112.オフレコ⑬ ~ユキヤとノアとハルヒトⅠ~
ユキヤ、ノア、ハルヒトの三人はユキヤの車で移動することになった。ハルヒトも乗せているので行き先は九条家、椿邸である。ハルヒトがいなかったとしてもロゼリアの見送りのために真っ直ぐ南地区に帰ることはしなかっただろう。
車についたところでユキヤはキーを取り出して開錠し、ハルヒトを振り返った。
「ハルヒト様、申し遅れました。湊ユキヤです」
「──ああ、なんかジェイルたちから話を聞いてたからとっくに挨拶をした感じだったけど、まだだったね。オレは千代野ハルヒトです。よろしく」
そう言ってハルヒトが右手を差し出す。その手を握り返しながらユキヤが頭を下げた。
軽い握手をした後にユキヤが車を示す。
「では、どうぞ乗ってください」
「ありがとう。……ねぇ、助手席に乗ってみたいんだけどいいかな?」
「構いません。ノアは後ろに乗ってくださいね」
「はい」
上座や下座のことを考えるのであればハルヒトが助手席に座るのは正しい。行きはジェイルがユキヤの車をきちんと見たいという要望があったので助手席に座っていただけだ。ハルヒトはどこでもいいと言っていたし。
ノアは後ろに乗り込みつつ、前に座る二人を交互に見つめた。
変な組み合わせだな、と思う。
そもそもハルヒトがユキヤの車に乗りたいと言い出したのも不思議な話だ。ノアとは少し話したくらいで、ユキヤとは接点もないし──と考えたところで、『友達』のことを思い出した。ハルヒトは交友関係を広げたいと思っているのかも知れない。ノアにしてみれば、ユキヤの人脈が広がるのは悪いことだと思ってないし、何ならそれが権力者なら尚良しだと考えていた。ハルヒトを取り巻く環境は複雑なのがネックである。
三人が車に乗り込んでシートベルトをする。ユキヤがエンジンをかけたところで、ハルヒトが少し目を丸くした。
「……エンジンの音が少し違うね?」
「えっ」
「あれ? そんなことなかったかな?」
「とんでもない。当たってますよ。ジェイルの車とはメーカーが違うからですね。エンジンに色々と特徴があります」
「へえ、そうなんだ。車も楽しそう」
乗り心地も違うとハルヒトは言っており、何やら楽しそうだ。
免許のことも聞いていたので案外興味が向いているのかもしれない。自分で車を運転するという発想が全くない人間と興味がある人間とで分かれるのは面白いと感じていた。
ジェイルの車が発進したのを見て、後ろからひょこっと顔を覗かせる。
「ユキヤ様、出発されました」
「ああ、そうですね。私達も行きましょう」
ユキヤがゆっくりとアクセルを踏み込む。ジェイルの運転する車を追いかけるように出発した。
来た道を引き返すだけなのだが、助手席のハルヒトは飽きずに外を眺めていて、心なしか楽しそうに見える。ユキヤは普段と変わらずに普通だ。ひょっとしたらロゼリアのことを気に病んでるのかもしれないが、それは表面上からでは全く見て取れなかった。
自分が何か話した方が良いのだろうかと悩んでいるうちにユキヤが口を開いた。
「ハルヒト様、暑かったり寒かったりしませんか?」
「ううん、大丈夫。そうそう、『ハルヒト様』じゃなくて、『ハルヒトさん』って呼んでくれないかな?」
「え?」
「ジェイルもノアもそう呼んでくれることになったし……君だけ様付けもおかしいだろ?」
ユキヤはきょとんとしてから、一瞬だけルームミラーでノアに視線を寄越してから笑った。
「そういうことであれば、私もそう呼ばせていただきます。私の知らないところで仲良くしていたのですね」
「まぁね。ところで、君に聞いてみたいことがあるんだ」
「何でしょう? お答えできることであれば何でも」
そうでなければわざわざこっちの車に乗りたいなんて言わないだろうと思いながらノアは二人の会話に集中していた。下手に口を挟まなくてよかったとこっそり安堵もしている。
ユキヤだけならあれこれと話しかけるものの、ハルヒトにはどう接していいかわからない。それはユキヤも同じだろう。ノアよりも上手くやれるというだけだ。
ハルヒトは窓の外に向けていた顔をユキヤの方に向けてにこりと笑う。
「ロゼリアとのデート、楽しかった?」
「ええ、楽しませていただきました」
ユキヤは運転中なので前を向いたままだった。ハルヒトの質問を特に深読みするでもなく、普通の顔をして答えている。
しかし、その表情がふっと陰った。
「体調が本当に大丈夫なのかと心配ですが」
「そうだね。今日は帰ったらゆっくりして欲しいよ」
「ええ、本当に。……ハルヒトさんは退屈ではなかったですか?」
一瞬だけユキヤがハルヒトに視線を向ける。
問いかけにハルヒトは一瞬だけ驚いてから、すぐにおかしそうにくすくすと笑った。
「まさか。ああやって外に出かける機会は滅多になかったし、貴重な体験ができてよかったよ。君も楽しかったって言ってただろ? だから、ロゼリアと出かけてみたいなって思うくらいには楽しかった」
確かにハルヒトは楽しそうだった。視線があちこちに向いていて、見るもの聞くもの全てに興味が向かっているような──何と言うか、少し子供っぽかったのだ。こんなことを思ってしまうこと自体悪いことかも知れないけれど、それだけでハルヒトを取り巻く環境が見えたように思える。
肩書だけみれば恵まれてそうなのに、実際会ってみないとわからないものだとしみじみしてしまう。
感慨に耽っているとハルヒトが少し目を細めた。
「それでさ、ユキヤ。君はロゼリアのことをどう思ってるんだろう?」
胃が痛くなったような気がした。その話題は自分のいないところでやって欲しいと思うものの、車内という密室の中ではそんな我儘も言えない。
ユキヤが「そうです」と答える場にいたくないのだ。
何故こんなことを思うのか。これが嫉妬なのか。嫉妬だとしたら一体誰への嫉妬なのか。
ノアはこのあたりの感情を処理できていない。
そんなノアの心境などユキヤはもちろんハルヒトだって知るわけがない。
ユキヤは質問に対して困ったように笑っている。
「……うーん。回答に困る質問ですね……」
「じゃあ、もっと簡単に聞いちゃう。好き? ロゼリアのこと」
「好きですよ。あくまで人として、という意味合いですが」
さらっと答えてしまうユキヤ。ただし、それはハルヒトが期待する答えでなかったのは一目瞭然で、その証拠にハルヒトは不満そうな顔をしていた。
口を尖らせて窓を外へと視線を向け、思いっきり溜息をつく。
「オレが聞きたいのってそういう意味じゃないんだけど……」
「あはは、失礼しました。……私の立場としてはこれが限界というか」
「? 立場って?」
ハルヒトが怪訝そうな顔をした。ユキヤはそれに対して涼しい顔をして問いに答えるべく口を開いた。
こういう時に顔色一つ変えないユキヤが内心で何を思っているのか不安だ。激情を全くと言っていいほど外に出さない人間なので、どこかで無理をしているのではと心配をしていた。
「私の父がロゼリア様にご迷惑をおかけしているんです。更に私が『言い寄っている』ということにしてもらっているので、これが真実となってしまうと……流石にロゼリア様に悪いので、これが限界だと思っています。あとは私自身がそういうことを考える余裕がないんです」
「……ふーん。ゴタゴタしてるんだね、君のところも」
「お恥ずかしい限りです」
ハルヒトは何か思うところがあったようで視線を伏せてしまった。
とは言え、八雲会のゴタゴタも結構噂で流れてくる。少し『会』に近いところにいれば、案外その手の情報は流れてきてしまうものだ。普通に暮らしているだけではそんな話を聞くこともない。
ユキヤの答えを聞いてホッとしたような、残念なような、処理しきれないモヤモヤが広がる。
ノアにとってユキヤは恩人なので幸せになって欲しいと思う。だが、今抱えている問題をどうすればユキヤが幸せになるのかがわからないのだ。
首を振って自分の考えを打ち消し、助手席を覗き込んだ。
ユキヤは聞けないだろうから自分が、という思いが先行した結果の行動である。
「あ、あ、あの、ハルヒト、さんっ!」
「え? 何?」
「……ハルヒトさんは、その、ロゼリア様のことは……」
「こら、ノア。失礼ですよ」
「うっ、ご、ごめんなさい」
案の定ユキヤに注意されてしまった。しゅんとして引っ込み、大人しく座り直す。
が、ハルヒトが意外にも楽しそうにユキヤを見てから、後部座席にいるノアを振り返った。
「いいよいいよ、気にしないで。オレもユキヤに聞いたしね。それに友達同士ってこういう会話もするんだろ?」
どうやら答えてくれるらしい。
ノアと視線を合わせたハルヒトは意味深に笑う。ユキヤは「やれやれ」という顔をしているが、多分ハルヒトの答えは気になっているに違いない。
期待と不安に襲われながら、ハルヒトの答えを待った。