67話 ウォータースライダー前に座るか後ろに座るか
「お前病み上がりのくせにいきなりこんなもん選ばんでもいいだろ」
春人は階段を上りながら呆れたように琉莉を見る。
「折角こんな大きなプールに来たんだからウォータースライダー滑っとかないと勿体ないでしょ」
「それでも後でいいだろって言ってんだ。また気分悪くなっても知らねえぞ」
「まあ春人君。琉莉ちゃんが滑りたいって言ってんだし滑ろうよ」
心配のあまり少し口調がきつめになる春人に美玖がやんわりとフォローする。
「兄さんこれにはちゃんと理由があるんだよ」
「理由?」
「今はお昼時、一番ウォータースライダーが空いてる時間なの。この機会を逃す手はないよ」
琉莉が自慢気にドヤっと笑みを作る。
春人は階段を上りながら下のフードコートエリアに視線を向ける。確かに多くの人が集まっている。プールに来た何割かはあそこに集まっているだろう。その点を考慮してのことなら無暗に琉莉を責めるわけにもいかない。
「一応考えてんだな」
「折角来たのに並ぶ時間は勿体ないから。たくさん遊ぶための心得だよ」
階段を上りきると多少の列はできているが夏休みのこの時期を考えれば確かに空いている方だろう。
「これなら数分待つだけで滑れそうだな」
「ねえ、琉莉ちゃんのおかげだよ」
「もっと褒めて美玖さん」
琉莉はここぞとばかりに美玖に甘える。横から抱き着きその柔肌を頬に擦り付け堪能していた。
(本当に美玖のこと大好きだなこいつ)
琉莉の顔がだらしなく緩み切っている。ぐへへと幸せをこれでもかと詰め込んだような笑顔を浮かべている。とてもじゃないが人に見せられない顔だ。
それを琉莉もわかっているのかうまいこと美玖や他に人の死角となるように顔の位置を調整している。それでも春人にはその顔を晒しているのだが。
「うん、偉いねー琉莉ちゃん」
「えへへ」
子供のように甘える琉莉と子供を甘やかすように頭を撫でる美玖。傍から見たら仲がいい姉妹のように映る。
(うーん、水着姿でじゃれ合う女子……いいな)
仲睦まじい二人はとても絵になる。それが水着となれば春人はただただ目が離せず二人のやり取りを見守っていた。
「はっ!」
琉莉は不意に目を見開き、鋭い視線を春人に向ける。
春人が少しでも邪な視線を向ければ勘よく本当にすぐに気づく琉莉。
二人は視線で言葉を交わす。
(何見てんのお兄)
(見るだろそりゃ。女子のじゃれ合いだぞ。お前も好きだろ)
(好きだけど見られるのは別。こっち見んな)
(無理な相談だな。つうかいいのか?俺なんかに気を回して。もっと美玖とイチャつきたいだろ)
(そのためにもお兄の視線は邪魔なの。いいから大人しく後ろの暑苦しい筋肉でも見てろ)
(何が悲しくてそんなもん見とかなかんのだ。目の前に水着の女子がいるのに)
(うっわぁー、欲望丸出し。てか妹の水着にも欲情するって……)
(ん?お前の水着なんてそもそも興味もないぞ?)
(は?)
(そもそもどこに欲情しろと?)
春人との念話?の最中琉莉の眉毛ががピクピクと痙攣し始める。自分には女として魅力がないと言われた気がしメラメラと怒りが込み上がる。
「……美玖さん兄さんがすんごいエロい目で見てる。ほんともう獣のような、欲望の捌け口を見つけた獣のような目で美玖さんを舐めるように見てる」
「は!?おい琉莉何を証拠に――」
「特に美玖さんの胸に熱い視線を送ってる。あれは変な妄想を膨らませてる目」
「おいやめろ!いらん誤解を――」
「兄さん絶対夜な夜な美玖さんこと考えて――」
「待ていっ!それ以上は待てぇぇぇッ!」
春人は琉莉の口を手で塞ぐ。物理的に琉莉の言葉を止めに掛かる。
「お前まじで何口走ってんの!?」
「むごっ、ふんっ。私のことを女の魅力がないとか言う兄さんは美玖さんに嫌われて死んじゃえばいいんだ」
「誰も魅力がないなんて言ってないだろ」
「欲情しないって言った」
「欲情したら問題だろうが!」
どの部分で怒ってるんだと春人は声を荒げる。そもそも欲情したらしたで琉莉は絶対虫を見るような蔑む視線を向けてくる。どっちにしたって春人は責められる。
「えーと……」
ここで蚊帳の外だった話の中心人物が声を漏らした。美玖はどうしたらいいのかわからないといった様子で二人のことを見ている。春人は慌てて己の身の潔白を証明しにかかる。
「美玖違うぞ!本当に違うから!」
「あはは……春人君必死だね……」
何と思われようとここだけはちゃんとわかってもらわないと今後の関係にも支障をきたす。
「当たり前だろ!流石にこんな欲望の塊みたいに思われたくない!」
「あはは……でも私春人君がそういう目で見てたのこの前教えてもらったから知ってるよ?」
「この前のも誤解解けてねえのかよぉー!?」
新たな問題に春人は頭が痛くなってきた。
(あんなに説明したのに全然わかってなかったこの子)
皆でやったテスト勉強会の時、美玖が琉莉に聞いたことをずっと鵜呑みにしていたのでその場でちゃんと説明した。それはもう丁寧に春人の都合のいいように。なのにいまだに美玖はそのことを信じていた。
(え、もうなんて説明すればわかるのこの子?というか……)
春人は美玖の顔をじーっと覗き見る。
(特段嫌がってないんだよな……)
前もそうだったが春人が美玖のことをそういう目で見てると知っても嫌がるといった様子はなかった。むしろ受け入れている節もあったくらいだ。
(なら別に無理に誤解とか解かなくてよくね?つうか解ける気しないし)
これ以上何て説明すればいいかわからない。嫌がってもないしどうせ解けない誤解ならもうこのままでいいのかもしれない。
「……なあ美玖」
「なに?」
「一応聞くけど俺が美玖のことを見て欲情しているとしたらどう思う?」
真っ直ぐに美玖を見据える。真剣にどこまでも透き通るような瞳で春人はとんでもないことを聞いていた。いったいなにを聞いているのかと自分につっこみたい。
「どうって……男の子ってそういうものなんでしょ?なら仕方ないよ」
「仕方ないの?」
「うん、そうなんでしょ?」
春人の言葉に対しても嫌悪や失望などといったマイナスな感情が見られない。本当にそう思っている様子だ。あまりにも純粋過ぎる反応に春人は息を呑む。
「そう、か……わかった。でも俺が言うのもなんだけどあまりそういうこと他の奴らに言わない方がいいぞ。そんなこと言ったら遠慮なく見てくるやつもいそうだしな」
「え、それはやだ」
「え?」
さっき仕方ないって言ってたよね?美玖の反応の変化に春人は困惑し口をぽかんと開ける。
「仕方ないんじゃなかったのか?」
「春人君以外にそんな目で見られるのやだよ」
「グフッ!」
春人は思わず口元を押さえる。
(は?何それ?俺以外はやだって何それ?)
恥ずかしげもなく言い張る美玖に春人は口元を押さえたまま問う。
「え、それはなんだ……そういう目で見られること自体はやっぱりいやなのか?」
「そりゃあやだよ。恥ずかしいもん」
「でも俺はいいと」
「うん」
(うん。じゃねえんだよなぁー……)
美玖の羞恥の方向がわからず春人は考えるあまり目が回り始めた。
そんな春人たちの様子を見ていた琉莉はというと――。
(なんか面白いことになってきた!)
目を輝かせて鼻息荒くえらく興奮していた。先ほどまでの怒りも忘れ二人の会話に夢中になっている。
(やっぱり美玖さんお兄に気があるんじゃないの?なかったらなんなこの反応は!)
美玖の反応に確信めいたものを感じていた。ここはもう攻めるしかない。
(ふっふっふっ、古来よりつり橋を渡るときにドキドキするのを恋と勘違いしてしまうなんて話をよく聞く。今回はそれを使って美玖さんの気持ちを刺激する!)
琉莉は順番間近のウォータースライダーを見る。春人たちを一緒に滑らして吊り橋効果を狙うのが今回の作成だ。
ほどなくして春人たちの番となった。
「一緒に滑るのは二人までか。なら美玖と琉莉で――」
「兄さんと美玖さん一緒に滑って」
「は?なんだよ急に」
事前に用意していた言葉を並べる琉莉。そんな食い気味に来る琉莉を春人が訝し気に見つめる。
「兄さんと美玖さんは今日パートナーなんだから一緒に滑らないとだめ」
「いや、まあ……でもこれくらいよくないか?」
「どこで誰が見てるかもわからないんだからだめ」
琉莉はそれだけ言うと一人ウォータースライダーの水が流れている場所に座った。
「あ、おい」
「いいから美玖さんと滑る」
言うと琉莉は壁を手で押すとウォータースライダーの穴に消えてしまった。
「……大丈夫なのかあいつ」
消えてしまった琉莉の姿を目で追うように穴の中に視線を送る。
「なんでそんな心配そうな顔してるの?」
「あいつウォータースライダーってそもそも苦手だった気がするんだよな」
「え?絶叫系が苦手みたいな?」
「いや、遊園地とかのジェットコースターはむしろ好きなんだよ。ただ身体が固定されてない、その身一つでやるようなのは苦手らしい。まさにこれ」
「一人で行っちゃったけど……」
「まあ、あいつももう高校生だし、案外平気なのかもな」
「ん?そういえばこれ別々に滑ったら美玖さんの反応私見れなくない?」
ウォータースライダーの最初の加速し始めているところで琉莉はふと考える。反応が見れなければそもそもこんなことする意味もない。今更気づいた欠点だらけの計画に琉莉は険しい顔を作る。
「あれ?全く意味ないじゃんこれ。うわぁー階段上って損し、たぁっ!?」
加速が終わると突然のカーブで琉莉の身体が大きく揺さぶられる。
(え?ウォータースライダー久しぶりだけどこんなに激しいんだっけ?昔はもう少し怖くなかったような……)
一度考えてしまうと雪崩のように次から次へと不安が押し寄せてくる。
ウォータースライダーが急降下に差し掛かったところで琉莉の胸の内に秘めていた恐怖心が爆発した。
「待って!ムリムリムリッ!いやぁぁぁーーー!」
琉莉の叫び声がウォータースライダーの穴から聞こえてきた。
「やっぱり無理だったか」
「え……大丈夫なのこれ?」
「まあ、死にはしないし終われば地上なんだから大丈夫だろ」
「そ、う?」
不安そうに顔を強張らせている美玖に春人は問題ないと言う。とは言ってもやはり早めに向かった方がいいだろう。
「俺たちも行くか……それで、どうする?」
春人はウォータースライダーの横にある看板に目をやる。看板には注意書きと二人で滑る際の滑り方が絵として描かれていた。そこには一人が後ろから抱き着き、もう一人は抱き着いている人の足の間に身体を収めるようにしている。
(結構危うい体制だよなこれ……)
春人が後ろなら美玖に思いっきり抱き着くことになる。さっき波の出るプールでやったような体制だ。かつ両足の太腿で美玖の柔肌の感触を体感することになるため滑っている間も違うスリルを味わうこととなる。
だからといって前に行けば美玖が後ろから抱き着いてくるので必然的にその大きな胸が春人に当たる。
どっちにしても理性がもつかわからない状況になる。
「前か後ろ、どっちがいい?」
最早自分では決められず美玖へと託す。美玖は少し考える素振りを見せた後春人を見て答えた。
「そうだねー……後ろかな。前は少し怖そうだし」
「そう、か……」
美玖は言うとウォータースライダーの水が流れ始めている場所へ腰を下ろした。そして足を広げると春人をそこに招き入れる。
「春人君、ほら座って」
「……ああ」
春人はゆっくり美玖の足の間に移動すると腰を下ろす。変なとこに触らないように身体をできるだけ小さくして。
(もうまずいぞ。できるだけ無心に、何も考えるな)
春人が頭の中で無心無心無心と唱えていると後ろから美玖に抱き着かれる。
(無心無心むしんっ!?嫌々無理だろこんなの!あぁー柔らけー)
背中に伝わる柔らかい感触に春人の顔が緩む。そんな春人の心の叫びが聞こえるはずもなく美玖は抱き着き方を調整するようにぎゅうぅぅぅっと手に力を入れる。そうすれば背中への感触も強くなるわけで――。
(もうやめてっ!俺のHPもうほとんど残ってませんからぁっ!)
ぎゅうぎゅうと何度も何度も繰り返し美玖はやっと納得したのか春人に声をかける。
「うん、大丈夫かな。春人君いける?」
「あぁ……いつでもいけるぞ」
「なら行くよ?それっ!」
美玖は思いっきり壁を押し春人と一緒にウォータースライダーを滑っていく。
「きゃあ!早い早ーい!」
楽しそうにはしゃぐ美玖の腕の中で春人は必死な形相で己と戦っていた。
(くっそぉ!俺の理性ちゃんと仕事しろ!さぼってんじゃねえぞ!)
理性との狭間で必死に抗っているが身体が加速するにつれて春人の身体が後ろへ引っ張られ、それと比例し美玖との密着度も増す。自由に形を変える胸の感触がダイレクトに伝わってくる。
(ほんとぉぉぉに柔らけえなちくしょー!)
最早考えるなというのは無理だった。
ウォータースライダーという名の嬉しい拷問の時間が春人には永遠に感じた。
お読みくださりありがとうございます。
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