139.視察のこと①
ジェイルの変化を噛みしめて数日後、ユキヤから連絡があった。
執務室で資料を見ていたところだったので丁度良かったわ。正直、あんまりやることなかったし。
そういえば最初に聞いていたのはユキヤが調査に赴き、その後でジェイルも様子を見に行くという話だったけど……それってどうなったのかしら。
『ロゼリア様、こんにちは』
「こんにちは。どうだった?」
やや性急かもしれないけど、どうしても気になる。
答え合わせみたいで少し緊張。熱を出していた時に言った言葉だし、合ってるとは思うけど万が一があったらどうしようって心境だった。
『結論から言えばほぼクロと言えそうでした』
「ほぼ?」
『思いのほか警備が厳重というか、簡単に傍には近寄れなくて……確実な証拠を押さえるところまではいかなかったんです。ただ、状況証拠としてはほぼ十分だと思います』
ゲームだとすんなり倉庫の中まで入れて、悪だくみをしているロゼリアとアキヲをまとめて糾弾できるところまで進められたけど、現実にはそんなにうまくいかないのよね。ユキヤもアキヲの目があるから、あんまり大胆な行動はとれないでしょうし。
状況証拠だけか……。
じゃあ、確実な証拠って? と聞かれると難しい。
まだ何も始まってない計画段階だから。
「わかったわ、ありがとう」
『いえ、とんでもありません。ただ──……』
そこでユキヤが口籠ってしまった。なんだろうと思い、首を傾げる。
執務室の無駄に立派な椅子に腰掛け、背もたれに凭れかかって足を軽く揺らしながらユキヤの続きを待つ。変な話だったら嫌だなと思うけど、何も言われないままユキヤが思い悩んでいるよりはずっといい。
『……申し訳ありません。今更、少し悩んでしまって』
「……。……あんたにとっては血の繋がった父親だものね」
思わずため息が漏れる。
状況証拠のみとは言え、アキヲを追い詰められそうなところまで来ている。ということは、ユキヤはいよいよ親子の縁を断ち切らねばいけないところで──悩むのは当然だろう。アキヲは正直人間としてどうかと思うけど、あんなんでもユキヤにとっては父親で──……。
『あ、いえ、すみません。そうではないんです』
「は?」
『誤解を招く言い方でしたね。父を切ることに関しては覚悟を決めているので……そこで悩むつもりはありません。私が何かしなければ、南地区の何も知らない住民たちに迷惑がかかるだけです。親子の縁と善良な住民たちの安全……正直、天秤にかけるまでもありません』
ユキヤは笑った。軽い口調だった。
その軽さが逆に不自然で、あたしの不安を煽る。
あたしはユキヤに協力をすると誓ったのだから、ユキヤの覚悟を無駄にする気も、願いを断る気もない。
けれど、だとしても、辛いだろう決断を何でもないようには受け止められない。
あたしは数秒間の間に散々迷い、ゆっくりと深呼吸をしてから口を開いた。
「ユキヤ、無理してない?」
空気が震えたような気がした。ユキヤの息を飲む気配が微かに聞こえた。
別にユキヤの過去をユキヤの口から直接聞いたわけじゃないけど、ゲーム情報として知っていることがある。
ユキヤが幼い頃はアキヲはもう少しマシだったらしい。幼少時、勉強や運動などで良い成績を取れば、普通の親らしく褒めることもあったそうだ。普通よりも少ない頻度ではあったようだけど、親に褒められて嬉しくない子供はいないと思う。小さい頃の記憶などずっと忘れていて思い出すこともなくここまで来たものの、父親を切ると決めてからはそんなことを思い出すようになった──と、ゲームの中で語っていた。
それが今のユキヤにそのまま適用はされないかもしれない。
ひょっとしたら、あたしが思う以上にアキヲのことを嫌って、いや、憎んでいるのかもしれない。
けど、やっぱり心配なのよ。──推しだからね。
「止めようって言うんじゃないのよ。やると決めたなら最後までやりきりましょう。
けど、……辛いのに無理しなくてもいいのよ。平気なふりもしなくていいの」
これは本当に本心。推しだからって気持ちもあるけど、やっぱり周りの人間には笑っていて欲しい。
──ああ、随分考えが変わったわ。
以前はあたしと伯父様以外は全員不幸になってしまえって思ってたのに、今ではそんなことは欠片も思わなくなっていた。
ユキヤはしばらく無言だった。
無言の意味がわからなくて無駄にドキドキする。変なことを言ってしまったんじゃないか、って。
ゲーム情報に基づいてるから大丈夫、とも思えなくなったのも不思議だわ。これはメロの一言があったからだけど。
やがて、震えるような吐息が聞こえてきた。
『す、みません……ご心配を、おかけして……』
「余計なお世話だったら──」
『いえ、そうではないんです。……少し、言葉にしづらくて……』
ユキヤが説明をしようとしているのが伝わってきた。
でも、別に無理に話をさせたいわけじゃない! ちょっと慌ててしまった。
「本当に無理しないで。何もかもをあたしに話す必要なんてないんだし……」
『ありがとうございます』
ユキヤがほっとしたのが伝わってきた。色々聞きたい気持ちはもちろんあるけど、聞いても気の利いたことなんて言えないしね……。そう考えるとあんまり聞かない方がいいような気がするのよ。ゲームの中のアリスみたいに上手に慰めてあげられるとは思えないし、そもそもゲームと違うからなんて言っていいかわからないし……!
この話題から離れなきゃと思って、別の話題を探す。
「あ、そうだ。あたしが視察に行きたいって話、ジェイルから聞いた?!」
『えっ。あ、はい。聞いています……』
突然の話題転換に驚くユキヤ。うう、ちょっと強引だったかしら?
けれど、話題を無理やり逸したにも関わらず、ユキヤは合わせてくれた。
『ジェイルが了承するのは意外でした。ただ、警備のこともありまして、そもそもどうやって現場まで近付こうかと二人で頭を悩ませている最中なんです。視察のご提案ができずに申し訳ありません』
「それはいいんだけど……そんなに厳重なの?」
『見慣れない人間が近づくと必ずチェックされます。近づき難い雰囲気もあって、8番倉庫周辺だけ少し異様でした』
「……ユキヤはどうやって近づいて確認したの?」
ユキヤが近づいたら目立つだろうな。アキヲの息子だし、計画には関わってないし、絶対に近づいて欲しくない人間に違いない。
そんなことを考えているとユキヤの小さな笑い声が聞こえた。
『変装をして周囲の様子を窺いました。ただ、私ではどうしても怪しまれると思い、正面で周りの人間の気を引いて、ノアにこっそりと中に入ってもらったんです』
「ノアが!? 大丈夫だったの?!」
思わず声を荒げてしまった。中に侵入したってことでしょ? 危険すぎない?
驚いているとユキヤがまた笑う。
『ロゼリア様が心配していたとノアに伝えますね』
「ちょ、冗談言ってる場合じゃないのよ……」
『申し訳ありません。ノアの発案で、どうしても自分にやらせてくれと聞かなかったもので……ただ、ああ見えてノアはとても優秀なんですよ。今回も問題ありませんでした』
「ならいいけど……」
安心したものの、ノアも結構無茶するのね。よほどユキヤの役に立ちたいんだわ。
って、あたしは別にノアみたいに中まで侵入したいわけじゃないのよ。
現場を見たいのと、周辺の様子が知りたいだけで……。
「ユキヤ、変装して近くまで行ったのよね?」
『はい、そうです』
「なら、あたしも変装するわ。倉庫街の様子が知りたいだけだから」
『……え』
ユキヤのどこか間の抜けた声が聞こえた。
そう、変装。変装すればいいのよ。
まさか、ジェイルたちはあたしがいつものままじゃなきゃ視察に行かないとでも思ってたの?