117.オフレコ⑮ ~部屋の外のことⅠ~
「これからは絶対に勝手に入らないでください」
キキが目の前で苛立った声を発していた。
腕組みまでしているせいで、自分たちよりも身長が低いのに結構な威圧感がある。
メロもハルヒトも「はい」と返事をするしかなかった。「入るな」と言われていたのにロゼリアのことがどうしても心配で部屋に無断で入ったのは事実だったのだから。ロゼリアが「氷嚢を変えて欲しい」と言ってくれたことで多少は緩和しているのだろうけど、それにしてもキキは少し怒りすぎな気がする。
これまでであれば、キキがこんな風にロゼリアのことで怒ったりするなんて絶対になかったのだから。
「メロ」
「……んだよ」
メロはふてくされた態度になってしまった。メロとハルヒトがキキの前に並べば、メロの方が責められるのは自明だからだ。キキが単純に客人であるハルヒトに言い辛いというのもあるだろうが、どうにもキキはメロのことを雑に扱う。
「しっかりしてよね。あなただってロゼリア様が熱を出されるなんて滅多にないことだってわかってるでしょ?」
「いや、だからこそ心配だったんだって……」
「熱が上がってるからちゃんと休んで頂く必要があるの。わかる?」
「わかってるっつーの。……ちょっとだけじゃん」
別に長居をしたわけではない。ちょっと顔を見に部屋に忍び込んだだけだ。
無論、その『部屋に忍び込んだ』という事実にキキが腹を立てているのはわかる。が、キキと墨谷がメインで看病をしていて、そこにジェイルとユウリが組み込まれているのが気に食わないのだ。ハルヒトはともかく自分のことは入れてくれてもいいのにと思っていた。ジェイルとユウリも最初はお断りされていたものの、二人が熱心に墨谷を説得して組み込んでもらったと言う経緯もある。
面白くない気持ちでいると、隣で一緒にキキに叱られているハルヒトが申し訳無さそうに口を開いた。
「……キキ。ごめん、オレがどうしてもってメロにお願いしたんだよ」
「ハ・ル・ヒ・ト・さ・ま?」
「は、はい」
キキはいつになく強気だった。ハルヒトも気圧されている。
こんな風に客人であり目上の人間に物申せるだけの胆力があることに純粋に驚いた。以前、ロゼリアの前ではかなりビクビクしていたのにそんな影はない。
ガロ以外の周りの人間全てを雑に扱っていたロゼリアが、いつからか周囲の人間を尊重するようになった。その影響だろうか。ジェイル、ユウリ、キキの三人は特に尊重しているように思う。メロの扱いはあまり変わらないのに。
ずい、とハルヒトの前に進み出るキキ。ハルヒトが少しだけ引いた。
「まず、ハルヒト様にその気持ちを抑えていただきたかったのが一つ」
「う、うん」
「二つ目、その話を聞いたメロがハルヒト様をお止めしなかったこと。三つ目、……ハルヒト様、メロに話すのが一番早いと判断してメロに話しましたね? 私でも墨谷さんでもなく」
すーっとハルヒトの視線がキキから外れる。
図星なのだろう。
いや、メロもハルヒトに「ロゼリアが心配だから顔が見たい」と相談された時に何故キキでも墨谷でもないのかと不思議だった。だが、あの二人に顔が見たいと相談してもまずは「せめて熱が下がるまで」と止められるのが関の山だろう。そして、そこから交渉に入るのが面倒だったのでメロに話を持ってきたのが後でわかった。
メロならこっそり入るタイミングなどがわかると思っていたのだ。ハルヒトに相談されなくてもメロは勝手に一人で忍び込むつもりだったので共犯者ができてラッキーだった。
こうして、キキの怒りも分散されているので。
「……ご、ごめん。本当に悪かったよ。ずるい真似をして」
「ずるいという自覚があるんですね。……ロゼリア様、昔からそういう真似は好きじゃないですよ」
「えっ!?」
ハルヒトがぎょっとするのを見て、笑いそうになるのを堪えた。
確かに間違ってない。ロゼリアはずるやせこい真似が好きではない。けれど、それはロゼリアが公明正大な人間だからとか、そういう話ではなかった。
単純に自分が出し抜かれるのが嫌なだけだ。常に誰よりも優位でいたい人間だからである。現に自分が優位であるために卑怯な手を使うことは昔であればままあった。今はないけれど。
キキも上手く言うなぁと感心していると、余計なことは言うなと言わんばかりにメロが睨まれた。
「……そ、そうなんだ。ロゼリア、ずるいことは嫌いなんだ……」
「好きな人間はいないと思います。とにかく、ハルヒト様もロゼリア様が心配なら今はお静かにお願いします」
「わかったよ。──キキ、ありがとう」
「……え?」
礼を言われたキキはキョトンとしている。多分、キキはハルヒトに嫌われてもいいくらいのつもりで説教をしたはずだ。自分がその立場にないことも理解した上で。だが、墨谷やジェイルに「どうしても一言言いたい」と申し出て二人の前に立ったのだろう。
だからこそ、こうして礼を言われることに驚いている。
ハルヒトは眉を下げて笑っていた。
「こういう風に叱られた? のが、初めてでさ。これまで立場をもっと意識しろとか余計なことをするなって言い方しかされてこなかったから……キキ、君は一貫して『ロゼリアのことが心配なら』って話をしてくれて……オレもメロも、自分のことばっかりだったなって……うまく言えないんだけど、こうして言ってもらえてよかった。だから、ありがとう」
そこで自分を巻き込まないで欲しい──と思ったものの、メロは流石に口を挟めなかった。
ハルヒトは素直だ。噂で聞いた境遇であればもっと擦れててもよさそうなのに、端々から育ちの良さを感じる。この辺はロゼリアと正反対だった。ロゼリアは逆にもっとおおらかに育っててもよかっただろうに、両親の事故とその後のガロの甘やかしのせいで性格がひん曲がってしまったのだ。
キキは驚いた顔のままハルヒトを見つめていたが、やがて少し顔を赤らめてふいっと顔を背けた。
「わ、私はロゼリア様付きですから……これくらいは当然です!」
「そっか、偉いね。キキは」
悪意なさそうなハルヒトの笑みを目の当たりにしたキキはこれ以上怒るに怒れなくなったらしく、苛立ち紛れにメロを見ていた。自分に怒りが飛び火すると思い、ぎくりと身を固くする。
「メロ、ちゃんとハルヒト様を見ていて!」
案の定こっちの矛先が向いてきてげんなりした。これ以上ハルヒトには文句を言えないと判断したのだろう。素直に謝っているので言えないのは最もだし、メロの態度にも問題があるので矛先が向いてくるのはある意味仕方がない。
「いや、ハルくんの面倒はユウリが見るって言ってたじゃん……」
「ユウリは看病もお願いしてるから……いない間はあなた!」
「へいへい。わかったって。……それはそれとしてさぁ、アリサは?」
「え、アリサ? 洗濯物を頼んでるわよ。昨日、体調不良だったから看病に回すわけにはいかないし……」
その話を聞いて少し目を細めた。
今日、アリサは普通に椿邸に出勤してきている。
キキの言い分は当たり前だ。ロゼリアは熱を出しているし、アリサは昨日体調不良だと言って休んでいたので、どちらにも配慮して看病をさせないのは当然の話だった。
「キキ、アリサってさ……看病したいって言ってなかった?」
「言ってたわよ。でも、今と同じことを言って諦めさせたわ」
やっぱりなと思いつつ、アリサとしてはその理由で諦めるしかないのは事実だ。キキが許可を出さなかったことにほっとしている。
メロとキキはアイコンタクトを取った。
一瞬のことだったが、これで意図が伝われば──と思っていると、キキがハルヒトに視線を向ける。
「ハルヒト様」
「え、なに?」
「水田さんがロゼリア様のためにゼリーを作るんだそうです。一緒にお手伝いしませんか?」
「いいの?」
「直接の看病はご遠慮頂くしかありませんが、よろしければ……」
「もちろんだよ。料理ってしたことがないから、ぜひ手伝いたいな」
意図は伝わったようだ。ハルヒトから離れてアリサのところに行きたかったので、キキがうまくハルヒトを誘い出してくれて助かった。
「メロは来なくていいわ」
「頼まれてもいかねーよ」
いつもの塩対応もその一環、と思いたかったが、どうにも実感が籠もりすぎている。多分本心だ。
ハルヒトはそのやり取りを見てくすくすと笑っていた。
「行きましょう」とキキがハルヒトを誘う。ハルヒトは嬉しそうにキキと一緒に厨房に向かった。その背中を見送りながら、洗濯物だっけとさっきの会話を思い出しながら、踵を返して歩き出す。
一瞬だけ、背後からハルヒトの視線を感じた気がしたが、今は気付かないふりをした。




