16話 女子のこととなると男は醜く必死になる
「ふあああぁ……」
春人は大きく口を開け欠伸をすると目元を指で擦る。結局昨日は深夜二時頃まで起きていた。別に何かやることがあり夜更かししていたのでなく単純に寝付けなかった。
「昨日の美玖のせいだ……」
この場にいない人物の名前を上げ悪言する。ただそれも無理はない。それほど昨日の夜の美玖は春人を困らせた。ただ――。
「そこまで嫌じゃないって思ってる辺り俺も単純だな……」
春人はゆっくり目を瞑る。目を瞑ると今でも鮮明に思い出す。昨日の会話を……。
「いやいやいや、思い出さんでいい、バカか」
自分で自分を罵りながら春人は教室の扉を開ける。
自分の席の方に視線を向けると真っ先にある人物が目線に入る。そしてその人物も春人に気づいたらしくこちらを見ながら手を振ってくる。
「おはよう春人君」
「ああ、おはよう美玖」
隣の席に座る美玖が笑顔を向けてくる。昨日のこともあり少し動揺しそうになるが何とか堪えて春人は自分の席へ鞄を置く。
「昨日は楽しかったね」
「ああ、そうだな。あのパンケーキの店は是非また行きたい」
昨日のパンケーキは本当に美味しかった。まだまだ食べたいものがたくさんあったので絶対にまた行こうと心に決めている。
「ふふふ、本当に春人君甘いもの好きなんだね」
「甘いものはいいぞ、食べてるだけで幸せになれるからな」
昨日のパンケーキの味を思い出し春人は顔の筋肉が少し緩む。それでも気持ち悪くにやにやした顔を見せまいとすぐに引き締める。
「確かにパンケーキ食べてる春人君すごい幸せそうだったよね。見てるこっちまで嬉しくなったもん」
「美玖だって幸せそうな顔してたぞ。特に俺の抹茶の食べてた時とか。抹茶好きなのか?」
「うーん、好きではあるけどあの時は……やっぱり春人君から貰えたのが嬉しかったのかな」
「なっ!?」
はにかむ美玖の言葉に春人は声を漏らし狼狽える。
「にひひ、ドキドキしたでしょ春人君」
「お前……そういうこと簡単に言うなよ、心臓に悪い」
「ドキドキしたことは否定しないんだね?」
「……まあ、事実だし」
せめてもの抵抗にかなり声を押さえて口に出したが美玖にはしっかり届いていた。
「へー、ドキドキしてくれたんだー」
「あー、いいだろう、はい!この話は終了!」
両手を合わせてぱんっと音を鳴らして強引に話を終わらす。美玖はえーっと不満そうに唇を尖らせていたが無視して席に着く。
(まったく……登校早々やってくれる)
いつもの絡みだが昨日のこともありつい過敏になってしまう。一旦ちゃんと落ち着こうと春人はゆっくり息を吐く。すると、教室の端から春人を呼ぶ声が聞こえてきた。
「百瀬ー百瀬ー」
「ん?谷川?」
声の主は谷川だった。見るとこちらに手招きしながらにやにやと笑っている。正直すごく気持ち悪い。
(え?なに?すんげえ行きたくないんだけど)
嫌悪感を露にした目を向けても谷川は手招きし続けている。仕方なく春人は席を立ち谷川の方へと向かう。
「一体なんだよ気持ち悪い顔してぇっ!?」
いきなり手を掴まれ壁際に追いやられる。そして谷川だけでなくその他男子生徒も合流し春人を取り囲む陣形を取った。
「さあ百瀬春人、山と川捨てられるならどっちがいい?」
「なんだいきなりその物騒な質問は、一体何なんだよ……」
「なんなんだ、だと?自分の心に聞いたらどうだッ!えーッ!」
いきなりキレだした谷川に春人は顔を顰める。
(本当に何なんだこいつは……)
妙にイラっとする顔を作っているので本気で殴ってやろうかとも考えたがとりあえずその考えは見送る。
「お前が意味もなくキレるのは今に始まったことじゃないが理由くらい教えろ」
「はっ、本当にわからんみたいだなこのクズが!いいだろう!なら教えてやるから耳の穴かっぽじってよーーーっく聞けっ!」
(あ、やっぱこいつぶん殴ろ)
谷川の言葉を聞く前に春人は拳を握りしめ重心を下げ――。
「お前いつの間に桜井と名前呼びになってんだよ!」
右手を振りかぶろうとしたところで動きを止める。
「あ……そういうこと」
春人は非常に、大変、すこぶる納得した。それは至極当然の反応だったからだ。春人でさえこの反応は予想していた。だからこそ最初に美玖に名前呼びを提案され保留したのだ。
「お前知ってるだろ、俺に妹がいること」
「ん?おお、百瀬琉莉さんのことな」
谷川の言葉に周囲が少しざわつく。
「え?マジで?」
「あの百瀬琉莉と兄妹なの?」
「嘘だろ桜井だけでなく百瀬琉莉までとかこいつ……」
聞いてると琉莉に関する驚きの言葉ばかりに春人は苦笑する。
(あいつ本当に人気あるんだな……でも男子諸君、君たちの目に映っている琉莉は幻影だぞ)
春人は周囲の男子へ哀れみの籠った目を向ける。それが癇に障ったのか男子たちが怒りをむき出しにする。
「なんだよその目は!勝者の余裕かてめえ!」
「やっぱりお前は生かしちゃおけん!」
殺気立った男子の嫉妬に当てられ春人は初めて命の危機を感じた。
「ちょっと待て!なんでみんなキレてんだよ!」
「うるせえ!お前みたいな幸せなやつ少しは俺たちの気持ちを――おふッ!」
「だから待ってての」
飛び掛かってきた谷川の腹部へ拳を叩きつけると、谷川はその場で蹲り動かなくなった。
谷川の惨状を目の当たりにして他の男子も頭が冷えたらしい。静かになったところで春人は口を開く。
「それで妹がいるわけで、苗字呼びだとややこしいとなり名前で呼ぶことになったんだよ」
「で、でも桜井が百瀬のこと名前で呼ぶのはわかったけど百瀬は……」
「あー……それは美玖の希望だな。自分だけ名前呼びじゃおかしいって」
とりあえず名前呼びになった経緯を簡単にだが説明する。それで納得したのかちらほらと上々の反応が返ってくる。
「そういうことならまあ……納得かな。そういうことなら」
「まあ苗字同じならややこしいしな。仕方ないよな。うん、仕方ない」
全員自分に言い聞かせるように同じ言葉を繰り返している。
「百瀬!俺は信じていたぞ!」
足元からサムズアップして嫌にいい顔をした谷川が見上げてくるがこれは無視する。
とりあえず収拾がついたことに春人は安堵する。
(はー、何とかなるもんだな。よかった)
もう用もないだろうと春人は自分の席に戻ろうと足を踏み出すが谷川に肩を掴まれる。
「なー、春人君」
「春人クンー?」
谷川に名前を呼ばれ鳥肌が立つ。
「俺たちってさほら、親友じゃん」
「いえ、違います。てか放してください」
肩から手をどかそうとするがどういうことか全く放そうとしない。なぜか必死に抵抗してくる。
「だからさ、いつもでも百瀬なんて他人行儀に呼ぶのは失礼だと思うんだ」
「いや別いいよ、そこまで親しいわけじゃないし」
「となるとさ、親友の妹である百瀬さんもな、な、名前で、呼ぶべきだよな?」
「………」
ここで谷川の魂胆に気づき春人はすうと目を細めシベリヤよりも冷たい視線を向ける。
そんな春人の視線にも気づいていないのか谷川は同じ調子で言葉を続ける。
「俺もさ、る、るる、るるる、琉莉さんって……呼んでもいいかな?」
「なんだ?鼻歌か?だったら余所でやってくれ。俺は戻る」
今度こそ肩から手を跳ね除け春人は自分の席に向かうが今度は腕を掴まれる。
「頼む!頼むよ春人君!せめて真剣に考えてくれ!」
「うっせえ!名前呼ぶな気色悪い!いいからその手退けろ!」
必死にしがみついてくる谷川の顔を押しのけながら叫ぶ。一体何をこいつにここまでさせるのかまるで理解ができない。そんな醜い姿を晒す谷川に触発されたのか他の男子も声を上げる。
「谷川お前だけずるいぞ!百瀬!頼む妹紹介してくれ!」
「は!?お前こそ何言ってんの!?百瀬俺たちの仲だろ?俺に紹介してくれ!」
収拾しかけていたのに醜い男子共のお陰であっという間に地獄絵図と化した教室の一角。
男子共に揉みくちゃにされ春人の顔から感情が抜け落ちる。
(なんなのこいつら……もうこのクラスやだ……)
谷川は皆の前に出ると高々と声を上げる。
「こうなったら誰が百瀬さんとお近づきになれるか勝負じゃあぁぁぁっ!」
「望むところだ!かかってこいやぁぁぁっ!」
他の男子もそれに乗り雄たけびを上げる。
醜い男子共がまた醜い争いを始めた。
「もう勝手にしてくれ……」
付き合ってられんと春人は一段と大きなため息を吐き出した。