24話 いったい何がお前をそこまで必死にさせるんだ
テスト期間中の教室は独特な雰囲気がある。普段は勉強している姿を見せないのに休み時間もノートを広げ勉強しているもの。普段はくだらない話に花を咲かせているが会話の内容がテストに関するものになるもの。いつもと違う行動をテストによって強制される。これによって教室にはいつものような賑わいはなかった。
そしてここにもテストによって行動を強制されたものがいる。
「春人って数学得意だったりする?」
普段口にすることのない話を香奈は春人へ問いかける。
「まあ、得意な方だとは思うけど……なんだよいきなり」
春人は訝し気に眉根を寄せる。
席に座ってぼーっと外を眺めていたらいきなり香奈が駆けてきてこの質問だ。春人の反応は正常である。
「お願い!今回ちょっとピンチなの数学教えて!」
両手を合わせて頼み込んでくる香奈に面食らう。
「別にいいんだけど……なんで俺?」
春人は純粋な疑問を口にする。香奈は友達が多い。天真爛漫なその性格は自然に人を寄せ付ける。なのでわざわざ春人に聞かなくてもって思う。
すると香奈はきょとんと首を傾げる。
「なんでって春人に教えてほしいからだけど?」
「それだけ?」
「それだけ」
本当にそれだけなのだろう。香奈は今も不思議そうに春人の顔を窺っている。なぜそんなことを聞くのかと思っている顔だ。
真っ直ぐすぎる香奈が眩しく春人は己の根暗さが際立ったように感じた。
「そうか、わかった。じゃあ早速教えるけどどこがわからないんだ?」
春人は気を取り直し香奈の要望に応えるため教科書を開く。だが香奈は慌てて両手を振って眉尻を下げる。
「あ、ごめん!できれば放課後の方がいいんだけど……」
「いいけど……なんかあったか?」
「うん、これから生徒会の仕事が少しあって」
「え、香奈生徒会だったのか」
いきなり湧いた情報に春人は驚愕する。
「そうなの。だからできれば放課後に教えてもらえないかな?」
「それは別にいいぞ。どうせ帰ってもテスト勉強くらいしかやることないし」
「ほんと!?すごい助かる!ありがとう春人!」
香奈が太陽のような満面の笑顔を作る。こんなに喜んでもらえるのなら引き受けた甲斐もあったと思う。
「じゃああたし生徒会の仕事行くから!放課後よろしくね!」
春人が返事をする前に香奈は駆けて行ってしまった。微妙に上げた右手を戻し春人は何気なく外を眺める。
(嵐みたいなやつだな。まあやることなかったのは本当だし別にいいか)
結構勢いに押され返事をした感があるがそこは気にしていない。
「みーたーぞー……」
「うわぁっ!?」
春人は驚き椅子から転げ落ちそうになる。いきなり机の端から顔が生えてきたのだ。
「百瀬……水上となに話してたんだ?」
「普通に出て来いよ!マジでびっくりしたわ!」
机から顔だけ生やした谷川がじーっとこちらを見ていた。軽いホラーに春人の心臓がバクバクと鼓動を早くする。
「女子と楽しげに話してるお前を邪魔しないための気づかいだよ。気づけよ!」
「単純にお前が会話に入ってこれなかっただけだろ」
「ち、ちげえし、本当に気を使ってやってただけだし……」
背が高くて顔も怖い谷川だが可愛い女の子との会話にはなかなか入ってこれない小心者である。
「まあ、なんでもいいわ。ほら、用がないなら帰れ」
「だから水上となに話してたんだって言ってんだろ!」
面倒くさいのでそのまま帰ってもらおうと手でしっしっと追い払うが谷川は血走った目を向けて粘る。一体なんでこうも必死なのか……。
「はー、別に大した話じゃないぞ。放課後に数学の勉強を見ることになっただけ」
「勉強を見る?なんで百瀬が?」
「そこは俺も知らんけど、まあ成り行きで」
香奈が春人に教えてもらいたいとわざわざ指名してきたことを言えばまた面倒なことになるだろう。その辺は誤魔化し谷川に説明する。
「水上って他に友達多いのにな……なんで百瀬なんだか」
「まあ……話の流れてきにそうなったとしか言えないな」
「数学……数学か……俺も結構苦手な科目なんだよなーチラッ」
「………」
わざわざ擬音を口に出してまでこちらをチラッと見てくる谷川。谷川が何を考えているのか何となく理解した。
「俺はいいけどちゃんと香奈にも聞けよ?」
「うっ……わかった。そこはやっぱり……けじめとして俺が聞くわ」
苦虫を噛み締めた様な顔で谷川は懸命に口を動かす。
「そんな辛そうに言われても……」
「お前、女子と話すんだぞ。こんくらい覚悟を決めていかなくてどうすんだよ」
「お前にとって女子と話すのって命がけなの?」
大げさな谷川につっこみを入れ春人は顎に手を置き考えるような仕草を取る。
「そうなると俺一人で二人教えることになるのか……別にできなくもないけど……」
只々大変である。一人に教えている間もう一人は放置することになる。効率としてもどうなのか……。
一人悩んでいると谷川がやたら視線を彷徨わせる挙動不審な状態で話しかけてくる。
「な、ならさ……も、も、もう一人呼んだらっ、どうだ?さ、ささ、桜井とか」
「お前……」
あまりにも下心丸出しの谷川に流石の春人も言葉を失う。少し谷川から身を引く。
「ちがっ、違うぞ!あわよくば桜井と話せるとかそんなこと思ってないぞ!」
「まだ何も言ってないのに自白ご苦労」
しまったと目と口を大きく開くがもう遅い。谷川の魂胆がわかった以上美玖を呼ぶわけにはいかない。春人はとどめの言葉を口にしようとするが谷川が身体に纏わりついてきて遮られる。
「頼むよー!こんなチャンスもうないかもしれないんだよー!」
「いや、チャンスなんて大げさな」
話す機会ぐらいいくらでもあるだろう。クラスメイトなんだし。というか――。
「お前香奈と話したかったんじゃねえの?だから強引に勉強に参加しようとしてるんじゃ」
「バカやろうっ!女子と話せれば誰でもいいんだよっ!」
清々しいほどのクズである。谷川は女子なら誰でもいいと高々に宣言した。春人もここまでの人間は初めて見る。自然と谷川を見る目が冷たくなる。
「な!な!な!頼むよー!桜井も呼んでくれよー!」
「えい!放せ!そんな不純な動機を知って美玖を呼べるわけないだろ!」
身体にしがみついてくる谷川を無理やり引きはがそうとするがなかなか離れない。
「私がどうしたの?」
谷川との攻防を繰り広げていると後方から声が掛けられる。
聞き慣れた間違えるはずもない澄んだ声だ。普段ならともかく今は話しかけないでほしかった。春人は肩越しに振り返る。
「美玖……いや、何でもないぞ」
気にするなと美玖へ伝えると谷川の春人の身体を掴む力が強まった。見ると目を血走らせ鼻息を荒くする谷川の顔がそこにはあった。
(こいつ……なんでここまで必死なんだよ……)
あまりの形相に春人は呆れる。そして友人のここまでの醜態を思い出しながら静かに息を漏らす。
「……あのさ美玖、今日俺と香奈、あとたぶんこいつでテスト勉強するんだけどよかったら一緒にどうだ?」
春人は身体に纏わりつく谷川を指差しながら美玖へ問いかける。
あまり乗り気ではないがこのままでは埒もあかないと谷川の願いを聞き入れることにした。当の谷川は「百瀬ぇ、お前ってやつはぁ……」となにか感極まったように目に涙を浮かべながら鼻をすすっていた。
(お前鼻水とか付けんなよ。マジで)
そんな二人のやり取りを美玖は不思議に思いながらも春人へ返事をする。
「うん、私なら大丈夫だよ。一緒に勉強しようか」
特に迷う仕草もなく美玖は笑顔を向ける。それだけで春人に纏わりついていた谷川は「おぅっ」と声を漏らし地面へ倒れこんだ。
そんな谷川を春人は一瞥して特に触れずに美玖へと向き直る。
「本当か?助かるよ。たぶん俺と美玖で教える側に回るだろうから」
「それは全然いいよ。でも大丈夫かなー、ちゃんと教えられるかな」
美玖は眉尻を下げ苦笑する。
「美玖ってそんなに成績悪かったっけ?」
「う~ん、たぶん上の中くらいかな。自分で言うことでもないけど」
「なんだ普通に頭いいじゃん」
謙遜していただけかと春人は肩をすくめる。だが美玖は否定するように首を左右に振る。
「勉強できるのと教えることができるかは別なの。たぶん私はできない側」
「やけに言い切るんだな」
確信めいた言い方と態度に春人は目を瞬かせる。
「昔友達の勉強見てたことあったんだけどなんかうまくいかなくて……それで友達からも逆にフォローされるくらいね……」
乾いた笑みを作り過去を思い出しているのか視線が少し上を向く。
美玖としては珍しい反応だ。春人が思っている以上に気にしていることなのかもしれない。
「きつそうなら無理しなくていいぞ?」
無理に付き合わせるのも申し訳ないと春人は声をかける。もしもトラウマ的なものならそれこそ触れてはいけない。
すると美玖は驚いたように口を小さく開けしばらく固まると両手を胸の前で大きく振った。
「いやっ、大丈夫だよ!別に無理してるとかはないから!」
「そうなのか?なんか辛そうに見えたけど」
「辛いとかじゃなくてちょっと不安だなってだけ。ちゃんと教えれるかなって。でも大丈夫!私もちゃんと成長してるしね!」
ふんっと両手で拳を作って気合を入れるような仕草を作る。それがちょっと微笑ましくて春人は口元を緩める。
(たまに子供っぽくなるよな美玖って)
本人が気づいているのかわからないがこういった部分も美玖の魅力の一つなのだろう。そんな親が子を見守るような温かい視線を向けていると美玖が不意に顔をこちらに向けてくる。そうすると自然とお互いの目ががっちり向き合う。
「春人君って私のことよく見てるね」
「へっ!?いや、そんなこと――」
ないと言いたかったがたった今子供のような美玖をしっかり目に焼き付けていたため否定の言葉が詰まる。
そんな春人の様子に気づかず美玖は言葉を続ける。
「いつもそうやって見てるのかな。――ちょっと嬉しいかも」
(なんとかして誤魔化さないと――ん……?嬉しい?)
美玖の続く言葉に春人は焦りから困惑へと変わる。変な視線を向けて嫌悪感でも感じているのかと思っていたがどうも違うらしい。
(嬉しいって何が?…………はっ!)
春人は息を呑み美玖を見る。なにか重大なことに気づいてしまったといった様子だ。
(美玖ってまさかそういった……いやそんな……)
疑いは拭えないが本人の嬉しそうな顔を見ていると次第に確信に変わっていく。
(……なにか特殊な性癖でもあるのか)
一見真面目な優等生に見える美玖だが春人の前では時折様々な悪戯――嘘をついたりしてくる。人間外面だけが全てではない。内に秘めた何かがあってもおかしくはないのだ。現に春人の身内に外見と中身が全く一致しない人物がいるわけで……。
(これは気づかなかったことにしてあげた方がいいだろうな)
わざわざ聞くようなことではない。そもそも聞かれたくはないだろうこんなこと。
春人もその辺は理解がある人間である。大人な対応をする自分に酔いしれていると美玖が口を開く。
「私のちょっとした変化に気づいてくれて――気遣ってくれるのも嬉しい」
照れくさそうにはにかむ美玖。いつもなら可愛らしい反応だなっと思うところだが春人は少し首を傾げる。
(ん~?なんか思ってたのと違う?)
自分が導き出した答えとずれが生じている。これではまるで――。
「だからね、そんな春人君のためにも今日の勉強会頑張るよ!」
きらきらと輝く瞳が眩しく邪念まみれの春人には真っ直ぐ受け止めることができなかった。あまりの眩しさに目を細めてしまう。
「……ありがとう美玖。それと……なんかごめん」
「え?なんで謝るの?」
「俺の勝手な妄想に付き合わせて……ほんとごめん」
これ以上綺麗な心を持った美玖を直視はできず春人は身体ごと顔を逸らす。
美玖は春人の言っている意味が分からずといった様子で目をぱちぱちと瞬かせながら首を傾げる。
人間外面が全てではないといったが例外もあるんだなと春人はまた一つ学んだ。