146話 我慢を止めた美玖は可愛さが爆発してる
月曜日の朝。春人は教室の自分の席に座ってそわそわと少し落ち着きのない様子だった。
それでも他の生徒がそんな春人の変化に気づくことはなく、それぞれが友達としゃべるなりしていた。
普段と変わらない教室で違うのは春人だけだ。
教室の扉が開くたびに春人の視線が動く。
一人の男子生徒が気怠げに教室に入ってくると自分の席に着く。
そんな男子生徒を見て春人は肩の力を抜き、椅子の背もたれへ身体を預ける。
教室に来てからずっとこの調子だ。
おそらくこの教室で春人だけだろう。数分後に起きるであろう変化に身構えているのは……。
そして、ついにその時がやってきた。
教室の扉が開く。
自然と視線が吸い寄せられると朝の陽ざしを反射する綺麗な髪が目に入る。いつも通りの美玖が教室に入ってきた。
何人かの生徒も美玖へと視線を向ける。そして挨拶でもしようと口を動かす生徒もいたが美玖の方が少し早かった。
春人と目が合うと美玖の表情が花が咲いたように変わる。
「おっはよーはる君!」
美玖の声が教室内に響く。元気いっぱいな美玖の第一声に生徒たちの中からざわめきが生まれた。美玖に気づいていなかった生徒も視線を向け始める。
「ああ、おはよう美玖」
春人は平静を装いつつ美玖の顔を見る。なんて嬉しそうな表情だろう。
美玖は鞄を机に置くと椅子を春人の隣まで持っていき身体が触れるのも構わずに話し始めた。
今まで春人と二人の時にしか見せなかった笑顔を周りに振りまきながら。
こうなると他の生徒達も黙って見ているはずもない。
「え。なに?どういうこと?」
「桜井さんだよね?あれ」
美玖の変わりように多くの生徒が目を丸くしている。
(まあ、こうなるよな。うん)
そんな困惑している生徒たちの気持ちもわかる、と春人は内心同意を示していた。
「それでね。はる君、この前――」
きらっきらの笑顔を振りまく美玖は今まで学校で見せていた美玖と全く違うものだった。なんというかすごく人間味のある笑顔をしている。今までも普通に笑ったり笑顔は見せていただろうが美玖の立場上無意識なブレーキがかかっていた。
無暗に美玖が笑顔を振りまくとそれだけで男子が寄ってくる。予期せぬトラブルも一回、二回ではなかった。
だからこそ美玖自身が自分を守るための自衛でもあったのだが――。
でも、もうそんな心配は必要なくなった。
美玖本来の魅力的でありどこか子供のような無邪気さを併せ持った笑顔が溢れている。
春人もここまで考えていたわけではないがまさかの副産物に嬉しくなる。
「ちょっと、はる君聞いてるの?」
少し思案にふけていたかもしれない。美玖の話が上の空になっていた。
「ごめん聞いてなかった」
「もー、ちゃんと聞いてよー」
ぷくっと頬を膨らます美玖。
これを目撃した数人の生徒が胸を押さえながら倒れ込んだ。
「な、なんだ今の表情……可愛すぎる」
「やばい……もう俺ここで死んでもいいかも……」
「谷川っ!しっかりしろ谷川!くそ、致命傷だ……」
「つうか、あの笑顔とか全部百瀬に向けられてると思うと腹が立つな」
恍惚な表情を作る生徒に紛れ明らかな殺気が混ざっていた。その殺気を敏感に感じ取った春人は身震いし腕に鳥肌が立つ。
「どうかしたはる君?」
「んや、何でもないぞ」
そういう目で見られるのはわかっていた。自分が幸せに思うことを他人がやっていたら面白くないと思う人間は間々いる。男子にとって美玖の存在はそれほど大きかった。
そんな好奇な目を向けられている春人たちだが美玖が気にした様子を見せることはなかった。というよりもそんなことがどうでもよくなるくらいに今が幸せといった様子だ。
「はる君今日も一緒にお昼食べようよ」
「あぁ、そうだな。なら一緒に食うか」
「うん!えへへ」
いつも通りのことなのにこれだけでも美玖は嬉しいらしい。にへーっと甘い表情を作り、それを目撃した生徒の中で再びバタバタと倒れるものが現れた。
(すごいな……その内死人とか出ないよな)
美玖が表情を変えるだけでこれだ。美玖の魅力は春人もよくわかっている。わかっているからこそ春人は心配になる。美玖の魅力はこの程度ではないのだ。
(今からこの調子じゃ後が思いやられる)
やれやれと苦笑する春人。
「?どうかした?」
そんな春人に美玖が不思議そうな表情を作る。
「いや……美玖が楽しそうで何よりだなって」
誤魔化しはしたものの今思う春人の率直な気持ちだ。
愛しむように春人が笑みを作ると美玖はしばし目を瞬かせ固まってしまった。それでもすぐに美玖の顔に笑顔が戻る。
「うん!」
今日一番の満面の笑みだ。本当によかったと春人も笑った。
こうして春人への気持ちを我慢するのを止めた美玖の最初の朝が終わった。
そして、生徒達の動揺は急速にクラス、他クラス、他学年へと伝播していく。




