20話 この先輩は盛り上げどころをよくわかっている
「嘘……止められたの?」
彩香は信じられないものを見たように目を丸くする。
「あの……ごめんなさいあたしバスケ本当によく知らなくて、これってそんなにすごいんです?」
「すごいわよ。経験者と初心者の段階で相手にならないのにそれを宏大相手に……」
説明として言葉足らずに感じるが、彩香の反応が全てを物語っていた。気づけば他の女子バスケ部までもが春人たちの試合に釘付けになっていた。
「はははっ!ようやく調子が乗って来たみたいだな百瀬っ!」
「まあ、何となくコツはわかってきました」
「よしっ!次はお前の番だ、さあ来いっ!」
春人は宏大からボールを受け取ると足に力を入れる。
(確かこんな感じ……)
床を踏み抜かん勢いで足に力を入れ一気に加速する。
「っ!?」
初めて宏大から笑みが消える。それも無理はない。春人が見せた加速は宏大が今までの試合で使ってたものだからだ。
春人は宏大の脇を抜けゴールまであと一歩――。
「んぬぁっ!」
気合と共に声を上げ宏大が春人の後ろからボールを弾き飛ばす。
「うをぉ!?あー、もう少しだったのに」
春人は額に浮いた汗を拭う。自分の身体の動きを確かめるように全身をチェックする。
(大体イメージ通りだったのにな。あれで止められるとかやっぱすげえな先輩)
正直抜いた時点で勝ったと思っていたので止めに来た宏大の技術に賛嘆する。
「はははははっ!」
ひと際大きな宏大の高笑いが響く。
「流石だ百瀬!それでこそ俺が認めた男だ!」
「いや、それはどうも」
春人は気の無い返事を返すが内心では――。
(うおぉぉぉっ!なにそのセリフ!?アニメや漫画でしか聞いたことないぞ!激熱展開じゃん!)
えらく盛り上がっていた。
「面白くなってきたぞ!さあ、早く次を始めよう!」
宏大はシャツを脱ぎ捨てる。身体から枷を外し今からが本気だといいたげに。
それに倣うように春人もシャツを脱ぐ。
(ふふふ、本気ですね先輩。なら俺も本気で行かしてもらいます!)
春人はこの際この状況をどこまでも楽しむつもりだ。
そんな二人の攻防は互角と言っても良かった。どっちらも一歩も引かずに相手に食らいつく。
「うわー、春人すごいね」
「うん、春人君全然負けてない」
美玖たちは呆然と試合展開を見ていた。素人目でもわかるレベルの高い試合展開を。
「ちょっと、なんなのあの子……」
彩香が呆気にとられながら呟く。
「素人なのよね?本当に」
「素人ですよ。兄さん運動神経だけはいいのでコツを掴むとすごいんです」
「コツってそんな……」
ばかなと思うが現実がそれを否定する。現在目の前で展開していることが全てだと突き付けられる。
再び春人がブロックし攻守が変わる。お互い息も上がり肩が上下し始めた。
「百瀬!お互いもう限界だろ、これが最後になるかもな、全力で来いっ!」
「はいっ、先輩っ!」
この人マジでわかってんなと春人もどんどんテンションが上がってきた。
宏大からボールを受け一気に加速する。しかしすぐに宏大が割り込んでくる。
(確か先輩こういう時……)
身体を捻り進行方向を無理に変える。だがそれにも宏大は付いてきて春人の行く手を阻む。だがここまでは春人も予想通り。捻った身体を更に回転させ春人は進行方向を元に戻す。
「ぬぁにっ!?」
春人が初めて見せる二段構えのフェイントに流石の宏大も反応しきれず、ついに春人は宏大を完璧に抜き去る。フリーになりそのままゴールへ駆け飛んだ。ボールを持った手を高く上げゴールへ添えるように放す。ボールはそのままゴールに吸い込まれていき――。
シュッ――。
ボールがゴールネットを揺らし試合は終わった。
しばらく静寂が体育館を包むがすぐに歓声で弾け飛ぶ。
「「「お……おおおぉぉぉっ!」」」
「嘘でしょ……」
目を大きく開けたまま呆然と固まる彩香。その隣で琉莉は口角を上げる。
「さすがお兄」
琉莉は誇らしげに呟く。
一見春人への賞賛なのだが、何か達成感を含んだ目がキラキラと輝く。
「あーーー疲れたーーー」
春人はその場に腰を下ろす。しばらく立ち上がりたくもない程身体を酷使した。
(こっちは帰宅部の引きこもりだってのに……あー、これは筋肉痛確定かなー)
明日襲ってくるであろう筋肉痛に辟易していると――。
「はははははっ!」
盛大な笑い声が響く。誰かなんてわかりきっている。笑い声の発信源に顔を向けると床に大の字で仰向けになる宏大が口を大きく開けて笑っている。
「はははっ!本当にすごいな百瀬は!」
「いえ、それほどでも」
「おーおー謙遜しないところも素晴らしいぞ!」
「この状況で謙遜なんてしたら先輩の立つ瀬がないじゃないですか」
「ははは!違いないな!」
また豪快に笑う宏大は本当に懐の深い男だ。負けた悔しいさもあるだろうがそれよりも春人との試合を純粋に楽しんでいたことがその顔から見受けられる。
彩香はそんな宏大を見てくすっと笑う。
「ああ全く、素人に負けてあんなに楽しそうにして部長としてどうなんだろうねー。落ち込んでないだろうけど一応彼女として慰めてきますか」
慰めるとは似つかわしくなく肩を回しながら言う彩香に美玖たちはぎょっと視線を向ける。
「え?芦屋先輩って加賀美先輩と付き合ってんです?」
「ん?そうだよ。香奈に言ってなかったっけ?」
「聞いてませんよ!?」
衝撃の告白に近くにいた琉莉まで驚愕していた。
「まあ、二年生では皆知ってるし、バスケ部男女部長同士のカップルって、つい言った気になってたわ」
「先輩その辺昔から適当ですよね」
「うっさいな。それじゃあ私は行くから」
彩香は宏大の方へ向かう。足元に転がる宏大を蹴り飛ばしている姿を見て慰めるとは、と皆困惑した表情を作る。
香奈たちが彩香たちのやり取りに苦笑していると美玖の制服が控えめに引かれる。
「ん?」
見ると琉莉が制服の袖を引っ張っていた。
「美玖さん兄さんのとこ行かないの?」
「え?あ、あー、そうだね行こうか」
ぼーと春人の姿を見ててややぎこちなく返事をしてしまう。
「うん」
そのまま袖を引かれながら美玖は春人の方へ歩く。
ぐったりとした春人を見て美玖はくすっと笑う。
「おつかれ春人君」
「うん、兄さんおつかれ」
「おお、ありがとう二人とも」
春人は疲労で重い右手で何とか返す。
「すごかったね春人君本当に勝っちゃうなんて」
「運が良かっただけだよ。それにハンデあったし、普通にやってたら間違いなく負けてたしな」
春人の言葉に嘘はなかった。一点取ればいいという条件だったからこそあそこまで身体を酷使できたのだ。それだとしてもあのまま長期戦になればスタミナ切れで負けてたのは春人の方だ。本当に運が良かった。
「ううん、それでも勝っちゃうなんてすごいよ。かっこよかったよ」
「お、おうそうか」
春人は美玖の賞賛にわかりやすく照れる。
(なんか……美玖の顔赤くないか?なんていうか……色っぽいんだよな……)
春人はまじまじと美玖の顔を見つめる。普段こんな行動はとらないが疲れ切った春人の頭は全然回っていなかった。
「え、えーと……春人君?」
そんな春人の行動に恥ずかしくなったのか美玖は目を逸らす。だが春人は美玖から目を離さなかった。
「あの、えーと……」
無言で見つめる春人に美玖の顔がみるみる赤くなる。
「兄さん見過ぎ」
パカンっと子気味よい音が響く。
「いっっってぇっ!」
頭を押さえその場でのたうち回る。
「何すんだおまえ!」
「兄さんが美玖さんに熱い視線送ってたから、ついムカムカしてやっちゃいました」
「どこの犯人の供述だよ!熱い視線なんか送ってねえだろ!」
靴を右手でぶらぶらと揺らしてる琉莉に眉尻を吊り上げる。
「いや、見てたよ。じっくり、目を皿のようにして、舐め回すように」
「おい止めろ。変な表現使うな」
「でも本当だよ。ねえ美玖さん」
「へっ!?」
美玖は肩を跳ねさせわかりやすく驚く。そんな美玖の反応に春人と琉莉は目を丸くする。ここまで動揺している美玖を見るのは初めてだ。
「えーと、ごめんな美玖。ちょっとぼーっとしてたみたいで」
「あ、う、うん。春人君疲れてるもんね。しょうがないよ」
「………」
「………」
なんともぎこちないやり取りだったが美玖は二度ほど深呼吸をし乱れた心を落ち着かせるような仕草を取る。
「あはは、ごめんね。変な空気にしちゃって」
「え、や、変な空気にしたのは俺だし別に美玖が謝ることはないぞ」
「そうかな?ならまあいいか。あー、なんかまだ顔熱いかもちょっと外で冷やしてくるね」
言うと早く、美玖は外へと駆けて行った。
その背を見送りながら春人は口を開く。
「なあ妹よ」
「なんだいお兄」
「今のどう思う?」
「すんごい可愛い反応だったね」
「いや、そうじゃなくて」
「可愛くなかったとでも?」
「いや可愛かったけどそうじゃなく」
可愛いのは認めるがそうじゃない。春人は一度息を吐き心を落ち着かせる。
「あれ……俺勘違いしてもいいのかな?」
「軽率な判断は身を亡ぼすよお兄」
「いやでも――」
「あれはお兄が顔見過ぎなの。あんなに見られたら誰だって照れるわ。それともなに?俺のかっこいい姿にもしかして惚れちゃった?とか考えてんの?流石に自惚れすぎだよお兄、妹としてもそれは恥ずかしいよ。もっと身の程をわきまえて考えた方がいいよ」
「いきなり饒舌になってボロクソに言うなや!」
妹の心に突き刺さる言葉たちに滅多刺しにされながら春人は天を仰ぐ。
「まあ、それもそうだわな。ないない」
自分に言い聞かせるというより最初から知っていたと言わんばかりに口から言葉が零れる。
「俺を好きになるやつなんていないって」
その目は天井を見ているようで見ていない。どこか遠くの過去でも覗き見るようなそんな虚ろな目をしていた。
「お兄……」
そんな自責の念に苛まれる春人に琉莉は何の言葉もかけることができなかった。