22話 ちょっと英雄気分で登校したのに周りの反応は冷たいものだ
春人が宏大と壮絶な死闘を繰り広げた次の朝。学校では二人の勇姿を見た生徒たちが流した噂で春人の株がうなぎ上りに上がって――いるということもなく。いつもと変わらない至って普通の朝だった。
「おかしい……少しぐらい噂になってもいいのに」
「お兄それはアニメや漫画の世界の話だよ。あんな試合程度でお兄の株が上がるわけないじゃん」
「あんなとか言うな、俺だって頑張ったんだからな」
「入部したくないからでしょ。結局自分のためだし」
「自分のために頑張って何が悪いんだよ」
朝からくだらないことで兄妹話に花を咲かせている。
春人の席が教室の一番後ろの窓際の為他の生徒が近くにおらず琉莉も素の顔で話している。
時折谷川がこちらを気にしてチラチラと見てくるのは琉莉と話したいからだろう。小心者の谷川にそんな勇気はないため話しかけに来ることはないが。
「それで、お前は何しに来たんだ?」
「お兄ちゃんに会いに来るのに理由がいる?」
わざとらしくぶりっこポーズを決めながら潤んだ瞳を向けてくる。そもそもお兄ちゃんとか言うあたり怪しすぎる。
「うげえ」
「おい、なんだその反応は可愛い妹に対してうげえはないだろ、あん?」
眉根に深い皴を作りながら琉莉がチンピラのようにガンを飛ばす。
「そういうのいいから、それで?本音は?」
「昨日のことでクラスから持ち上げられて調子に乗ったお兄を見て楽しもうと野次馬根性で来てみたのに全く変わりなくてがっかりしてる。本当にお兄期待外れにもほどがある」
「さっき俺のこと散々罵倒しといて考えてること一緒じゃねえか」
自分のことを棚に上げるも素知らぬ態度を取る琉莉に春人は目を細め呆れる。いつものことながら全く身勝手な妹である。
「それよりさあお兄、美玖さんってまだ来ないの?」
「ん?そういえばちょっと遅いな」
春人は教室に備え付けてある時計を確認する。始業まではまだ二十分ほどあるがいつもの美玖ならもう学校にいる時間だ。
「なんかあったのかな」
「早く来てくれないかな。お兄のせいで無駄にした時間をせめて美玖さんで穴埋めしたいのに」
「お前本当に美玖のこと大好きだな」
「可愛いはいかなるものにも代えがたいものなのだよお兄」
キラっと白い歯を見せ笑う琉莉。いつもなら何か気取ったポーズでも決めてくれるのだが教室なのでその辺は自重している。
そんな話をしていたからだろうか。教室の扉が開きちょうど美玖が姿を現した。
真っ直ぐ自分の席に歩いてくると琉莉の顔を見て目を丸くする。
「あれ?琉莉ちゃんどうしたの朝から」
「美玖さんに会いたくて来ちゃった」
「わー!嬉しいなーわざわざ会いに来てくれるなんて!」
美玖は感極まり琉莉の身体を抱きしめる。琉莉も拒む理由もないのでされるがままに美玖の身体に顔ごと埋まる。おそらく今の琉莉の顔は人に見せられない程緩み切ったひどいものになってるだろう。
(ほんとよくそんな流れるように嘘がつけるな。まあ、美玖が喜んでるから別にいいけど)
春人は二人の姿をあたかも興味なさげに眺めているが本心ではガッツポーズを決めている。
女の子同士の絡みなんて目の保養だ。ここでたっぷり摂取しておかなければ勿体ない。
クラスの手前大っぴらに見れないのがもどかしいが春人はできる限り自分の存在を消すように努力した。
「む。なんか邪な視線を感じる」
琉莉はぎろっと春人を睨む。春人もギクッと目を逸らす。
(マジでよく気付くよなこいつ……勘のいい妹は嫌いだよ)
毎度人の心を読んでいるのではないかと疑ってしまう琉莉に冷や汗を流すが悟られないように平然を装う。
「ん?どうしたの琉莉ちゃん」
「兄さんが美玖さんを性的な目で見てた」
「お前!少しは言い方考えろ!」
あまりにも直接的な言葉に春人は思わず声を上げる。
「本当のことだし」
「違うから!性的になんて見てないからな!」
このままでは誤解を生みかねないと春人は必死に弁明する。クラスメイトをそういう目で見てたと思われてしまったら春人は明日から学校に来れなくなってしまう。
必死に頭を回転させる春人へ美玖の方から声が掛けられる。
「春人君……そういう目で見てたの?」
「ッ!違うぞ!勘違いだからな!琉莉の勘違いだからな!」
春人は席を立つと必死に言い訳の言葉を並べる。こうなったら周りのことなど気にしてもいられない。他のクラスメイトなど二の次に美玖への信頼の回復にかかる。
「違うの?」
「おう!違う!違うぞっ!」
「そうなんだ……残念」
「おう!残念!…………残念?」
必死になるあまりそのままスルーしそうになった言葉を春人は口をぽかんと開けながら繰り返す。
「別に春人君になら私……」
美玖は視線を下に逸らせ恥ずかしそうに口元を隠す。その反応に春人の心臓が高鳴る。
(え?え?何その反応……俺にならってマジでか……)
身体がすごく熱くなるのを感じながら春人はゆっくり口を開く。
「美玖それって……」
「うん……多分春人君が思ってるとおり」
(――ゴフッ!)
続いた美玖の言葉で春人のヒットポイントは無くなった。吐血を拭うように口元をふく仕草をとり春人は美玖へ向き直る。
一体こういう時何を言えばいいのか……初めて世の中の陽キャの人たちの知恵を借りたくなった。
(え、これマジでそういうことなの?)
動揺と幸福感が同時に押し寄せニヤニヤと顔が緩み始める。
「美玖……」
口から出た言葉は自分でも驚くほどに優しい声音だった。
「春人君……」
美玖の熱を帯びた声が春人の鼓膜を揺さぶる。
美玖は聖母のような優し気な笑顔を作り春人へ微笑む。
これはもう間違いない。春人がそう確信した時、美玖の笑顔の性質が変わった。
「うーそっ」
にひっと相好を崩す美玖を見て春人は凍り付いたように身体を硬直させる。
「ふえ?」
今の状況が理解できず何とも間抜けな声が漏れる。
「嘘だよ春人君。流石にそれじゃあ私が変態みたいだし」
「………」
「春人君?」
「兄さん完全に思考停止してるね」
頭のキャパを完全に超えた春人は口を開けたまま屍のように微動だにしない。流石の美玖も心配になり笑顔が消える。
「ちょっとやりすぎちゃった?どうしよう……」
「兄さんには刺激が強すぎたね」
「えーこれ本当にどうすればいい?」
「元々兄さんのせいだし少しは痛い目に合えばいいんだよ。美玖さんが気にすることじゃないよ」
「そう、かな?」
「うん、ほっとけばいいよ」
不安げに眉尻を下げる美玖とは対照的に琉莉はどうでもいいと言わんばかりに春人を一瞥する。
「…………はっ!」
美玖たちが話している間に頭の整理が終わった春人が再起動する。首を左右に振ってぼーっとする頭を叩き起こす。
「あまりの衝撃に一瞬記憶が飛んでた……」
「兄さん大げさなんだよ。そんなんじゃこの先悪い女にでも捕まって人生崩壊するよ」
「いちいち怖いこと言うなお前」
実際ありえそうだから反応に困る。
「春人君大丈夫?なんかごめんね」
「え、いや大丈夫だってそんな気にしてないし俺にも非はあるし」
「……本当に?」
「ああ、だから気にするな」
春人がそう言い笑うと美玖も安心したようにはにかむ。何とも可愛らしい反応なのだが――。
「美玖なんかいつもと雰囲気違う?」
「え?そうかな?」
「うん。気を悪くさせたらごめんだけど、いつもはここまで動揺しないかなって」
春人が気になる点を挙げると美玖の目が驚いたように少し見開く。そして俯きその小さな口元がわずかに動く。
「しまったな……昨日のこと意識しすぎだよ……」
「え?なんて?」
「ううん、何でもないよ。ごめんね、昨日夜遅くて、それで寝坊して焦ってここまで来たから少し疲れてるのかな」
伏せてた顔を上げはっきりとした口調で返す。まだ少し疑問は残るがそこまで心配することでもないだろう。
考えすぎかと春人は頭を掻き反省する。
「春人君心配してくれたの?」
「そりゃあな、いつもと調子が違ったら誰だって心配するだろ」
「そうか。ふふふ、ありがとね春人君」
「お、おう」
真っ直ぐ顔を見てお礼を言われ春人は照れ臭く鼻の頭を掻く。その笑顔がいつもと同じものでやはり考えすぎだったと春人は納得する。
「でも春人君」
安心してほっとしていた春人に美玖が少し真剣な面持ちで声を掛ける。
「女の子をそういう目で見るのはどうかと思うよ」
「だーからっ、見てないって!」