113.オフレコ⑭ ~ユキヤとノアとハルヒトⅡ~
「ユキヤと同じで回答に困るな~っていうのが正直なところなんだよね」
「そう、なんですか……?」
間抜けな返事がノアの口からうっかりこぼれる。
ひょっとしたら「好き」という明確な答えがあるかもしれないと思っていたので、腕組みをしながら言葉通りに困った顔で答えるハルヒトに少し拍子抜けしてしまった。
ただ、一緒に行動をしていた時のハルヒトはジェイルのように微妙な表情はしていなかった。羨ましそうな空気は出ていたものの嫉妬ではなく、ユキヤとロゼリアが楽しそうにしていることへの憧れのように見えていたのだ。
ルームミラー越しにハルヒトと目が合った。
「君たちは口が堅そうだから言うけど……純粋に興味はある状態って感じかな?」
「興味……?」
「今のところは嫌いじゃないし、何ならユキヤと同じで好きだと思うし……ロゼリアのこと、もっと知りたいと思うよ」
それは──恋愛感情に近いところにあるのでは、と思ってしまった。
その考えを打ち消すようにぶんぶんと首を振る。普段のハルヒトとロゼリアがどんな感じなのかさっぱりわからないし、完全に部外者のノアが勝手に想像を膨らませるのはまずい。そうなんだ、くらいで済ませておくのが得策だろう。
「……いいですね。羨ましいです」
不意にユキヤが呟いた。独り言のつもりだったろうに完全に声に出ていた。
ノアもだが、ハルヒトも驚いている。一体何が羨ましいのかと。
ユキヤは一瞬だけ「しまった」という顔をして、すぐにいつもの顔に戻った。ユキヤにしては珍しいミスだった。
当然のようにハルヒトの興味がユキヤに向く。
じいっと横からユキヤのことを見つめるものだから、どこかユキヤは居心地が悪そうだ。
「羨ましいってどうして?」
「いえ、何でもないんです。どうか忘れてください」
「流石に今のは忘れられないよ。──ユキヤ、君はロゼリア以上に立場を気にしているように見える。逆にオレはそういうものには無頓着で……どうせオレは何か話を聞いても、それを話す相手もいないんだし、話してみない?」
ユキヤはしばらく無言だった。
葛藤が伝わってくるようだ。ユキヤにはそういうことを話せる人間がいない。ノアに話してくれていいのに、ユキヤはノアにも気を遣う。ならジェイルという友人もいるが、ロゼリアのことはジェイルには言えないだろう。
ハルヒトはユキヤの顔に穴を空けるんじゃないかと言う勢いで視線を送っている。
やがて、ユキヤは諦めたようにため息をついた。
「……興味があってもっと知りたいと思っても、今の状況や未来のことを考えるとこれ以上近づくべきではないとブレーキをかけてしまうんです。だから、そういうブレーキがないあなたが羨ましいというだけで……お気を悪くされたら申し訳ございません……」
観念して白状しながらも申し訳無さそうな様子だった。ハルヒトはなんとも言えない顔をして頷いている。
「そうだよね……本来なら、そういうブレーキがかかるものなんだよね……。
けど、ユキヤはそう思いながらも今回のデートを取り付けたわけだよね?」
ユキヤの表情が珍しく固まってしまった。
近づくべきではない、と考えているなら何かしらの思惑、もとい作戦の一部であってもこんな状況を作るのはおかしいのでは、とハルヒトは言いたいわけだ。確かに矛盾している。
もう一度ユキヤが重々しくため息をついた。
「……。心情はバラすものではありませんね。これっきりだと思ってお願いをしたんです」
「じゃあ、中止になっちゃって消化不良じゃない?」
「あ、いえ、……逆にスッキリしました。やはり分不相応なのだと」
「え」
ハルヒトが目を丸くした。ノアも驚いている。
何故そんな発想にいってしまうのか──と疑問に思っている間に、ユキヤが小さく笑った。どうやら説明してくれるらしい。
「何事にも運やタイミングも重要だと思っているので……最初で最後だと思った機会がこうなるのであれば、やはりお近づきになれる方ではなかったのです。今後はロゼリア様のご迷惑にならないように弁えていこうと思いました」
本当に吹っ切れたと言わんばかりの表情と口調だった。
ハルヒトは目を丸くしたままユキヤを見つめている。自分にはない発想だからか、落とし込むことが困難なようだ。
ただ、ノアの中にあったのは驚きだけではない。悲しさと寂しさが襲ってきて、ぎゅっと拳を握りしめてしまった。
「ハルヒトさん、聞いていただけてよかったです。言葉にしたことで整理が」
「いや、待って。ごめん、オレはそんなつもりじゃなかったよ」
ハルヒトが慌てている。ユキヤの言葉を遮りながらも混乱しているのが見て取れる。まさかユキヤがこんな反応をするとは思わなかったのだろう。
振られてスッキリした、というならまだしも、まだ何もしてないうちに勝手に終わりにしてしまうなんて……納得が出来なかった。ノアの納得など必要ないのは理解していても、悲しいと感じてしまう。
「ユキヤ様ッ!!!」
思わず声を荒げていた。驚いたハルヒトが助手席からこっちを振り返っている。運転中のユキヤも驚いてはいたが、流石に運転に支障が出るような行動はしない。
握りしめた拳が震える。
ユキヤはもっと幸せになっていいはずなのに、という気持ちが抑えられない。
「ぼくは今日、楽しそうなユキヤ様をずっと見てました。中止になったのはしょうがないですけど、それで全部諦めちゃうなんて……悲しいです。運やタイミングが問題なのだとしたら、作戦の一部にしちゃダメって意味に決まってるので……今は難しいかも知れませんけど、ユキヤ様はもっと自分のことだけを考えて欲しいですし、ご自身の幸せのことを考えて我儘になってもバチは当たらないです……!」
言い切ってから、「しまった」と思ってしまう。
助手席からハルヒトがノアをぽかんと見つめていた。その視線に耐えきれずに、顔を伏せてしまった。
「……ノア、君はユキヤのことが大好きなんだね」
「それは、その……ぼくにとってはお、恩人、なのでッ……!」
「そっか。でもさ、オレもそう思うよ。……我慢ばっかりってつまらないし苦しいからね」
実感のある言葉だった。ハルヒトがこれまで色々と我慢してきただろうことが伝わってくる。
ユキヤは真っ直ぐ前を見て運転をしていたが、指先に少し力を入れたのがわかった。少しでも自分の言葉が届けばいいし、ロゼリアに関することでなくても、ユキヤがユキヤ自身の幸せを考えてくれれば良いと思う。
ハルヒトは進行方向に向き直り、ミラー越しにノアに視線を向けてきた。
「そういうノアの幸せって何?」
「ぼくですか? ……考えことがなかったです」
「難しいよね、幸せって。オレも今考え中なんだ」
「そう、なんですか……?」
「そうなんだよ、一緒だね」
ハルヒトが笑う。釣られて笑うようなことにはならず、ただただ「一緒」という言葉が不思議だった。親に捨てられたような人間と妾の子ではあっても立派な血筋の人間が「一緒」だなんてことがあるのかと。ハルヒトがあんまりにも普通に「一緒だね」と言うものだから、「そうなんだ」と変に納得した節もある。
一緒なのかと思っていると、ユキヤが何かに気付いた表情をしていた。
ノアと同じく「一緒」という単語に対してなのか、はたまた「幸せ」についてなのか。表情からは読み取れない。
「ユキヤの幸せって何?」
「私も考え中です。ただ……以前、『私も幸せになってもらわなきゃ困る』と言ってくれた人がいたのを思い出しました」
「そっかー。いいな、そう言ってもらえるの……羨ましいよ」
どちらも独り言のような言い方だった。
自分の幸せとはなんだろうかと考えながらも、まずはユキヤに幸せになってもらいたかった。そして、自分以外にもユキヤの幸せを願う人間がいることが嬉しかった。




