それこそユウリからちゃんと聞かないと……。
ユウリは控えめに頷く。困り顔に若干の焦りが見えた。
「そ、そう、です。……さっき僕があなたから何か貰えることに意味を見出す人間もいる、って言いましたけど、それは僕にも当て嵌まるんです……。
それだけじゃなくて、あなたの言葉一つ、行動一つに意味を見出す人間は……きっと僕だけじゃなくて……」
大袈裟じゃない? と思いながら、ユウリを見つめる。
けど、大袈裟と言い切れる雰囲気じゃなかった。その証拠に、ちょっと深刻そうな顔をしているから。
僕だけじゃなくて、という言葉の後に具体的な誰かの名前が出てきそうだったけど、ユウリは一度口を閉ざして、奥歯を噛み締めて誰かの名前を飲み込んだようだった。……ちょっと気になったわ。
「ロゼリア様にとってみれば勝手な言い分かもしれませんが、あなたの言動に翻弄されてしまうんです」
「ほ、ほんろう……」
「デ、パートで……僕に抱きついてきた時も、どうしてメロじゃなくて僕だったんだろうって……その、考えてしまうんです。単に目が合ったのが僕だったからって……わかってるんですけど……」
──あ。
今更過ぎることに気付いた。
デパートで何があったのかを誰にも話してないから、周りはメロが言った「ゲ●を見て気持ち悪くなった挙げ句に熱まで出した」と思っている。うわ。そんな勘違いされたままとか絶対に嫌なんだけど……!
アリサに「言わないでほしい」と言われた上に、あの後誰も聞いてこなかったから言ってない。
うーーーん。アリサの制限があるものの話さなきゃいけない……っていうか話したい。でも今話すと南地区への視察が絶対になくなるからなぁ……。
この話は一旦置いておこう。今はユウリの話をちゃんと聞かなきゃ……!
けど、あたしの言動に翻弄されるって……本気?
腕組みをして考え込み、ユウリの顔をまじまじと見つめた。
「あの時のことは……正直忘れて欲しいのよね。あたし自身、咄嗟の行動で深い意味なんてないし……」
「ですよね……。わかっては、いるんです。あの時のロゼリア様は酷く焦っていて、何かを怖がっているようで……それ以上でもそれ以下でもないので、そこに特別な何かを見出すのはおかしいって、わかってます。これが自分本位で、ロゼリア様にとって意味不明なことも……」
「賢いあんたがそこまでわかってるのに?」
「……はい。色々と考えてしまうんです……」
申し訳無さそうなユウリを見つめてため息をつく。
この話、どうなのかしら。あんまり深堀りしない方がいい気がする。
どういう意味であれ、ユウリが何か期待してしまうような言動は控えた方がいいってことよね。ユウリは勉強もしているし、気が散るような言動を避けたい。
「わかったわよ。じゃあ、あんたに対してもちゃんと線引する」
「線引き……?」
「咄嗟にであっても不用意に抱きついたり食べかけをあげたりしない。仕事以外で距離が近いと思われるような行動はやめる」
肩を落として、両手を肩辺りまで持ち上げた。わけわかんないから降参って意味合い。
すると、ユウリは一瞬ぽかんとしてから、拗ねたように口を尖らせた。
「……。そ、れは、……い、嫌です」
「はぁ?!」
こうするしかないでしょって提案を拒絶され、あたしは当然のように変な声を出してしまった。




