12.決意と覚悟
向かった先は自室。
部屋の奥には存在すらも忘れていた備え付けの金庫がある。その金庫は小さめで何でもかんでも入れられる大きさじゃなかった。その場に屈みこんで金庫を見つめる。
ダイヤル式で、解除番号はあたししか知らない。
もうずっと開けてない。正しくは、両親が事故で亡くなってから、ずっと。
深呼吸してから、ゆっくりとダイヤルを回す。
カチリと控えめな音がして鍵が解除された。
こわごわと扉を開ける。
中には黒い漆塗りの箱がしまわれていた。
入れた時のまま、金庫の中は時が止まっているよう。
今のあたしにはこれに触れる資格がないんじゃないかしら? なんて殊勝なことを考えてみたりもしたけど、これは紛れもなくあたしのもの。
だから、あたしがどう使おうと自由のはず。
もし文句をつける権利があるとしたら伯父様くらいね。今からの使い道は黙って見守っててくれそうだけど……。
あたしは箱を大切に両手で持ち、ゆっくりと立ち上がった。
なんだか緊張するわ。
ユキヤを待たせてるから早く戻らないと……。
自室を出たところでユウリに出くわした。
「ロゼリア様……!」
「ユウリ?」
ユウリが何だかほっとしたようにあたしに近付いてきた。
「あ、す、すみません。その、ジェイルさんにロゼリア様の様子を見てくるように言われまして……」
「もう戻るわよ」
話の途中で出てきちゃったから変なことしてるとでも思われたのかしら。まあ、そうじゃなきゃわざわざ「様子を見てこい」なんて言わないわよね。あたしの家なんだし。
そういう意味では本当に信用されてない。わかってたけど。
ユウリの横を素通りしようと一歩踏み出したところで、ユウリが目を見開いた。
視線の先はあたしが持ってる箱。
「ロ、ゼリ、ア様、それ、は、」
「今から使うのよ」
「い、今から……?!」
「っていうか、あんたこれのこと知ってたの?」
「え。もちろんですよ、それはロゼリア様の十歳の誕生日に、……」
なんでそんなことまで知ってるの?
いや、ひょっとしたらその場にユウリもいたかしら。
あたしが十歳の時、両親が事故でなくなった。
そのほんの少し前の誕生日に両親と伯父様の三人から渡されたもの。誕生日プレゼントとは別にくれたんだけど、その場にユウリもいたのかどうか……ちょっと思い出せないわ。
というか事故前後の記憶が曖昧。特に事故後はしばらく塞ぎ込んでて、全てを紛らわすみたいに勉強に没頭してて、それ以外に何をしていたのかよく思い出せない。
「……ユウリはあたしがこれを悪用すると思ってる?」
「えっ」
ユウリが目を見開いた。直後、目が泳ぐ。答えられないらしい。
あたしはちょっと笑ってしまって、そのあと溜息をついた。
「これの存在自体、ずっと忘れてたの。酷い話よね」
ユウリは黙り込んだまま、そっとあたしに視線を戻した。何か言いたそうにしていたけど聞く気はない。
箱をそっと撫でながら視線を伏せる。
「あたし自身、ずっと酷い人間だったけど……今になってそれを理解していても、まだこれまでの行いを悔いるところまでは行かないの。だって、あたしは自分が傷付いた分を誰かにやり返してもいい権利を持ってる人間だって疑ってこなかったから。実際それができたしね」
「……ロゼリア様」
「でもいい区切りができたわ。これからは、そういう風に考えるのは……やめるようにする。そのためにこれを使うの」
それだけ。と言って、ユウリの横をすり抜けた。ユウリがどんな顔をしてたのかわからない。
「やめる」とは言い切れなかった。
だって、本当にこれまでのことが悪いとは思ってないんだもの。ユウリに話した通り、あたしには『やり返す権利』があると思ってた。そして実際憂さ晴らしみたいに色々とやってきたのよ。
両親とエリーゼさんの死は対外的には事故ってことになってるけど、九龍会に恨みを抱く人間がやったらしい。全部伯父様が処理してしまって、あたしには『事故死』としか伝えられてなかった。とは言え、伯父様が隠そうとしたってあたしの耳に「実は事故じゃなくて……」と吹き込んでくる人間はたくさんいた。
あたしにも復讐する権利があったはずなのに、その相手は既にいなかった。
そして、あたしのやり場のない復讐心は無差別に周囲に向かった。
復讐心が晴れることはなく、前世を思い出し、自分自身の運命を知る。
死ぬのが嫌なのと、これ以上自分のせいで何かが壊れるのを見たくないだけ。
因果応報なのはわかってても、やっぱり死ぬのは嫌。
……あたしが本当の意味で反省して、これまでの行いを悔いる日が来るのかしら。
箱を撫でて考えてみるけれど、うまく想像できなかった。望んでないのかもしれない。
けれど、今日のことで一度それを手放そうと思ったのよ。死にたくないからって理由と、仮に殺されなくてもここでやめないと取り返しがつかなくなるって感じたから。
応接室に戻り、ノックをしてからゆっくりと扉を開ける。
目の前にはメロが立っていた。どうやら扉を開けようとしてくれたらしい。
「あ、お嬢。遅かったっスね。お茶とか準備できてるっスよ」
「そう。わかったわ」
あたしは箱を抱えたままさっきまで座っていたソファに戻る。
メロが箱を見て目を見開き、息を呑んでいた。メロもこれのこと知ってたのかしら。
ユキヤがノアの背中を撫でている。ノアは泣いてこそいなかったものの、目と鼻が赤くて、さっきまで泣いていたんだろうってことが想像できた。
ノアの横、ユキヤの反対側にはキキがいて、ノアから濡れタオルを受け取っている。泣いたノアに持ってきてあげてたみたい。キキも気が利くいい子なのに、あたしは文句ばかりだったわ。
キキが濡れタオルを持って立ち上がり、あたしに会釈をした。
そしてあたしの持っている箱を見て目をまんまるにする。けど、何を言うでもなく驚いた顔のまま、そそくさと応接室を出て言ってしまった。
……そっか、キキとユウリとメロは、昔から一緒だったからあたしがこれを受け取った時にもいたのね、きっと。あの頃の三人とはあんまり上下関係もなくて友達みたいな感じだったけど、随分と関係が変わっちゃった。
それも、あたしのせいだって頭ではわかっていても、他人事みたいに考えちゃう。
だって仕方ないじゃない、って。
「お嬢様、その箱は……?」
ジェイルが不思議そうな顔をしている。あとはユキヤも。
二人は当然これが何なのか知らない。
あたしはその箱を膝の上に乗せたまま、ゆっくりと蓋を開けた。
「ユキヤ」
「は、はい」
「さっきの話。返事をちゃんとしてなかったわ。……あたしにも原因があるから、喜んで協力するわ。必要なことは遠慮なく言って。あたしに言い辛ければジェイルに伝えて」
「あ、ありがとうございます……!」
「けど、あんたはあたしの口約束ひとつじゃ不安なんじゃない?」
「! いえ、そんなことは──……」
蓋を脇に避けておいてから、箱の中身が見えるようにテーブルに置いた。
中を見ればユキヤとジェイルはこれが何なのか検討がつくんじゃないかしら。
「だから、『これ』を使うことでただの口約束じゃないって証明にさせて頂戴」
中に入っていたのはあたし専用の印章。
希少な鉱石で作られた、この世に一つしかない印章。
要は契約書なんかに捺印する実印みたいなもの。伯父様も相手に誠意を見せたい時や違えることができない約束をする時に使っている。
九条家の血族だけが持てるものでお母様も持ってた。
大切な時に使うものだと、渡された時にお母様と伯父様に説明されたわね。世間では九条印って呼ばれてる。
「お嬢様、それは……!?」
「昔、お母様とお父様、それから伯父様の三人から直接渡されたのよ」
「……九条印を、お持ちだったのですね」
「一応ね」
笑いながら答えると、ジェイルが息を飲んだ。
ジェイルはあたしが一回も見せたことがないから持ってないと思ってたらしい。そりゃ今日まで忘れてたんだもの。見せる機会なんてあるわけがないわ。覚えてたとしても使わなかったでしょうしね。
九条印だと聞いたユキヤが動揺した。どうやらユキヤもあたしが九条印持っているとは思わなかったみたい。
「ユキヤ、これで証明になるかしら」
「もちろんです。これ以上の証明はありません。願ってもないことですが……よろしいのでしょうか?」
「これくらいしないとあんたはあたしを信じないでしょう? ジェイル、これが印影。あんたは伯父様の九条印を見たことがあるでしょ、確認してみて」
「は、はい……」
そう言って箱の中に入っていた印影をジェイルに渡す。珍しく狼狽えているのがおかしかった。
コピーや類似品を作成されないように九条印にも作成ルールがあり、製作者や作成方法は代々秘匿されている。
『九龍会』に因んで龍、そして本人もしくは実親が指定した植物を入れることが条件で、あとは細かに色々と。歴代の九条印は登録されているし、使えるのは生きている九条家の人間のものだけ。
つまり、今存在している九条印は伯父様のものとあたしのものだけってことになる。
貴重なのよ、ものすごく。
「……はい、間違いなく、九条印ですね」
「心配なら伯父様にあたしの九条印について確認してくれればいいわ」
「承知、しました……」
印影を返してもらい、箱に収める。これも大切だから雑には扱えない。
ここまで言ってジェイルが確認するかというと、多分する。伯父様に「ロゼリアは九条印を持っているかどうか」くらいは確認してくるんじゃないかしら。
流石にあたしが偽造するなんて思わないでしょう。
……いや、わからないわね、これも。正直どこまで信用してくれるのかも自分じゃわからないわ。
それはそれとしてあたしの九条印はこれまで使ったことないからちゃんと印がつくのか不安。
試したいけどジェイルがうるさいこと言ってきそうだわ。
「あ」
「お嬢様?」
「ジェイル、紙とペンを持ってきて。書くものがないとこれも押せないわ」
「はい、承知しました」
ジェイルはあたしのリクエストを聞くべく、部屋を出て行った。
箱だけ持ってきても意味がなかったわ。とにかくこれで信じてもらうしかないって考えてて、他のことが抜けていた。間抜けだったわ。
「ユキヤ、内容は『九条ロゼリアが南地区の治安維持のため、湊ユキヤに協力を惜しまない』って感じでいいかしら」
「はい、それで十分です」
「本当ならもっと細かく条件なんかをつけるところなんでしょうけど……あんたが約束を違えたり、都合よく解釈はしない人間だと思ってるから、その点には関しては信用する」
「あ、りがとう、ございます……」
意外そうに瞬きをするのを見て小さく笑う。
これくらいしないと本当に信用してもらえそうにないのよね。
メロじゃあるまいし、後になって「協力を惜しまないって言いましたよね?」なんて無理難題をふっかけてくるタイプじゃないからいいでしょ。
「南地区の平和が確信できて、あたしの協力が不要になったと感じたら教えて頂戴」
「かしこまりました」
そんなやり取りが終わったタイミングでジェイルが用紙と、書き終わった後に入れるための封筒をテーブルの上に置いた。
用意してくれた紙も封筒も、品があって綺麗だわ。