60話 海に来たカップルってこんな恥ずかしいことしてんの?
朝の騒動が一段落し朝食を済ませると春人たちは太陽がサンサンと照りつく海にやってきた。
「海だぁーっ!」
空にまで聞こえるほどの大声で叫びながら香奈が白い砂浜を掛けていく。
「昨日も来たのになんであんなに元気なんだ」
「香奈はいつも全力で楽しむからねー」
「うん、香奈さん元気。私はもう昨日だけで満足」
「お前は体力ないからな。無理すんなよ。熱中症とか怖いからな」
「兄さん過保護すぎる。流石にそこまで体力なくない」
不服そうに琉莉が唇を尖らせる。
それでも春人としては少し心配ではあった。日々家の中で自堕落な生活を送っている琉莉は夏の日差しとは無縁だ。肌は新雪のように白く身体も華奢である。本当に触れでば折れそうな琉莉を心配するのは仕方がない。
「本当か?ちゃんと水分取るんだぞ?あとあまり深いとこ行くなよ。お前あまり泳げないんだから」
「だから心配し過ぎだって。恥ずかしいから止めて」
そんな兄妹のやり取りを美玖たちがおかしそうに笑って見ていた。
「二人は本当に仲良しさんだね。私も琉莉ちゃんが妹なら可愛くてこれくらい心配しちゃうかも」
「うむ、儚げな印象があるからな気持ちはわかるぞ」
「琉莉ちゃんまた先輩と座ってお話ししよぉ」
琉莉の貧弱さは皆の共通認識になっているらしい。昨日も真っ先にバテてパラソルの下で休んでいたからそれも仕方がないし、外での琉莉が普段からアンニュイな感じを醸し出しているのも一因だろう。
「……私ってそんな風に思われてたの……?」
本人としては意外だったのか少しショックを受けているようだ。
「それじゃあ何をしようか。折角だし皆でできることがいいけど……」
「ならビーチボールがあるから海の浅瀬で皆で遊ぶか?」
「あっ、いいですねそれ。それなら皆でやれて」
葵が大きく膨らむビーチボールを手で弄びながら見せてくる。特に反対意見もなく春人たちは波が打ち寄せる浜辺まで移動する。
「冷たいっ」
海に入ると美玖が少し嬉しそうに声を上げる。
今日も外は暑い。猛暑日と言えるくらいまでは温度も上がると予想されていた。こんな日に入る海は温度差からかとても冷たく感じる。
「あ~気持ちいいな。夏はこれができるからいいよな」
「ねー。この楽しみ方ができるのは夏の特権だよね」
ぱちゃぱちゃと足で水しぶきを散らせながら美玖が春人へ近づいていき、そして――。
「それぇっ」
足を振り上げ春人の身体へと海水をかける。
「つっめたっ!」
背中にかかった海水の冷たさに春人は身をよじらせる。それを見て美玖は楽しそうに笑い出す。
「あははっ、冷たい春人君?」
「冷てぇよ。いきなりなんだよ」
「皆海でよくやってるでしょ?ちょっとやってみたくなって」
「……なるほどな」
確かにこれも海の定番かもしれない。お互いに海水をかけ合って遊ぶというのは。それならと春人も海に手を入れ――。
「おらぁっ」
思いっきり美玖へと海水を巻き上げた。
「きゃあっ、もうやったなー」
負けじと美玖も海水をかけ返す。
二人して水遊びに夢中となる。
(……なんかこれやってること……カップル同士がやるいちゃつきじゃないか?)
よく漫画などで見るカップルのじゃれ合いが春人の脳裏に過る。それが自分たちに重なり急に恥ずかしさがこみ上げてきた。
(世の中のカップルたちはこんな恥かしいことやってんのか。こんなこと人前でやるとか……ちょっと無理かも)
そう思ってしまってはもう平静ではいられない。春人は海水をかける力がみるみる弱くなる。
「ん?どうしたの春人君」
「あ、いや……」
何とも説明に困り言葉が詰まる。何て説明すればいいのかこんなこと。
「ちょっとそこのバカップル早くこっちきてよっ。始めるよっ」
春人が悶々としていると香奈が春人が意識していたことを躊躇いなく大声で口にした。
バカップルとまで言われ春人も少し動揺を見せる。
(あのやろう人が意識しないようにしてんのに)
その動揺を悟られないように春人は無駄に大きな声で「わかったっ!」と返す。
改めて平静を装うため一度息を大きく吸い吐き出すと美玖へ顔を向ける。
「待たせるのも悪いし行こうぜ」
「……うん、そうだね」
美玖の反応が少し薄かった気がするが気のせいだろうか。
春人と美玖は並んで皆と合流する。その際香奈に「なにいちゃついてんのさ」など揶揄われたが「なんでもないだろ。少し遊んでただけだ」と誤魔化す。
「全員来たことだし始めるか。難しいルールもない、ただボールを落とさずに繋げるだけだ」
本当にシンプルなルールだが皆でわいわい遊ぶならこれくらいがいいだろう。葵は手にしたビーチボールをしたからすくい上げるように打ち上げる。ビーチボールは香奈の方へと飛ぶ。
「おーきたきたー、えいっ」
弾いたビーチボールは今度は琉莉へと飛ぶ。
「っ!――っ!っ!はいっ」
おぼつかない足取りで何とかボールの落下位置に移動して打ち返した。
思いのほかたくさん続いて皆が慣れてきたころ香奈が、にっと口角を上げた。
「くらえ春人!」
今までふんわりと浮き上がる様に続いていたラリーをぶち壊し香奈がスマッシュを春人へ向け放つ。
「はっ!?おまっ」
ギリギリ落下地点に身体を滑り込ませてボールを弾く。
「おーーー、やるね春人。まさか取られるとは」
「やるねぇ、じゃねえんだよ。攻撃してくんな」
高く上がるボールを目の上に手を添え目で追いながら感心する香奈。
「だが確かに変化は欲しいところだな」
葵が口を開きそう言うと腕を肩まで上げ頭上でボールを打ち返す。香奈ほどではないが少しスピードがのったボールは真っ直ぐ美玖の方へ飛ぶ。
「えっ、私?は、はいっ!」
急な変化に戸惑いながらも美玖はしっかりとボールを打ち上げる。
「えーと、これはそういうこともありということでいいんですか?」
「ああ、春人も構わず打ち込んでくるといい」
今までのふわっと浮き上がるボールだけでなく攻撃的なのでもいいのかと聞くと葵は楽し気に応える。
それを聞いた春人は悪い笑みを浮かべると浮き上がるボールに駆け大きく跳躍する。
「お返し、だっ!」
春人の力が込められたボールが香奈へと迫る。
「うぇっ!?ちょっ、ブフッ!」
ボールは顔にぶつかり香奈は勢いあまり後方に海へと倒れ込む。じたばた海の中で暴れ香奈は上体を起こす。
「ちょっと!いくら何でも強すぎない!?」
「ビーチボールなんだしそんなに痛くもないだろ。まあ、さっきのお返しということで」
これが普通のボールなら気にするがビーチボールならスピードもそんなに乗らないし当たってもいたくないだろう。
「おー、もも君すごーい」
くるみが賞賛の声を上げてくれるので春人は手を上げ応える。
「ちくしょう。か弱い女の子に向かってあんなボール打つなんて正気化かよ」
「か弱いってほどか弱くないだろ。どちらかといえば元気っ子だろ」
「女子にはもっと優しくするもんだよ。じゃないと嫌われる、よっ!」
香奈が拾ったビーチボールを春人へ力いっぱい打ち込む。
「大丈夫。ちゃんと時と場合で優しくしてるから」
春人は難なく返すと浮き上がったボールが琉莉の方へと飛ぶ。あたふたと足を動かしながらもしっかりボールを返す。
打ち上がったボールは美玖の方へ飛ぶ。美玖はいったいどうするのか見守っていると葵が話しかける。
「美玖、気にせず打ち込んでくるといい」
「っ。では遠慮なく。いきますよ会長っ!」
美玖は振り上げた腕でボールを叩く。撃ち抜いたボールはやや逸れるが葵が見事に身体を動かし打ち上げてくれる。
「うむ、やはり皆で遊んでいるのだから楽しくやらんとな。先輩などと気にせず皆も遠慮しないで打ってくるといい」
上に立つ者の寛容さなのか余裕というものが感じられる。今この瞬間をとても楽しんでいる様子だ。
それを聞いて春人たちも少し肩の力が抜ける。やはり多少は遠慮はあった。葵の口から直接聞いたことで少しは気楽になる。
「ん、私もすぱんって打ちたいぃ」
皆のぱんぱんボールを打ち込む姿に感化されたのかくるみが瞳に熱を灯しやる気を出している。
ちょうどボールもくるみに飛んできている。上体を下げ飛び上がろうとするが――。
「あ」
「「「あ」」」
くるみの声に皆の声が重なる。
くるみはどういうことかいきなり体制を崩し前方に顔面から倒れ込む。水面を顔面でスパンっと打ち、落下してきたボールも後頭部へ当たる。
ギャグのような流れに皆時が止まったように唖然と口を開けて固まる。
(そういえば先輩ってなにもないところでよく転んでるもんな。こんな足場の悪いとこ転ぶに決まってるか)
足首よりやや上くらいまで海水で浸かっており地面も砂だ。普通の人でも歩きにくいのにくるみがまともに動けるわけない。
「ぷはっ……結構難しぃ」
水面から顔を出し空気を大きく吸うくるみ。その顔は少し悔し気に眉根を寄せていた。
「大丈夫かくるみ」
「んー、大丈夫だよぉ。いやー、恥ずかしいとこ見せたねぇ」
「君の場合はそれで平常運転だろ。今更おかしいともバカにしようとも思わんさ」
「むー、それはそれでばかにされてる気がするぅ」
ぷくっとフグのように頬を膨らませる。それを見て葵はおかしそうに笑顔を見せる。
そんな二人に後輩組も笑みを零してしまう。
「……ちょうどいいですし休憩にしましょうか」
「えー、あたしまだ遊べるよ」
「結構遊んだろ、俺が少し休みたいんだよ」
元気すぎる香奈に春人は苦笑し肩を竦める。
「ふーん、それならしょうがないね。ちょっと休憩にしよ」
疲れて休みたいという人を無理に遊ばせるようなことは流石にせず香奈も休憩に賛成する。
海から上がると皆各々に水を飲んだりして休み始めた。
琉莉はパラソルの陰に入って腰を下ろす。
「ふー……」
疲れたような重たい空気が口から漏れる。
「ほら」
「え」
琉莉は目の前に現れたスポーツドリンクに目を丸くする。顔を上げると春人がなにやら不機嫌そうに硬い表情を作り立っていた。
「無理するなって言ったろ」
「……無理ってほどじゃ……」
「お前途中から口数も減ってたしさっきも皆笑ってるなか一人顔が引きつってたからな」
「なんでそんなとこ見てんの……お兄キモい」
「はー、へいへいキモくても何でもいいから無理はすんなって。お前も倒れて皆に迷惑はかけたくないだろ?」
「それはそうだけど――ひゃあっ!」
首筋に感じた冷たさに琉莉は驚き素っ頓狂な声を上げる。
「それで身体冷やしとけ」
春人はよく冷えたタオルを琉莉の首元にかける。
「ちょっとおにい――兄さん!」
変な声を出してしまったことに文句を言おうと声を上げるが皆に注目されていることに気づき慌てて口調を戻す。
そんな琉莉の変わり身の早さに春人はおかしく苦笑する。
「琉莉ちゃんどうかしたの?」
様子がおかしい琉莉を心配して美玖が春人に声をかける。
「ん?別に何でもないぞ。ただ暑いだろうから冷たいタオルかけてやっただけ」
何も心配することはないと春人は軽い調子で説明する。そうなると美玖も「そうか」と安心したように笑って返す。
そのやり取りを見ていた琉莉は少し不満げに唇を尖らせる。自分の体調不良を心配させまいと気を使う春人に、むっとする一方感謝もしてしまう。複雑に混ざり合う感情に翻弄されながら琉莉は冷えたタオルで顔を隠す。
「……ありがとお兄」
誰にも聞こえない小さな声で囁く。
長時間日に当たっていた影響か、はたまた別の原因か。琉莉の頬が少し赤くなっていた。




