114.帰路②
「お嬢様、水を買っておきましたのでよろしければお飲みください」
「うん、ありがと……」
運転席のジェイルからそう言われて薄目を開ける。確かに水の入ったペットボトルが用意されていた。後で飲もうと思ってもう一度目を閉じる。
ユウリはぴくりとも動かなくて、凭れ掛かるのにはかなりよかった。
けど、緊張が伝わってきてしまって心情的に落ち着かない。デパートのベンチでこうしていた時は緊張も僅かだったのに、一体どうしたのかしら。今はジェイルがいるくらいで、デパートの方が人目につく感じだったのに……。
「……ユウリ、やっぱり膝貸して」
「えっ?!」
返事を待たずにユウリの膝を枕にして横になった。あ、こっちの方が楽だわ。
ユウリが固まったのがわかったけど肩を借りてる時みたいに緊張はそこまで伝わってこなかった。緊張しているのには変わりないけど、顔の近さとかその辺りの違いかしら。もうこのまま寝ちゃおうかな……。
トイレで起きたことや、そこから発生した恐怖と緊張から開放されたせいか、少しだけ眠気が襲ってきた。
ついたら起こしてくれるだろうし、本当にこのまま寝てしまいたい。なんか本当に疲れたし。
そんなことを思いながらウトウトし出したところで三人がヒソヒソと話をしだした。
「……ユウリ、寝た?」
「た、たぶん……?」
ものすごく声を押し殺してるのはわかるけど、狭い車内じゃ聞こえない方がおかしいのよ。メロとユウリの距離はメロとあたしの距離と同じだから全然変わらないもの。
とは言え、わざわざ「起きてるわよ」と言う気にもならずに、眠るまでの間は会話を聞くことにした。何を話すか興味もあるしね。
「……結局、お嬢様に何があったんだ?」
「だから、トイレでゲロ見ただけだって」
「俺がそれを信じると?」
「一旦信じろよ」
ジェイルが少し苛立っていた。メロはそんなジェイルをせせら笑っている。あくまで小声。
まぁ、でも、そうか。気になるわよね。メロの言うことがいまいち信用できないっていうのもあるし、あんなの口からでまかせだと思われたってしょうがない。あたしが言わないからメロがああやって取り繕ってくれただけで……そう思うとメロに嫌な役を任せちゃったわ。
ユウリの手があたしの頭に触れた。まるで小さな子供を撫でるみたいな手つきであたしを撫でていた。悔しいけど気持ちがいい……。
「ジェイルさん、……その、ロゼリア様に何があったのか、僕らも知らないんです」
「……何?」
ジェイルの声量が少しだけ上がる。すかさずメロが「しー!」と注意していた。
「ロゼリア様に何があったのかはわかりません。けど、様子がおかしくて……あのまま続行は難しいと判断したので、メロがああ言ったんです」
「そ、そうか……。そういうことなのか……。……花嵜、悪かった」
「おまえがおれに謝るとか明日槍でも降る……?」
ユウリの説明を聞いたジェイルはしっかりと小さな声でメロに謝罪していた。メロは驚いているし、あたしもジェイルがメロに謝るとは思ってなかったから驚いている。ついでにユウリも驚いているっぽかった。
目を閉じてウトウトしているものの、何だか気になってしまって本格的に入眠できない。ユウリの手があたしを眠りに誘おうとしているのに、会話に集中してしまう。
「自分に非があると分かれば謝罪するに決まっているだろう」
「……うっそだぁ。おまえがそうやって言うのってさぁ……。……いや、やっぱりいいや」
何よ、気になるじゃない。
そこからしばらく無言だった。眠るあたしに配慮したのか、はたまた単純に話題がなかっただけなのか。静かなせいで当然眠気が徐々に大きくなっていく。
メロとユウリが話してたり、ユウリとジェイルが何かしら話をしているところは見かけるんだけど、メロとジェイルは馬が合わなくて積極的には会話をしないのよね……。メロがジェイルにちょっかいかけてはいるものの、ジェイルは相手にしないし。ゲームの中ではそういう馬が合わない感じも楽しんでたんだけど、いざ間に入ると何とかしたいという気持ちが芽生える。
人と人の問題だからそう簡単にはいかないのはわかってるけどね。
「……ジェイルさん、お願いがあります」
ユウリは声を潜めて呼ぶ。ジェイルの意識がユウリに向くのがわかった。
「なんだ?」
「あの、今日はロゼリア様を休ませてあげたいです……」
「……戻ったら自分がお嬢様に根掘り葉掘り聞くとでも?」
「あ、そうじゃないんです。……その、屋敷のみんなが騒ぎそうなので……静かにするように言って頂けないかな、と……」
「そう言う意味か。わかった」
ユウリって本当にそういうのに気を回すのよね。
ゆっくり休みたいのは確かだから、ありがたい反面なんかちょっと悔しい。見透かされているみたいで。
「お嬢が体調崩すの珍しいもんなー……風邪も滅多に引かねーし」
「確かにな」
「ジェイル、あとで会長に連絡したら?」
「……ガロ様は連絡したらすぐに飛んできそうだな。タイミングを見て連絡をする」
うっ、そうだわ。伯父様に知られたら絶対すっ飛んでくる……!
無駄に健康優良児だから、昔も風邪を引いた時は全部放り出して来てくれたっけ。今もそうなるのかしら? 食べやすいフルーツとかお見舞いの品を色々持ってきてくれたのを思い出す。
心配をかけたくないけど、心配されるのはちょっと嬉しいのよね。
「来てもいいけど、明日以降にしてって伝えれば?」
「まぁ、そうだな。そうする」
明日なら流石にマシになってるわね、きっと。長引くなんて思いたくない。
三人の声に耳を傾けてはいてもやっぱりなんだかんだで疲れているらしく、眠気が強くなってきた。ユウリが撫でるのをやめないのも入眠導入剤になっている気がする。
相変わらず何か話をしているみたいなんだけど、段々と声が不鮮明になっていった。
「つうか、……イルって、今日……に、……モヤモヤしてたんじゃ──」
「何故だ。自分が……なこと……わけがない。大体……は途中──」
「ひ……だから、しょーが……キヤくんだって、今日は──」
「メロ……のことを、そんな……んじゃダメだって──」
「そうだ……全く、……お嬢様が、……どう──」
「うるせー。……いんだよ。お嬢が許──」
「許すわけ……、を焼いて……──」
「妬いてる? お前ら──」
「なんでそう──」
限界。
あたしの名前がちらほら出てきたから気になって意識を保ってたけど、本当に限界だった。
すっと落ちるように眠ってしまった。ユウリの膝は硬すぎなくていい感じだから、枕としてはかなり優秀。ジェイルやメロの膝は硬そうよね。
◇ ◇
「……さま、ロゼ……様。……ロゼリア様」
揺り起こされて目が覚めた。
ぼんやりとした視界は数回瞬きすることでクリアになる。ユウリがあたしのことを覗き込んでいた。漏れ出そうになったあくびを噛み殺す。
「……ついた?」
「はい、着きました。起きられますか?」
「ん……平気……」
のろり、と身を起こす。窓の外を見ると確かに椿邸だった。
運転席と助手席に人影はなく、既にジェイルとメロは降りているみたい。そう言えば車の中で使用人たちが騒がないように注意をするって話をしてたし、多分人払いをしてるんだわ。
あたしがドアの手を伸ばすと、ユウリが少し慌てた。
「ロゼリア様、僕が開けますのでお待ち下さい」
「わかったわ。よろしく」
ユウリが車を出て、車の周りをぐるりと回ってきてドアを開けた。
そしてあたしに向かって手を差し出してくる。特に疑問にも思わずにその手を取った。
「このままお部屋に向かいましょう」
「うん。……ユキヤたちは?」
「まだ到着されていません。ご挨拶は僕がしておきますので……ロゼリア様はもうお休みください」
「……しょうがないわね」
本当ならユキヤの見送りくらいしたかったんだけど、何だかだるい。ここはユウリの言葉に甘えておくことにした。ユウリに手を引かれるような形で自室に戻り、そのままベッドに倒れ込む。
すぐにキキが血相を変えて飛んできて、その様子を見て「大げさよ」と笑っしまった。
化粧を落として着替えをして、ベッドに潜り込む。あっという間に眠りについたのだった。




