19話 先輩、俺一応初心者ですよ?
体育館に着くとボールが床を叩く音とキュッキュと靴底が床を擦る音が小気味よく聞こえてきた。
宏大は体育館の扉を開くと中へ入っていく。それに続くように春人も中へ入る。
すると体育館へ入ってきた宏大たちに気づいた女子生徒が不思議そうに首を傾げながら声をかけてきた。
「ん?宏大?あれ?男子今日休みでしょ?」
「おお彩香、そうなんだが悪いけど少しコート貸してくれ半分でいいから」
「元々男子が使ってた分だし別にいいけど……なに?なんかやるの?」
「今から百瀬と1on1で勝負なんだ」
「百瀬って……あー宏大がいつも言ってる」
言うと彩香と呼ばれた生徒は春人へ視線を向ける。
肩口で切りそろえた髪が揺れる。少しつり目気味の目と彼女の凛々しい雰囲気から春人は少々気後れする。
「それはいいけど、その後ろの子たちは?」
「ギャラリーだ。試合は観客がいた方が盛り上がるからな!はははっ!」
豪快に笑う宏大に彩香は半ば呆れた様な態度を示す。
「あんたねえ、またこんな大事にして」
言葉の感じ的にこういったことは一度だけではないようだ。
はあ、とため息をつき彩香は身を翻す。
「ちょっと待ってて今部員にどいてもらうから」
「ああ、すまんな」
彩香は他の部員たちに指示を飛ばしコートを片付けさせる。その間についてきたクラスメイト達はコートの端へ向かう。その様子を何気なく目で追っていると春人の目が一点に止まる。
「は?琉莉、お前なんでいんの?」
なぜか琉莉の姿があった。
「兄さんが面白そうなことを始めるって聞いてちょっと見に来た」
どこから聞いてきたのか……さり気なく琉莉がクラスの中に混じっていた。
「あ、琉莉ちゃんいつの間に居たの?」
「最初から付いてきてたよ」
「全然気づかなかった。ごめんね」
「ううん、私も声かけなかったから気にしなくていいよ」
「ん?この子が春人の妹さん?わあ、お人形みたいに可愛い」
ひょこっと美玖の後ろから顔を覗かせた香奈が感嘆の声を漏らす。
「あたし春人のクラスメイトの水上香奈。一緒に試合見ようよ」
「百瀬琉莉です。よろしくね香奈さん、こちらこそ一緒に見てくれる人がいて嬉しい」
早速仲良さげに話す二人を見て春人は感心する。
(本当にコミュ力高えな。普段あんななのに頭ん中どうなってんだか)
妹の脳の構造を本気で考えているとスマホが震える。ポケットに手を突っ込んでスマホを取り出し画面を見ると――。
『帰ったら沈める』
何とも物騒な文字が並んでいた。
(あいつ本当に俺の心読めるの?うわっ、なんか鳥肌立ってきた)
毎回勘のいい琉莉に恐怖を覚え腕を擦っていると宏大から声を掛けられる。
「百瀬準備できたがいいか?」
「はい、大丈夫です。やりましょうか」
春人はブレザーを脱ぎ鞄の上に乗せる。軽く身体を伸ばしてフリースローラインの手前に移動する。
「これって結局どういう状況なのか誰か教えてくれない?」
コート脇に並ぶ美玖たちに彩香が話しかける。
「あ、芦屋先輩、こんにちは!」
「うん、こんにちは。香奈はいつも元気だね」
「いやー、それが取り柄ですから」
後頭部に手を添えながら笑う香奈。親し気に話す二人は知り合いだったらしい。
「それで?なんなのこれ?」
「えーとですね。春人、あー百瀬がですね。加賀美先輩と1on1で勝負して百瀬が負けたら部活に入部、勝ったら加賀美先輩は勧誘を諦めるらしいです」
「へー、じゃあ彼相当うまいのね、宏大にそんな条件で勝負するなんて」
「加賀美先輩やっぱりすごいんですか?」
「そりゃあそうよ。知ってる?去年うちの男子インターハイ出てんのよ」
「え!?そうなんですか!?」
「そう、今まで県大止まりだったのに。その立役者が宏大なの。宏大がいなかったらインターハイなんて絶対無理だったから」
彩香は自分のことのように嬉しそうに語る。話を聞いてると美玖は不安げに眉尻を下げ琉莉へ話しかける。
「琉莉ちゃん、春人君ってバスケやったことあるの?」
「体育ではやってたけど多分それだけ」
美玖に話していたがそれほど小さい声で話したわけでもないので彩香の耳にも届く。
「え?それ本当?」
「はい。兄さんは体育以外でバスケやったことはないと思います」
琉莉の言葉に彩香はしばらくきょとんと目を瞬かせる。
「え?じゃあなに、初心者ってことよね?」
「そうなりますね」
「それなのに1on1なんて……宏大何考えてるの」
彩香は右手を額に当て天を仰ぐ。
「あの……一応ハンデ貰ってて、春人君は一点取ればいいそうです」
「一点て……いや、無理でしょ」
彩香が呆れたようにため息をつく。
「先輩、やっぱり難しいんです?」
「そりゃあそうよ。現役でインターハイまで行ってんのよ。初心者がどうこうなるような相手じゃないから」
「……春人君」
美玖は心配そうに春人を見つめていた。現役の彩香にここまで言われてはもう勝負の結果は火を見るよりも明らかじゃないだろうか。
「大丈夫だよ」
「え?」
美玖の内面を見透かしたように琉莉が呟く。その言葉に美玖だけじゃなく香奈と彩香も無意識に顔を向ける。
「兄さんはスポーツなら絶対負けないから」
いつものごとく抑揚の無い声だが確かな自信がその声からは窺えた。
どん――。
体育館にボールをつく音が響く。皆が音の発信源に顔を向ける。春人の試合が今開始された。
最初の攻撃は春人からだった。二、三ボールをつき一気に加速して右から抜けようとするが行動が単調過ぎたのかあっけなく宏大にブロックされる。
「ははは!おいおい百瀬、そんなんで抜けると思われては心外だぞ」
「加賀美先輩、一応俺初心者ですからね。動き方なんてわかりませんて」
「おー、それはそうだな。うむ、だがやはりスピードは大したもんだったぞ!」
「それはありがとうございます。簡単に取られましたけどね」
春人が初心者ということをたぶん本気で忘れていただろう。それを考慮して一応褒められる点を見つけてくれるあたり律儀である。
「それじゃあ次は俺だな」
「お手柔らかにお願いしますね」
宏大から受け取ったボールを再び返す。瞬間宏大は床を踏み抜かん勢いで叩き体育館中に轟音が響く。一瞬にして加速した宏大に春人は反応する間もなくあっけなく抜かれ点を決められる。
(……ガチのガチじゃねえかこの人……)
春人はバウンドして転がっていくボールを眺めながら苦笑する。
「どうした百瀬そんなもんか?」
初心者相手とかそんなこと気にしてもないのか広大はえらく楽しそうだ。
その後も春人が一方的にやられる展開が続き気づけば点数は7対0にまで広がっていた。
「……はー」
予想通りの結果に彩香はため息をつく。
「やっぱり無理よ。初心者が宏大に勝つなんて」
「う~ん、確かにこれじゃあ春人勝ち目無いような気がするね」
「……琉莉ちゃん」
美玖は縋るような視線を琉莉に送る。だが琉莉は美玖に視線を返すこともなくただ春人の姿を見続けていた。
「大体なんで宏大は彼に御執心なの?あいつはすごいやつなんだって、そんなことしか言わないのよ」
「あー、なんでかはあたしも知りませんが」
香奈は美玖に視線を送り美玖もわからないと首左右に振る。
彩香たちが不思議に思っていると彼女らに話しかけてくる声があった。
「あ、俺それ知ってるぞ」
「谷川あんた知ってんの?」
「おう、俺と百瀬ここの体験入部に参加したことあってさ、そん時の百瀬もう大暴れで」
「大暴れ?」
不穏な言葉に美玖たちは息を飲み固まる。
「あー、大暴れっていうのは言葉の綾っていうか、そのなんだ、先輩たちに試合で勝っちゃったんだよなー」
「はい?」
谷川の説明に彩香は素っ頓狂な声を上げる。
「先輩って二年生?」
「いえ、確か三年生でしたよ。二年は加賀美先輩と他の体験入部の生徒を見てたはずなんで」
「………」
言葉を失う彩香に香奈が話しかける。
「先輩大丈夫です?」
「え、ええ……」
「そんなに驚くことなんです?」
「そりゃあそうよ。今の三年生ってインターハイ行った人達よ。宏大の活躍が大きかったとはいえ他の選手が弱いなんてことないから」
「あー、確かに、納得です」
「でも信じられない。現に今だって一方的だし――」
「「「おおーっ!?」」」
彩香の声を吹き飛ばす様に生徒たちの歓声が飛ぶ。コートに目を向ければ春人が宏大の攻撃をブロックしたところだった。初めてのブロック成功に生徒たちが盛り上がる。