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86話 私は勝ってほしいよ

 二学期になって最初の体育の授業が今日だ。


 天気にも恵まれ青い空には白い雲がまばらに浮いている。

 太陽も容赦なく熱を放出している中、春人はテニスのラケットを持って体をほぐしていた。


「体育テニスだったんだね」


「な、個人で勝負できる競技でよかったよ」


 チーム戦だとどうするのかなんて何も聞いてなかった。余計なことを考えずに済み春人はほっとしている。


 美玖は何か言いたげに視線を向けるがすぐに視線を前方のコートに移す。


「勝てそう?」


 不安を感じさせる呟くみたいな小さな声で問いかけられる。


「どうだろうな。テニスは初めてやるし」


 春人はラケットを手で回したり弄びながら答える。正直自信をもって勝てるなんて言えない。今日初めてやることを聞かされたのだ。準備も何もしていない。


「それにしては春人、妙に落ち着いてるよね」


「まあ、向こうも同じ条件だし、そこまで焦る必要もないかなって」


「そうだよねー、春人運動神経だけはいいから」


「だけとか言うんじゃねえよ」


「事実じゃん」


「そうだけど」


 春人の言葉に香奈が笑うと自然と美玖たちにも笑顔が伝染する。春人もそれは同じで笑ったことで自然と身体の緊張がほぐれた。


 しばらく話していると先生に春人が呼ばれる。どうやら試合の順番らしい。


「そんじゃ、行ってくるわ」


「うん頑張って」


「いってこい春人!」


 美玖と香奈の声を胸に春人はコートに向かう。

 その背中を琉莉はじーっと大人しく見ていた。


「琉莉ちゃん春人君に何か言わなくていいの?」


「必要ないよ。勝つのは兄さんだから」


「本当にスポーツでは春人に対してすごい信頼だよね琉莉って」


 思わず苦笑する美玖と香奈。コートに視線を戻せば春人と北浜がネットを挟んで立っていた。


 二人の勝負は事前に噂になっていたので多くの生徒が注目している。隣のコートで試合をしている生徒も気になって、暇さえあればチラチラと春人たちを窺うような視線を飛ばし試合どころではなくなっていた。


「逃げずによく来たな」


「逃げる必要もないからな。つうかお前……」


 春人は北浜のラケットと靴に視線向ける。

 ピカピカのラケットと明らかにテニス用の靴は体育のための貸出品ではない。


「まさかこの日のために買い揃えたのか?」


「別にルール違反ではないはずだが?それとも卑怯だと声を上げ試合を止めるか?」


「いや、必要ないよ。ただ感心してただけだし」


 春人が肩を竦めるとその態度が気に入らなかったのか北浜が鋭い目つきで睨みつける。


「余裕こいていられるのも今だけだぞ。あとで泣きを見るのはお前だからな」


「へー、それは楽しみにしてるよ」


 春人が挑発するように笑みを作ったので北浜は目を血走らせ大きく開く。

 春人はコートの端へ向かいながら考える。


(おー、なんかスポコン漫画みたいな会話しちゃった。まさかこんな経験できるなんて)


 呑気にそんなことを考えていた。軽い足取りでコートの端に到着する。


 最初は北浜からのサーブだ。春人はテレビなどで見たテニス選手の見様見真似にラケットを構える。


(さて、どう来るかな)


 相手もこっちもテニスの初心者。できるだけ相手コートにボールを返そう。これくらいのレベルで春人は考えていたが……いざ北浜が打ち出したサーブでその考えが吹き飛ぶ。


 見事に投げたボールの最高点でラケットに捉えられたボールは春人のコートに直線を描いて突き破った。


「は?普通に打ってくるじゃん」


 春人は転がるボールを見ながらつっこむ。もっとゆったりとしたボールが飛んでくるかと思っていた。だがそんな呑気につっこんでいる暇はない。春人は冷や汗を垂らす。


「なんだよ、テニス経験者だったのか」


「経験というほどじゃないけどな。ほんの少しかじった程度だ」


「ほんの少しねえ」


 とてもじゃないがそうは見えない見事なサーブだったが。

 そんな北浜のサーブを見て美玖たちも動揺していた。


「え、今のすごい速かったけど……もしかして経験者なの?」


「ん~、い~や~そんな話聞いたことないけどなー」


 驚愕する美玖の言葉に香奈が悩むように顎に手を添える。すると後方から今の空気を壊すような明るい声が美玖たちにかけられる。


「ありゃ~、ピンチだね~ももっち」


 体育中だというのに飴を咥えながら現れる梨乃亜。そんな彼女に美玖たちは怪訝な顔を向ける。


「ピンチってまだ始まったばかりだと思うけど」


「う~ん、そうなんだけどね。ただ状況というか?経験の差ってあるよね~」


「やっぱり北浜ってテニスの経験者なの?」


「う~ん、ていうか二学期始まる少し前からテニス部の練習に参加してるてきな?」


「はい?」


 美玖の呆気にとられた声に釣られるように香奈も唖然とした反応を見せる。


「え、どういうことなの?なんでそんなタイミングで」


 入部するにもタイミングがおかしすぎる。せめて二学期が始まってから新しく入部するくらいなら話も分かるが……。


「さ~、そこはアタシもわかんないけどね~」


 とぼけているのか本気で言っているのか梨乃亜の心意が読めない。


「事前に聞いてたんじゃないかな。二学期からの体育について」


 そこでずっと黙っていた琉莉が話に入ってくる。梨乃亜の目が少し細められる。


「へ~なんでそう思うん?」


「他にないだけだよ。それに体育の内容くらい先生に聞いたら普通に教えてくれそうだし」


「ふ~ん、まあ、そうだよね~」


 梨乃亜は両手を頭に添えながら口の中で飴を弄ぶ。別に興味もないというようなそんな態度だ。

 美玖たちが話している間も試合は進み。あっという間に春人は一ゲームを取られてしまった。


「おいどうしたんだよ?流石に弱すぎないか?」


「まだまだ。やっと身体が温まってきたところだよ」


「ちっ、ほんと口だけは達者だな」


 奥歯を噛み締めるように北浜は顔を歪める。春人の態度が相当に気に入らないようだ。


(マジで俺嫌われてんな。そんなに気に入らんか)


 あまりの嫌われように流石の春人もいろいろ考えてしまう。


 完璧主義で負けず嫌いの自意識過剰。それが春人の思う北浜清仁だ。この要素のどこかに春人が多分傷をつけたのだろう。思い当たるのが体力テストの結果くらいだから詳しくはわからんが。


 だとしても今はこの試合を続けるしかない。


 春人は左手でボールを真上に上げ、北浜のフォームを思い出して打ち抜く。春人自身のセンスもあり初心者としては素晴らしいサーブだったが――。


「はっ、おっせーなっ!」


 北浜に難なく返されそのまま点を決められる。これには春人も眉間に皴を寄せ苦悶に満ちた顔を作る。


(返されるだけならまだしもこうも簡単に点取られるか。流石にきついな)


 北浜の動きは初心者のそれとは違う。一定の練習を積んできた動きだ。それがこの日のためにやってきたのかは知らないが。


 それでも春人は確実に追い込まれていた。

 サーブは入るがそこからが続かない。一方的な展開が続きゲームももう0-3で春人が負けていた。


「なんだやっぱり口だけか?」


「そう慌てんなって。もう少しでコツが掴めそうなんだ」


「はっ、コツなんて今更掴んでも何にも変わんねえだろ。負け惜しみもここまできたら才能だな」


 あざ笑うように穢い笑みを作る北浜。春人は流石に焦る気持ちも相まって少し腹が立ち始める。


(くそっ。……いや待て落ち着け。こんなのあいつの思う壺だろ)


 スポーツにおいて怒りはマイナスでしかない。己のパフォーマンスを極端に下げてしまう。春人もそれを知っているので何とかこの怒りを抑える。


(だとしてもどうするかな。なんか思いのほかイメージと合わないんだよな。ボールが妙に飛んでいく)


 春人はラケットの面を見て、うーんっと唸る。


 春人の言う通りボールとのタイミングは合ってきていた。ただなぜか春人の考え以上にボールが飛んでしまう。そのせいで先ほどから春人のミスで点数を稼がれてしまう。


(流石に甘く見過ぎたか……楽観視し過ぎたか)


 頭の中で今の状況をもう一度考える。


(流石にここで負けるのはなんかムカつくけど……やっぱり無理して勝たなくてもいいんだよな)


 葵たちにはやるだけやるとは言ったが現状やるだけやってこれだ。二人の期待に応えられないのは流石に心が痛いが……。


 春人は半分諦めモードに入っていた。元々が勝っても負けてもいい勝負。モチベーション自体が低かった。


(せめて一矢報いるか)


 一ゲームくらい取ってやろうと春人がラケットを構えるが、そこで突然体育教師が待ったをかけた。


「ん?百瀬ちょっと待って」


「はい?」


 いったいなんだと春人は首を傾げる。


「お前のラケットガット切れてないか?」


「え?がっと?」


 ガットとは何だとラケットをよーく見て気づく。ラケットの網目状になっている線。その一本が切れていた。


「あ、これのことか」


「そんなんでよく試合してたな。だからボールがよく飛ぶんだ」


「え、ガット切れるとボールって飛ぶんですか?」


「ああ、そうだぞ。誰か!代わりのラケット貸してやれ!」


 先生の声に一人の生徒が返事をする。そして見学している生徒の中から一人の女子生徒が抜け出てきた。


「美玖」


「うん、春人君これ使って」


 春人は美玖からラケットを受け取って確かめるようにグリップを握る。

 そんな春人へ美玖は心配するように声をかける。


「勝てる?」


 不安が感じ取れる声音に春人は、うーんっと考える。


「どうだろうな。流石にこの状況はな」


 はっきりとは言わないが正直まずいとそんな風に捉えられる言葉だ。それを聞いて美玖も「そう」と小さく答える。


「春人君はこの勝負勝ちたい?」


 心配するような態度はそのままに美玖が目線を下に向けたまま口を開く。


「どうだろうな。正直あまりこの勝負にこだわりがないからな」


 言い訳だ。春人は口にしてからそう思った。ここまでして勝てなかった時の言い訳を春人は今口にしているんだ。


 誰かに口にして言えばなぜか自分の気持ちを客観的に見ることができた。

 気づいてしまうと無性に今の自分が惨めでかっこ悪く思いだす。


(は?何してんだ俺)


 ここに来てやっと気づく。自分はやっぱり負けたくないんだと。いろいろと北浜に強がってはいたが全部勝ちたいがための強がりだ。


 春人は唇を噛んで自分を恥じた。よりにもよって美玖の前でこんなみっともない姿を晒してしまったことに。


 春人が自分のかっこ悪さに打ちひしがれていると美玖がまた小さく呟くように口を開く。


「私は勝ってほしいよ」


 声は小さかったが春人にはしっかり聞こえていた。気づけば落ちかけていた顔を上げ美玖へと向いていた。


 驚くように目を丸くしながら春人は美玖の顔を見る。


 先ほどから変わらない不安に満ちた顔だ。その原因が春人だと知ると無性に今の自分に腹が立った。


(マジで何してんだよ俺はっ)


 春人は強く目を閉じて息を吐く。惨めで情けない自分は全て今捨てさるように。

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