53話 安心して涙くらい出ることはある
「あー、春人やっと来た」
春人はリビングに顔を出すと真っ先に気づいた香奈が声をかけてくる。
「悪いな。ちょっと寝てたみたいだ」
「うん美玖から聞いたよー。ぐっすりだったって」
「んーまあ、そうだな」
やはり寝顔を見られていたのは恥ずかしい。春人は気を取り直し食材の準備をしている葵へと声をかける。
「すみません遅くなって何か手伝います」
「気にするな私たちも先ほど風呂からあがって準備を始めたところだ。春人が来たところで役割でも決めるか」
葵が率先して皆をまとめる。流石は生徒会長だけあって様になっている。
「役割としては食材の下ごしらえに外の机などの準備、あとは火の担当か」
「一番大変なのは食材の方かな。たぶんすごい量だろうし」
美玖は冷蔵庫に視線を向ける、今はまだ閉ざされているが中身はとんでもないことになっているだろう。
「外の準備は机と椅子並べるくらいだよな?なら終わり次第食材班の手伝いってことでいいか」
「そうだな。火の方はずっと見ててもらわなければいけないが一人いればいいだろう。なら他は食材担当として分けさせてもらおう」
「はい!はーい!ならあたし食材担当がいいです」
香奈が元気よく手を上げる。
「やけにやる気だな」
「そりゃあご飯の為だしやる気にもなるよ」
「まあ香奈が言うとすげえ説得力があるな。つうか大丈夫なのか?料理とかできるの?」
春人の失礼なもの言いに香奈は眉根を寄せる。
「ちょっと、あたしが料理できないって言ってるみたいだね」
「できないとは思ってないけど想像ができない。香奈って食べ専じゃないのか?」
「違うよ!ちゃんと料理だってできるんだから!」
香奈は心外だと抗議する。香奈には悪いがそれを聞いても全く春人には想像できなかった。そんな春人の内心を読み取ったのか香奈がジト目でこちらに視線を向けてくる。
「信じてないな。わかったそこまで言うならあたしが料理できるの証明してやる!」
拳を握り目に強い意志を漲らせる香奈。何か面倒なことになってしまった。
「いや無理しなくていいぞ。別に疑ってたわけじゃあ……ないこともないが」
「ほら!疑ってる!ふん、見てろ目にもの見せてやる」
やる気になってしまった香奈を止めることもできず春人は苦笑する。
「なら俺が火の番します。なんかこういうの男がやった方がいい気がするし」
春人が火の面倒を見るのなら他は必然的に食材担当だ。これで役割決めは終わりになる。
「私も料理たんとぉ。頑張らねば」
くるみも気合が入っているのか、ふんっと拳を握る。
「いや待て。くるみは春人と一緒に火を見てくれ」
「え」
葵の言葉に皆困惑する。そもそも火の担当は一人でいいと言っていたはずだが。
「あの会長、たぶん俺一人でも大丈夫ですよ?」
「春人ちょっと耳を貸せ」
葵は春人を引き寄せ耳元に顔を近づける。
葵の髪が顔に当たりこそばゆく春人は身震いする。
「どうしたんですか?」
「いいか春人。くるみに料理をやらせるな」
「はい?」
思わず聞き返してしまう。葵がやけに真剣な顔で言葉を発する。
「物を切らせようとすれば包丁逆手にまな板ごと刺して、火を使わせれば全てを灰燼へと変えるやつだ。とてもじゃないが料理はさせれん」
「えー……そんなにですか」
鬼気迫る葵の言葉に春人も息を呑む。大げさに聞こえるが葵が言うのだから間違いないのだろう。
「でもくるみ先輩に火を見てもらうってそっちも不安なんですが」
「だから火は春人が見ててくれ。くるみには並べた机でも拭かせておく」
実質くるみのお守だろう。火を見ながらくるみも見ていないといけないとは……。
「まあ、わかりました。ちゃんと見ときます」
「本当にすまんな。私が見てておきたいが」
「そっちの班は大変でしょうし俺は火さえつけば何とかなりますからお気になさらず」
役割的に仕方ないだろうと春人は納得する。それを聞いて葵も安心したように息を吐く。
「ねえ、あおちゃん。私も料理したーい」
「くるみ。君には春人のサポートをしてほしいんだ。後輩一人外で作業させるなんてかわいそうだろ?」
「おお、確かにぃ。任せてあおちゃん私がもも君を助けるよぉ」
葵の言葉にくるみは素直に従う。自分が騙されているとも知らず。
「では各自よろしく頼む」
葵の声に各々返事を返し持ち場に分かれる。最初に外の設営をし春人は炭を並べ始めた。
「確か入れ過ぎても駄目なんだよな。なんか空気の通る道があった方がいいとか」
春人はいつ見たかも覚えていないテレビの知識を思い出しながら手を動かす。
「おーそうなんだぁ。もも君物知りぃ」
春人の作業を近くで見ながらくるみは感心したように首をこくこく動かしている。
炭を並べ終え春人は適当な紙に火をつけ炭の上に置く。
しばらくじーっとその火が炭に移るのを待っていたが。
「つきませんね」
「ねー」
一向につく気配がない。なにか間違えているのだろうかと春人は頭を掻く。
「えーなんだこれ。全く火つかないけど」
試しに少し多めにやってみたり風を強く送ってみるが全くダメだ。
「んー……まいったなこれは」
火がつけれないとなればバーベキューができない。落胆する皆の顔が脳裏に過る。
春人が難しげな顔を作り炭とにらめっこをしているとくるみが声をかける。
「もも君これぇ」
「はい?それは?」
くるみが持っていたのは袋に入った板状のものだ。一見カレールーにも見える。袋には大きく着火剤なる言葉が書かれている。
「これで火がつくのか。今はこんなものがあるんですね」
「うん、そこの箱に入ってたぁ」
くるみが指差す先にはバーベキュー用に用意されていた道具一式が入った箱がある。その中に入っていたということは元々これを使う前提だったのだろう。素人が炭に火をつけるとこうなると葵もわかっていたのかもしれない。本当に抜け目のない人だ。
「へー、これに火をつけて炭に入れるだけでいいみたいです。本当に?」
春人は疑ってしまう。あんなにつかなかった火がこんな簡単につくのかと。
試しに着火剤の板に火をつけ炭へと放り投げる。しばらくすると炭が赤く燃え始める。風を送ってみるとぱちぱちと炭が弾けるような音が鳴り始めた。
「あ、これついたんじゃないですか?」
「うん、なんか温かくなってきたぁ」
完全に燃え移ってくれたのか少し離れただけでも熱を感じる。おそらくここまで熱を発しているのなら大丈夫だろう。
春人はほっとする。
「ありがとうございます。先輩のお陰で火つけることができました」
「もも君のサポートするって言ったからねぇ。これくらい朝飯前だよぉ」
にへーっと笑顔を向けてくれるくるみ。人懐こさが見えてくるその笑顔は春人を癒してくれる。
「あとは火を見ながら皆を待つだけですね」
「そうだねぇ。二人でのんびり待とうかぁ」
ぱちぱちと音を立てる炭を見ながら春人とくるみは並んで座る。不規則に鳴る音が今はとても心地よい。つい無心で眺めてしまう。
「もも君は今日たのしかったぁ?」
炭火の音に夢中になっているとくるみが口を開く。
「楽しかったですよ。こんなにはしゃいだのは久しぶりです」
「私もぉ。もも君バレー上手だったねぇ。あおちゃんに勝っちゃうから先輩びっくりしちゃったよぉ」
「運が良かっただけですよ。美玖にも助けられましたし」
「それでもあんなに動けるのはすごいよねぇ。私じゃ無理だよぉ」
「先輩が機敏に動いてる姿って想像できませんね」
「む、何かバカにされてるぅ?」
「してませんよ。想像すると……まあ、可愛らしいかなって」
「可愛いかぁ。ならいいやぁ」
咄嗟に誤魔化す春人の言葉を疑いもせず受け入れるくるみ。あまりにも純真無垢過ぎていつか本当になにか騙されそうで心配になる。
「あれだけ動けると楽しいだろうねぇ。春人君スポーツするの好きだよねぇ」
「え」
くるみの言葉に春人はすぐに返事ができなかった。明らかな春人の変化にくるみも気づく。
「好きじゃないのぉ?」
「え、とー……そうですね。俺はスポーツはあまり」
「そうなのぉ?あんなに動けるのにぃ」
くるみは不思議そうに小首をかしげる。
そんなくるみに春人は、あははっと誤魔化すように笑顔を向けるが傍から見てもひどい笑顔だった。
スポーツが好きかどうかの話はあまりされたくはなかった。どうしても昔のことを思い出してしまう。
春人は苦し気に奥歯を噛み締める。何かに耐えるように力いっぱい噛み締める。
苦しいほどに心臓が脈打って過去を思い出すことを拒否しようとする。
(落ち着け、先輩の前でこんなみっともない姿……)
落ち着きを取り戻そうと必死になるがどうしても心の制御ができない。最早平静を保てなくなった時、春人の頭に小さく柔らかい手が載せられた。
「よしよーし」
くるみは赤ん坊でもあやすように頭を撫でてくる。何が起きているのか理解が追い付かず春人は呆然とくるみの顔を見る。
「うん、いつものもも君だぁ」
春人の顔を確認するとくるみは聖母のような優しい微笑を返す。
驚きで先ほどまでの動揺も消え去ってしまった。
「あの……これは……?」
「もも君なにか辛そうだったからぁ。ごめんね変なこと聞いたねぇ」
「っ!違います!これは俺の問題で先輩のせい、じゃ……あの先輩次はなにを」
「知ってるもも君?人ってくっ付いてると落ち着くんだよぉ」
春人の言葉を聞き終わる前にくるみはぎゅっと春人に抱き着いてきた。次々と奇想天外な行動をするくるみに春人もついていけなかった。
「なにがあったかなんて聞かないよぉ。先輩はもも君を傷つけたくないからねぇ」
その代わりとばかりに春人への抱擁の力が強くなる。
「それでも辛いときはいつでも抱きしめてあげるぅ。先輩はもも君のこと大好きだからねぇ」
くるみの温度を服越しに感じながら春人は強張っていた身体の力を抜いた。
優しさが心に染みてくるようだ。辛い気持ちが全て泡のように消えていく。代わりに暖かな温もりが春人の心を満たしていった。
そんな痛んだ心に優しく触れられたからだろうか。
「あ……」
気づけば春人の頬を水滴が流れていた。悲しいとか辛くて泣いてるんじゃない。ただ安心してしまったのだ。
心の底から安心してしまった。
「……先輩しばらくこっち向かないでください」
「んー、わかったぁ」
理由も聞かずにくるみは頷く。きっと気づいているのだろう。
何も言わずにくるみは抱擁を続けた。
数分後には春人も落ち着いてきた。目元に薄っすら残った水滴を手で拭い。春人はくるみに話しかける。
「先輩ありがとうございました。もう大丈夫です」
呼びかけても反応はなかった。不思議に思い顔を覗くと――。
「すー……すー……」
規則正しく寝息を立てる天使のような寝顔がそこにあった。
「えー……これどうすればいいんだ」
くるみは春人に抱き着いたままだ。起こせばいいのかと思ったがあまりにも幸せそうな寝顔がそれを躊躇わせる。
あとは寝かせたまま動かすかだが体勢的に難しい。春人は困り途方に暮れるがくるみの寝顔を見て頬を緩める。
「本当によくわからない人ですね。でも今回は本当にありがとうございました。少し気が楽になった気がします」
春人は眠るくるみの頭を撫でる。一瞬身動ぎして起こしてしまったかと春人は手を引こうとするがくるみは春人の手に自ら頭を寄せるように動かす。心地よさそうに再び春人の手に収まる。
そんなくるみの様子に春人は苦笑し微笑を浮かべる。
何を考えているのかいまだによくわからないが春人の苦しみを和らげてくれたことに変わりはない。今は気持ちよく眠っててほしいと思う。
そして、再びくるみの頭を撫でていると庭へとつながる扉が勢いよく開いた。
「春人お待たせー!ほら肉だぞー!……って、何してんの二人とも?」
元気な香奈が皿いっぱいの肉を持って飛び出してきた。
お互いに目を交わしたまま固まる。
(おー……このタイミングでかぁ)
春人は焦っていた。別にやましいことはないがこの態勢は非常にまずい。なにか言わなければと思うがその前に次々と庭へと人が出てくる。
「ごめんね遅くなって……ん?どういう状況?」
「兄さんついにくるみ先輩に手を出したの?」
「ほー、まさかこの旅行中に手を出すとは、君も結構やるな」
「いや、ちょっと待ってください!寝てるだけ!くるみ先輩寝てるだけですから!」
喉が避けんばかりに声を張る春人。流石にここまで騒がしくするとくるみも起きる。
「ん……んー……朝ぁ?」
「先輩寝ぼけてないで。ほら皆来ましたよ」
「………」
薄っすらと開いた眼でくるみはしばらく春人の顔を凝視すると再び抱き着いてきた。
「いやぁ、まだ眠いぃ」
「いや、眠いって、ちょっと先輩?」
再び寝息が聞こえてきた。驚くべき寝入りの良さだ。
再び起こそうとするが葵が止めに入る。
「寝かせといてやれ。どうせ肉が焼けてきたら匂いで起きるさ」
「起きます?そんなので」
香奈ならともかくくるみがそれで起きるとは思えないが葵が言うならこのままにさせておこうと思う。ただ――。
「俺動けないんですけど?」
「肉くらい私が取ってやろう。君はその眠り姫の面倒を見ててくれ」
「そんな会長に悪いですって」
「なら他のものに頼むか?美玖、春人に焼けた肉を取ってやってくれんか」
「はい、私はいいですよ」
葵の申し出を断ったが今後は美玖がやると言い出した。これじゃあいくら断っても変わらないだろう。
「任せて春人君。私がお肉集めてくるから」
「あ、ああ……ありがとう美玖」
春人は渇いた笑みを浮かべる。えらいことになってしまった。
「なら私も手伝う。兄さんピーマンとしいたけたくさん持ってくる」
「たくさんもいらんわ。つうかお前が嫌いなもの押し付ける気だろ」
琉莉の魂胆がわかり春人が指摘すると琉莉はそっぽを向く。
二人のやり取りを見届け葵が口を開く。
「なんにせよ皆お腹が空いただろう。早くバーベキューを始めようじゃないか」
「よーしっ、焼くぞー!」
ひと際気合の入った声が集団の中から聞こえてくる。誰だと探す必要もない。香奈だ。
皆それぞれ動き出す。動けない春人はそれをただ見守っている。
「本当にこのままやるんだ」
一度春人は寝ているくるみへ視線を落とす。気持ちよさそうに寝ているくるみは起きそうにない。
「……まあ、いいか」
春人は諦め現状を受け入れる。くるみのためなら黙って抱き枕でも何にでもなろうと春人は思っていた。




