62話 家でだらだらするのは私の役目なんだけど
八月前半。七月分の夏休みが今は遠い過去に思えてしまう。たくさんの思い出を作った海から帰還して数日、春人はエアコンの効いたリビングで、ぐでーっとそれは見事にだらけていた。
楽しかったことの反動なのかここ最近はやる気も起きず無駄に時間だけを浪費する日々を送っている。
「今日もぐでぐでだねお兄」
ソファにもたれ手足をだらしなく投げ出している春人に琉莉が声をかける。
「特にやることもないしな。することもなければこうもなるよ」
「家でだらだらするのは私の役目なんだけど。お兄はこれで私のこと何も言えないね」
琉莉はソファの空いたスペースに寝転ぶと収まりきらなかった足を春人の太腿に載せる。
「琉莉と同じか。それはそれですごく屈辱的でいやだな」
「おい、私と一緒が屈辱的ってどういうことだ」
「普段のぐうたらと一緒にされるとか人としての尊厳を奪われた気分」
「普段の私が人として見られてないみたいな言い方だね」
「みたいじゃなくてその通りだ」
横目にじーっと琉莉の方を見ると視線が合う。しばらくそうしていると琉莉が大きく足を振り上げるのでその足を鷲掴みにした。
「おい、危ないだろ大人しくしてろ」
「うっさい。人をミジンコと同列にしやがって」
「おい、誰がミジンコと同列って言ったよ」
「じゃあどれくらいなんだよ」
「ミジンコ以下」
琉莉の足に力が入り思いっきり春人の顔面を狙ってくる。それを春人は必死に手に力を込め防ぐ。
「あぶなっ!お前本当にあぶねえから足退けろ」
「このお兄には一度妹の偉大さをわからせ直さないといけないみたいだ。ちなみにお兄私今スカートなんだけど」
「は?だから何だよ」
「そんなに足を高く上げられるとパンツ見えちゃうんだけど」
琉莉に言われるまでもなくもちろん春人にもそれはわかっていた。というか現在進行形でばっちりと薄い生地が見えている。
春人がスカートの中を確認したのを目ざとく気付くと琉莉がにやにやと憎たらしい笑みを作る。
「あれあれ~お兄意識しちゃった~?妹のパンツ意識しちゃった~?」
「お前のパンツなんて微塵も興味ないから気にすんな」
挑発するようなバカにするような琉莉の態度を意に介さず春人は興味なさげに言い捨てる。
そもそも妹のパンツに欲情する兄とかいないだろう。アニメや漫画の中を別として。
「無理すんなって、お兄女の子のパンツなんて見る機会早々ないでしょ」
「俺に関わらず普通はないんだよな。つうか――」
春人はもう一度スカートに視線を向け嘆息する。
「どうせやるならこんな子供っぽいのじゃなくてもっと色気のある――っぶな!お前今本気で顔面狙ってきたろ!」
「はーーー?誰のパンツが子供っぽいって?はーーー?」
琉莉の表情から感情が抜け落ちる。真顔で春人にガンを飛ばしてくる。
「このカラフルな星がいっぱい描かれたパンツだけど」
「解説すんな!ほんっっっとキモイ!死ねっ!」
「だから危ないっての!この」
春人は立ち上がりこの戦場から離脱を試みる。だが琉莉はそんな春人を逃がすまいと腰に足を絡める。
「ちょっ、お前女子としてどうなんだその恰好」
「ふん、お兄こそ妹のパンツまじまじと見といてそのもの言いはなんなん?」
「まじまじなんて見てねえだろ。そもそも興味がない」
「強がってるっと滑稽に見えるよお兄」
「いや、今のお前の方が滑稽なんだけど」
春人がほとんど立ち上がった状態で琉莉は腰に足を絡めている。当然琉莉の下半身が持ち上げられる形になり、必然的に重力に負けたスカートが力なく下へ垂れていく。
パンツが丸見えになっていた。
「別にパンツ見られたくらいで恥かしくないけど何か!?」
「そんな堂々とされてもな。パンツもそうだけど……いいのか?マジで人としての尊厳無くしてるぞ」
「この程度のことで失うような尊厳ならこちらからお断りだね」
「まあお前がいいなら別に……いやよくない。こんなのが妹とか俺……」
「おい、なに悲し気に目元とか抑えてんだ。こんな可愛い妹捕まえといて」
「ふっ、可愛い(笑)」
「はー?何が(笑)だコラっ!」
小ばかにするような春人の態度に琉莉は足の力を入れ引っ張り込もうとするが元々の体格差がありビクともしない。逆に春人が力を入れ持ち上げられる。
「うおぉおっ!?わっ!浮いてる!私浮いてる!」
「なんで喜んでんだよ子供か」
宙づりにされた琉莉が楽し気に騒いでいる。なにが楽しいのかと春人は半眼で見下ろす。
しばらくきゃっきゃ、きゃっきゃ言っていた琉莉だが次第に静かになると何か苦し気に歯を食いしばりだした。
「あのちょっとお兄下ろして」
「どうしたんだ今度は?」
「なんか頭に血が上って……気持ぢ悪い」
「……ほんとバカだなお前」
春人は琉莉の身体を支えゆっくりと下ろしていく。ソファに横たえると琉莉は弱々しく口を開く。
「う~~~、頭ふらふらする」
「毎回毎回飽きもせずあほなことしてんな。お茶いるか?」
「うっさいあほお兄。お茶はいる」
憎まれ口を叩く琉莉へため息を零し春人は冷蔵庫から麦茶が入った容器を取り出すと二つのコップへ流し込む。
「ほら」
「うん、ありがと」
琉莉は上体を起こすとコップを受け取りくぴくぴと飲み込んでいく。一応落ち着いたのか、ふーっと安堵の息を零す。
「まったくこんなに可愛い妹に何たる所業。訴えられたら確実に負けるねお兄」
「全部お前の自業自得なんだけどな。濡れ衣で訴えられても困る」
「ていうかお兄ずっと家にいるじゃん。折角の夏休み満喫しなくていいの?」
「それを言うならお前だって毎日家にいるだろ」
「私はゲームして満喫してるからいいの」
自分はいいのだと当然のように言う琉莉。ずっと家にいるとは言うが琉莉のわがままで春人はちょくちょく炎天下の中近くのコンビニにアイスなど買いに行ったりして外には出ている。
「ということはお兄は毎日暇なんだね」
「暇っちゃ暇だが」
「ちなみに明日の予定は?」
「家でごろごろする」
「おぉう、クズだね」
「ほっとけ」
「そんなクズなお兄に私から連絡があります」
琉莉は立ち上がると何やら含みのある笑みを浮かべる。もうこの時点で悪い予感しかしない。
「はぁー?いらんよそんなん」
「おうおう、いいのかそんな態度取って?本当にいいのか~?」
肘でうりうりと脇腹を刺激してとてもうざ~~~い絡み方をしてくる琉莉に春人は顔を顰める。
「いったいなんなんだよ」
「ふふ、これを聞いた後にはお兄は私に泣いてお礼を言うことになるよ」
「マジでなんだよ」
ここまで勿体ぶられると流石に気になってくる。琉莉はわかった上で焦らしにじらして大仰に腕を振り発表する。
「聞いて驚け!明日美玖さんとプールに行くよ!」
「は~い~?」
春人は眉を顰め琉莉を見る。
「プールって……この前海行ったばっかじゃん」
「海とプールは別もんでしょ。そもそも海行ったからってプール行っちゃいけない理由にはならん」
「まあ、そうだが」
「やったねお兄、美玖さんの水着また見れるよ」
「……まあ、そうだな」
反応に困り言葉を濁す。
「あれ~?嬉しくないの?嬉しくないの?美玖さんの水着だよ?あの大きなおっぱいだよ?」
「いや、嬉しいけど、じゃなくてそもそもなんでプールなんだ?」
「そんなの私が行きたいから」
「は~い~?」
先ほどと同じ反応を返してしまう春人。琉莉から出てきた言葉とは思えなかった。
「は?お前が行きたいの?なんでまた」
「だってこの前は皆の手前美玖さんの水着全然じっくり見れなかったんだもん。もっと見たい!」
熱く語る琉莉に春人はめまいを覚えた。額を押さえ天井に視線を向ける。
「なんてばかばかしい理由なんだ」
「ばかばかしいとはなんだ。お兄だって見たいくせに」
「男と女ではまた違うだろ。なんでそんなにお前は見たいんだよ」
「あのはち切れんばかりのわがままボディ何度だってみたいに決まってるでしょ」
「マジで中身おっさんだよなお前って」
いったい今後この妹はどのように成長していくのか。春人は兄として本気で心配になった。
「そういうわけだからお兄明日プールね」
「プールねって言われても」
「暇なんでしょ?」
「暇だけど……」
「なら問題なし」
にまにまと笑顔を作る琉莉がいったい何を考えているのか春人には全くわからない。ただわかるのはろくでもないことをまた考えているということだけだ。




