44話 手土産?なにそれ?おいしいの?
春人は最寄りの駅から三駅ほど離れた駅で琉莉と二人で日陰になっているベンチに腰を下ろしていた。
「暑いよお兄~溶けちゃうよ~」
「暑い暑い言うな。余計暑くなる」
「だって暑いもんは暑いんだもん。一応まだ朝の九時前だよ。それなのにこんなって地球温暖化もいよいよって感じだね」
「お前も温暖化とか気にするんだな」
「そりゃあね。日々この暑さにどう向き合おうか考えてるよ」
琉莉が足元で列を作っている蟻に視線を落とす。この暑い中せっせと働いている蟻が今はとても偉く見える。
「ねえお兄。蟻って熱中症にならないのかな?」
「急に話題変えたな。なんだよいきなり」
「この暑さの中でも動ける蟻ってすごくない?はっ!もしかして暑さを乗り越えるヒントがあるんじゃないの?私ピンっときたよ」
何か閃いたように琉莉が顔をがばっと上げる。
「ほら漫画とかでもあるじゃん。虫の細胞とかを人間に取り込んでなんか進化するの。あんな風にできたらこの暑さも乗り越えれるんじゃないの」
琉莉が自分の考えを説明し始める。荒唐無稽とは言わないが漫画は漫画だ。現実と一緒にするのは流石に無理がある。
「……熱で頭やられたか?」
春人は哀れみを込めた視線を琉莉に送る。この暑さだ多少バカになってもしょうがない。
そんな春人の言葉に琉莉はくわっと目を開き立ち上がる。
「やられとらんわ!折角世紀の大発見の立会人にしてあげてんのに」
「そんなのいいから座れよ。ただでさえ暑いのに余計に暑いだろ」
「減らない口だな。こうしてやる!」
「うわっ!お前!やめろ!」
琉莉は春人の膝に横向きに跨りそのまま身体を寄せる。一気に体感温度が上昇する。
「お前暑いわ、暑苦しいわ!」
「ふっふっふっ。どうお兄?暑いでしょ?」
「だから暑いって言ってんだろ!つうかお前だって暑いだろ!」
「お兄にお仕置きできるならこれくらいの暑さ…………やっぱだめだくらくらしてきた」
「ほんと何したいんだよお前!早くどけ!」
兄妹仲睦まじくじゃれ合っていると春人たちに近づいてくる足音が複数聞こえてきた。
「あ、春人君おはよう……何してるの?」
挨拶を送ってくる美玖がこの暑い中密着している春人たちに奇妙なものを見る目を向けてくる。
「おー、あっついのによくやるねー春人も琉莉も。でもなんの遊びそれ?」
美玖の隣に並ぶ香奈も春人たちの滑稽にも映る姿を見て笑っている。
「遊んでねえよ。琉莉が離れないんだよ」
「兄さんが私をいじめるから少し懲らしめて上げようと」
琉莉の口調が少し大人しくなる。目元も垂れ目で愛嬌のある瞳へ変わる。美玖たちが来たので猫をかぶりだしたのだ。
「春人ー、いくら妹が可愛くてもいじめるのはよくないよ」
「いじめてねえからな。むしろ俺の方が被害者だろこんな状況」
「私が受けた苦痛を少しでも味わえばいい兄さん。そうすれば私も悔いはない」
「おいおい死にかけてんじゃねえか。もういいから離れろよ」
春人は琉莉をひょいっと持ち上げると隣に座らせる。特に抵抗することもなかったのは琉莉もすでに限界だったからだろう。お互い汗でびしょ濡れになっていた。
「あっっっつーーーー……まじで何がしたかったんだよお前」
「ふっ、汗で暑苦しくなった兄さんなんて美玖さんから嫌われてしまえ」
琉莉はハンドタオルと制汗シートで汗を拭い取っていく。一応気にすることは気にするらしい。女子としての最低限の部分を持ち合わせていて春人はなんだかほっとする。
「つめたっ」
琉莉に気を取られていると顔に何か冷たいものが触れる感覚があった。咄嗟に顔を引いてしまう。
「あ、ごめんね。すごい汗だったから拭いた方がいいと思って」
「あ、ああ、それはありがとう……でも自分の汗くらい自分で拭くぞ」
美玖が自分のだろうか制汗シートを持って春人の汗を拭いてくれた。流石に汗を拭かせるのは申し訳ないし恥ずかしく春人は少し照れる。
「あはは、そうだよね。ならこれ使って。冷たくて気持ちいいよ」
「ありがとう美玖」
春人は美玖から渡された制汗シートで身体の汗を拭いていく。拭いたところがひんやりするのはよくあるメントール配合とかだろうか。少し風が吹けば拭いた箇所が更に冷やされ心地いい。
汗を拭き終わり春人は改めて美玖へお礼を言う。
「ありがとう。だいぶすっきりした」
「汗かいたままだと気持ち悪いもんね。琉莉ちゃんもちゃんと拭けた?」
「うん……なにか美玖さん私のこと子ども扱いしてない?」
美玖の言葉になにか引っ掛かったのか琉莉がそう口にする。
「あーごめんね。そういうつもりじゃなかったんだけど……琉莉ちゃん小さくて可愛いからつい」
確かに琉莉は女子の中でも小柄な方だ。高校生と思われることはまずない。そんな琉莉に美玖は少し世話を焼いてしまったらしい。
「そういうことなら全然おっけー。もっと可愛がっていいよ美玖さん」
「お前本当に美玖のこと大好きだよな」
「あたしも好きだよ琉莉ー」
「香奈さん暑苦しい」
「ひどいっ」
抱き着いてきた香奈へ文句を言う琉莉。それでも嫌がっている様子はない。されるがままに身体が揺れている。
「全員集まっているみたいだな。すまない遅くなって」
話に夢中になっていて近くに来るまで気づかなかった。顔を向けるとそこには葵が大きなキャリーバッグを転がして立っていた。春人は立ち上がり葵に向き直る。
「遅くってまだ集合時間前ですよ。謝る必要ないですって」
「これでもだいぶ早めに家を出たのだがな。やはり彼女のことを甘く見ていたようだ」
葵は困ったように肩を竦める。そんな彼女の後ろからひょっこりと顔を覗かせる人物がいた。
「やー、もも君おはよー」
「おはようございます、くるみ先輩……ちゃんと来れたみたいでなによりです」
春人はくるみの顔を確認して安堵する。そんな春人にくるみは訝し気な視線を向ける。
「んー?そりゃあ来るよぉ。どうしたのもも君?」
「先輩よく道に迷いますから来れるか心配で」
「む、前にも言ったよぉ。私は方向音痴じゃないよぉ」
くるみは不服そうに頬を膨らませる。人形のように可愛い彼女がやるととても愛らしい。
「あはは、確かにそうでしたね。会長も朝からお疲れ様です。くるみ先輩を迎えに行ってもらって」
「彼女の面倒を見るのは慣れているからな。逆に放っておくほうが心配になる。どうせ行く場所は一緒なんだついでだよ」
なんてことはないと葵は言うが実際は大変だったのだろう。早めに家を出たというのにこの時間に到着したのを考えればくるみが今日もいろいろしでかしたに違いない。
息をするように道を間違え何もないところで躓き転ぶくるみを連れて目的地に着くのは並大抵の難易度ではない。実際春人も身をもって経験しているのでわかる。
「会長、今日はお招きいただきありがとうございます。でも本当に良かったんですか?俺まで参加して」
「構わんよ。それに君には借りがあるんだ。これくらいどうってことはない。そもそも皆で海で遊ぶのに気を使う必要もないだろう」
遠慮がちな春人に葵は笑みを向ける。何が問題あるのかといった様子だ。
「初めまして生徒会長。春人の妹の琉莉です。本日は私まで同行の許可をいただきありがとうございます。つまらないものですがどうぞ」
葵と話していると春人の隣に琉莉が並び綺麗に頭を下げ、鞄からお菓子が入った箱を取り出した。それを見て葵は感心と共に苦笑してみせる。
「君が百瀬の妹か。初めまして喜多村葵だ。礼儀正しくいい子じゃないか。だがそんな固くなることはないぞ。呼んだのは私だ。何も気にする必要はない」
「わかりました生徒会長」
葵の言葉を聞くと琉莉は引き締めていた顔を和らげ笑みを作る。その反応に満足したのか葵は一度頷く。
「お前いつの間にそんなの買ってたんだ」
「これからお世話になるのだからこれくらい普通だよ。むしろ手ぶらの兄さんがどうかしてる」
「う……確かにそうかもしれんな。今からでも何か買ってこようか……」
春人と琉莉が手土産について話している光景を見ながら葵がおかしそうに笑みを零す。
「なるほど香奈が言っていた通り仲がいいな君たちは。しかしこうなると百瀬と呼ぶのはややこしいな。問題がなければ名前で呼ばせてもらえないだろうか?」
「はい。私は大丈夫です」
「ありがとう。百瀬、君もいいだろうか?」
後半は春人に向けられた言葉だ。春人も特に断る理由もない。
「ええ、構いませんよ会長」
「そうか、では春人に琉莉、今日はよろしく頼む。私のことも名前で呼んでくれても構わないが流石に抵抗があるだろう。会長でもなんでも好きに呼んで構わない」
「あはは、ありがとうございます助かります」
ここで自分も名前で呼んでくれと言われたら流石に春人も困っていた。その辺のことはやはりしっかり配慮してくれているようだ。
「あの、会長私もあいさつを」
続いて美玖も葵の前に姿を晒す。すると葵は春人たちとは少し違う反応を示す。
「おお、君が桜井か。噂は聞いてるぞ」
「あはは、やっぱりそうですよね……初めまして桜井美玖です。まさか私まで呼んでもらえるとは思わなかったです」
「君のことは香奈から聞いたよ。本当に申し訳なかったな怖いのが苦手なのにあんなことに参加させてしまい」
葵は申し訳なさそうに眉尻を下げる。
夏休みの一日前。学校で噂になっていた幽霊騒動の鎮静化のため生徒会が人選した生徒で学校内の調査を行った。ちょっとした手違いもあり怖いのが苦手な美玖が参加することになってしまったのだが騒動自体は落ち着くところに落ち着いた。
「だから今日はそのお詫びだと思ってくれればいい。それに仲がいい友達がいれば香奈も喜ぶからな」
「わかりました。それではお言葉に甘えて今日は楽しませてもらいます」
先ほどまでは笑顔に少し硬さが見えたがもうそんなことはなくいつもの柔らかい微笑みを浮かべていた。こういうところは美玖の長所だろう。その微笑みからは人当たりの良さがとても感じられる。
「あと皆名前で呼んでいるのに君だけというのもなんだ、美玖と呼ばせてもらうがいいか?」
「はい、大丈夫です。私は……皆会長と呼んでいるのでそっちで」
「ああ、構わんよ」
どうしようか悩む素振りを見せて美玖は葵の呼び方を皆に合わせた。葵も特に気にした様子もなく笑って答える。
その際美玖もお菓子の箱のようなものを取り出していた。
(やっぱり何か買ってきた方が……)
本気で今から駅の売店で何か見繕ってこようかと考えていると香奈が元気に声を上げる。
「あっ、会長おはようございます!」
「ああ、おはよう香奈。君もちゃんと間に合っていて何よりだ」
「え?あたしってそんな遅刻するイメージなんですか?あ、くるみ先輩おはようございます!」
「うん、おはよー香奈ちゃん」
そのまま少し話が続くがすぐに終わった。その際香奈から手土産が渡されることはなかった。
春人は仲間がいた安心感についほっとしてしまう。
(よかった香奈も持って来てないんだな。俺だけだったら本当に気まずい思いをするとこだった……)
同胞に親しみを込めた視線を送る。そんな生暖かい視線に気づいた香奈は訝し気に眉根を寄せる。
「え?なに春人変な目向けて」
「やっぱり香奈は香奈だったなって安心したよほんとに」
「え?なに本当に……ちょっと怖いんだけど」
「仲間がいてくれたことに安心したんだよ気にしないでくれ」
「仲間?」
全く言ってる意味が分からないと香奈は首を傾げる。
「いろいろと話をしたいところだがそろそろ電車の時間だ。ここは暑いし続きはそっちでしよう」
葵は先頭に立ち皆を先導する。ここからまた電車に乗って移動となる。目的地は夏の定番。誰もが真っ先に思い浮かぶであろう海だ。




