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28話 学生にとって異性との間接キスは一種のイベントである

 勉強会も終盤にきて多少集中力も切れてきた。時折どこかから聞こえる生徒の声に笑い声が混じっているのは春人たちと同じで集中力切れからだろうか。


 だがそんな中でも美玖の集中力は維持されており、春人の特訓も相まって教え方については大分改善されていた。


「……あ、わかった」


 香奈が呟く。その声には驚きが含まれていた。ぱっと美玖へ顔を向ける。


「わかったよ美玖!すごいちゃんと教えれたじゃん!」


「ほんとに?よかったぁ」


 香奈の反応を見て美玖は肩の荷が下りたように脱力する。

 そんな美玖に春人も笑顔で声をかける。


「やったな美玖」


「うん、春人君のおかげだよ。ほんとにありがとっ」


「いやーほんとに春人様々だね。まさかここまで変わるとは。どう?春人色に変えられた気分は?」


「何言ってるの香奈。意味がわかりません」


 にやにやと揶揄う香奈に美玖は慣れたようにあしらう。


「なんだよ、つまらんな」


 香奈は唇を尖らせると今度は春人へ視線を向ける。


「ここまでしてあげたんだから春人も一つくらい何かお願いしてもいいと思うよ」


「別にそういうの目的で教えてたわけじゃないんだが」


 揶揄いがいのない美玖に変わり今度は春人が標的となる。


「おい百瀬お前どんなお願いするつもりだよ」


「だからしねえって」


 鼻息荒く食い気味にくる谷川を雑にあしらい春人は美玖を見る。


「美玖も気にしなくていいからな」


「うーん、でも私もなにかしてあげたいなーとは思ったんだけどね」


「いや、本当にいいからな。俺から言い出したことだし」


「それでもお世話になったことには変わらないでしょ――あっ」


 美玖が悩まし気に視線を動かすとある一点に止まり声を漏らす。


「そういえば、はい」


 すると缶を持って春人に差し出してくる。


「はいって……なんだ?」


「ほらさっき言ってたでしょ。一口あげる」


 春人は、あーっと思い出す。自販機でそんな話をしていたと。

 美玖の善意のため断るつもりはないのだが――。


(そういえばなんも考えてなかったけど……このままだとみんなの前で飲むんだよな……美玖が口付けたココア)


 缶の飲み口を見ながら春人は唾を飲み込む。今更間接キスが恥ずかしいなんてことはない。それ以上に恥ずかしいことを以前したのだから。問題は香奈と谷川に見られるという点だ。


 その証拠に二人の視線が春人へ集まっている。片やわくわくと目を輝かせ、片や憎悪と妬ましさが入り混じったような目を向けてくる。


 学生にとってやはり異性が口に付けた飲み物を貰うというのは一種のイベントに近いのだろう。

 そんな目を向けられてるのだから春人も対応に困る。


「え?なに?飲むの?飲むの春人」


「~~~ッ!~~~ッ!」


 なんとも楽しそうだ。一部声にならない声を発しているが。

 頬を引きつらせつつ春人は缶を受け取る。このままでは埒が明かない。


「なら遠慮なく貰うよ」


「うん、どうぞ」


 缶を傾け口に入ってきた甘いココアをこくっと飲み込む。この甘さはココアだけのものなのだろうか。春人は意識しないようにしながら缶を美玖に返す。


「おいしかった?」


「ああ……甘かった」


「そっかーよかったよかった。春人君甘いの好きだもんね」


 美玖は嬉しそうに言うと一瞬視線が動く。本当に一瞬ちらっと香奈たちの方を見てもう一度春人に向き直る。

 いったいどうしたのかと春人も少し不思議に思っていると美玖が少し口角を上げる。


「間接キス意識しちゃった?」


 いきなりの発言に春人は身体を強張らせる。なんでこのタイミングでと思いながらも春人は口を動かす。


「なんだよいきなり」


 声は震えることなくしっかりと出た。動揺を表に出さなかったことに春人は自分に賞賛を送る。


「やっぱり意識するものなのかと思って、ほら、二人も興味津々みたいだったし」


「他は知らんけど俺は別に意識とかないな」


「そうなんだ」


「ああ、前もやったんだからもう何回やっても……」


 春人は言葉を止め、すーっと息を吸う。


(やば、余計なこと言ったか)


 視線をゆっくり香奈たちの方に向ければ春人の懸念は的中し香奈が目をきらきらと輝かせる。


「え、どういうこと!?春人前になにがあったの!?」


 すんっごく楽し気な香奈が机から身を乗り出す。


「……そんなに食いつくか」


「そりゃそうでしょ。女の子はこういった恋バナ系は大好きなの」


「これって恋バナの分類に入るのか?」


「当たり前でしょ。何とも思ってない男子と何回も間接キスなんてしないから。谷川とかあたし無理だし」


「おい!なんで俺ディスられてんだ!」


 飛び火した谷川が声を上げると春人へ呪いでもかけんばかりの憎悪の籠った目を向ける。


「百瀬っ!お前はぁ、お前はいづもぉぉぉっ!」


 呪言でも唱えるように悍ましい声が漏れる。

 とんでもない状況に放り込まれ春人は頬を引きつる。


(なんかとんでもなく面倒なことになってきたぞ)


 どうすんだと美玖へ視線を向けると、にこっと笑顔を返される。


(あーーーーー、いつものだはこれ)


 春人は察して眉を顰める。なにかと揶揄ってくる美玖だがこれはその延長線だ。


「それでそれで?前にもこんなことあったの?」


 本当にこういう話が好きなのだろう香奈から楽しさがこれでもかと伝わってくる。


「別に特別なことはないぞ。ただパンケーキ一緒に食べに行ってお互いの分け合ったくらいで」


「ほー、パンケーキなんてまたおしゃれなもの食べたね」


「俺が一度行ってみたいってこぼしてたの琉莉が覚えててな。後は流れで」


「なるほどなるほど、でも分け合っただけじゃ間接キスにならなくない?あたしもパンケーキは友達と食べに行くけど。それこそ食べさせ合いっこしない、と……」


 香奈の言葉が不自然に止まる。何かに気づいたように目を大きく開き春人と美玖を交互に見る。


 春人は冷や汗を背中に垂らしながら息を呑む。


「え?そうなの?」


 春人は視線を逸らすが美玖はにこっと笑顔を向ける。


「まっじでーッ!?ほんとにッ!?うそーッ!?」


 今日一番のテンションの高さに春人は気圧される。でもそんなことはお構いなしに香奈はなにか期待するようにきらっきらに輝いた瞳を向ける。


「そうなの!?二人付き合ってんの!?」


「付き合ってねえよ」


 何となく予想してたがその通りの質問が飛んできて春人は食い気味に否定する。


「えー、そんなことないでしょ。だって食べさせたんでしょ?あーんってしたんでしょー?」


「確かにしたけど……あーーー、それでも香奈が思ってることはない」


 頭をがしがしと掻きながら春人は大きく息を吐く。


 香奈の隣には生気を失いぱくぱくと口を動かしている谷川が「あーんって、あーんって……」と何度も繰り返している。谷川からしたら未知の体験だろう。脳が必死に現実の受け入れを拒んでいる。


「むー、なら美玖美玖!どうなのその辺!」


 春人に聞いても教えてくれないとでも思ったのか今度は美玖へ質問を投げかける。

 美玖は長い髪を揺らしながら小首をかしげると笑顔で話しだす。


「どうって言っても春人君の言う通りだよ。私たち付き合ってないから」


「くっ、なかなか手強い」


 香奈は悔しそうに拳を握る。


(手強いも何も本当に何もないからこれ以上なんも出てこんぞ)


 春人は諦めろと視線で訴えるがここでしぶとく食らいついてくるのが香奈だ。


「なら質問変える。美玖は春人のことどう思ってんの?」


「ぶふッ!おまっ、なんてこと聞いてんだ」


 いきなり踏み込んだ質問に春人は驚きと共に噴き出す。


「だって普通あーんなんてしないでしょっ、あーんなんてっ」


「わかったからそんなに連呼すんな。恥ずかしくなる」


 ただでさえあの日のことを思い出すと身体が熱くなるのに繰り返さないでほしかった。


「うーん、春人君のことかーそうだなー」


 人差し指を顎に触れ考えるような素振りを見せる美玖。しばらくそうしていると美玖は考えがまとまったのか、うんっと一度頷く。


「香奈」


 落ち着きに重さが伝わる声で名前を呼ぶ美玖の真剣な瞳に香奈は一瞬飲み込まれる。


「な、なに」


 ちょっとかすれた声を漏らしながら香奈は返答し美玖の言葉を待つ。いきなり緊張感漂う空気に変貌した教室で春人も美玖の言葉を息をすることも忘れ待っていた。


 見つめ合う二人は微動だにしない。体感にしてとても長い時間が経過したように感じる。

 そして美玖が動く。人差し指を一本口元に立てながらその小さな口が開く。


「ひ・み・つ、だよ」


「…………ふえ?」


 美玖の何とも明るく軽い感じの言葉に今までの空気が消し飛ぶ。


 緊張し身構えていた身体から一瞬にして力が抜けたのか、香奈はきょとんと目を丸くする。

 そんな香奈の反応に満足したのか美玖がおかしそうに笑いながら言葉を続ける。


「乙女に秘密はつきものでしょ?これは誰にも教えません」


 しばらくカカシのように動かなかった香奈が少しずつ正気を取り戻していき次の瞬間には目をくわっと開く。


「ちょっとなにそれ!あんなに勿体ぶって!」


「ドキドキしたでしょ?」


「したけどさ!やる意味あった!?」


「春人君もドキドキした?」


「話聞けっ!」


 完全に美玖のペースに持ってかれている。こうなっては一筋縄ではいかないだろう。


「ドキドキというかひやひやしたな」


「ひやひや?」


「なに口にするのか気が気でなかったわ」


 平気で爆弾を投下してくるから春人としても聞いてて生きた心地がしなかった。


「言われて困るようなことでもあった?」


「そういうわけではないけどさ……」


「ふーん、春人君は知りたかった?私の気持ち」


 美玖は小悪魔じみた笑顔を浮かべる。そんな美玖の行動に春人は今度こそ心臓の鼓動が早くなった気がした。


「誰にも教えないんじゃなかったのか?」


「春人君にならいいかなぁって」


 春人も気にならないことはない。一瞬聞いてみようかとも思ったが――。


「いや、止めとく。こういうのは聞き出すようなことじゃないし」


 聞きたい気持ちをぐっと堪える春人。そんな春人の言葉に美玖の笑顔が和らぐ。


「やっぱり春人君は春人君だねー」


「なんだよそれ」


「褒めてるんだよ。ふふふ」


 楽し気に笑みを零す美玖を見て春人は肩をすくめる。いつものように美玖に振り回されてしまった。


「ちょっとあたしたちのこと忘れてない?」


 香奈がジト目を作りながら春人たちを不満げに見ている。


「忘れてないって。――こいつどうしたの?」


 香奈の様子に苦笑していると春人はその隣に視線を向ける。


「ん?美玖が秘密とか言い出したあたりからこんなだよ」


 香奈が興味なさげに一瞬視線を隣の谷川に向ける。

 力なく机に突っ伏してる姿は燃え尽きた灰のようだ。風が吹けばそのまま飛んでいきそうなほど弱々しい姿になっている。


「そのあとも美玖と春人のいちゃつきを見せられてもうオーバーキルだよね」


 香奈がやれやれと掌を上向け首を振る。


「私たちいちゃついてたらしいよ春人君」


「なんでそんな嬉しそうなんだよ」


 にこにこと楽し気な美玖からは揶揄ってきているのがよくわかる。


「あー、さすがにここから勉強って空気じゃないね」


 香奈はいちゃつく(香奈目線)二人から顔を逸らしながら椅子の背もたれに体重をかけ天井を見上げる。教室にいる誰もがもう集中力を切らせてしまった。


「十分に勉強はできたしいいだろう。香奈はもうわからないとこはないのか?」


「うん、春人のお陰でばっちり。ありがとっ」


 香奈は人差し指と中指を立ててピースを作りながら、にいっと歯を見せる。ちゃんと役に立てたのだと春人もほっとする。


「これでもうテストの心配はないね」


「香奈はすぐ調子に乗るから油断してると痛い目見るよ」


「痛い目ってなにさ」


「夏休み前のテストだよ。赤点なんて取ったら夏休み中補習だよ」


「うわぁー、そうかそうなるのか。絶対ヤダ」


「ならテストまで油断しないでちゃんと勉強するんだよ」


「はーい」


 苦虫を噛み潰したように本気で嫌そうな顔を作る香奈へ美玖は子供に言い聞かせるように注意する。


「他に用事もなければそろそろ帰るか。男はともかく女子は遅くなりすぎると心配だし」


「おお急に紳士だね春人」


「俺はいつでも紳士だろ」


 前髪をサッとかき上げると香奈がおかしそうに腹を抱えて爆笑する。


「あははっ!似合ってな」


「うっせーよ」


 教科書やノートを鞄に詰めている際中、傍らにいる屍のように机に突っ伏している存在を思い出す。


「おい谷川。もう帰るぞ」


 呼んでもなんの反応もなくもう一度強めに呼んでみるとやっと谷川は目を覚ます。


「はっ!……ここはいったい……」


「なに寝ぼけてんだ。もう帰るって」


「帰る?……そうか俺たち勉強会で集まってたんだな。なんか途中から記憶が……でもなんだろう」


 谷川は春人の顔を凝視して眉間に深い皴を作る。


「お前にすごい殺意が溢れてくるんだけど」


「そんなあやふやな殺意向けられても困るんだが」


 谷川の殺気の籠った目を全身に受けながら春人はちょっと安心する。


(忘れてんならこのままにしとこ。絶対面倒だし)


 都合よく忘れてくれているなら無理に思い出させる必要もない。春人は余計なことを思い出させないように谷川に帰り支度を催促する。


「ほらなんでもいいからもう帰るって。置いてくぞ」


「ちょっ、わかったからちょっと待ってくれっ」


 谷川は机にあるものを片っ端から鞄に放り込むとファスナーを半分ほど閉めて急いで教室から出て行く。

 春人の前方を歩く美玖と香奈が楽し気に会話するのを見ていると隣から谷川に話しかけられる。


「なあなあ百瀬」


「どうした」


「今日勉強会だったんだよな?なんか全然やったこと覚えてないんだけど本当に勉強してたのか?」


 いろいろと衝撃なことの連続だったためか今日の出来事が谷川の頭から抜け落ちてしまったらしい。

 一応ちゃんと勉強している姿は見ていたため気の毒で春人はなんと言ったものかと悩む。


「あー、まあほとんど話して終わった感じかな。うん、勉強そんなしてないし気にすんなって」


「そうかー、友達と集まって勉強会なんてそりゃあだべって終わるよな」


「おう、だから気にすんな」


 谷川が少し不憫に思えたので元々勉強なんてしてなかったと話をまとめる。


(こいつは夏休み補習かもなー)


 隣を歩く谷川の数週間後を想像しながら春人は夕日に照らされる廊下を多少の罪悪感を残して歩いていた。

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