131話 甘々な抱擁を
グラウンドから遠く離れた校舎の間の渡り廊下。
春人と美玖が密かに会ういつもの場所だ。
そこで美玖は腕を組んで仁王立ちになり春人に冷ややかな視線を向ける。
「それで、どういうことなのかな?」
声は少し低く怒っていることが春人にもわかる。
冷や汗を垂らしながら春人はゆっくりと口を開く。
「あの……常盤に頼まれて……借り物で」
「私がお願いした時は来てくれなかったのに?」
「それは美玖のお題に問題が……あれは流石に無理だよ」
美玖の顔が見れず春人は視線をずっと右下あたりに逸らしていた。
悪いことをしたという罪悪感の表れだろう。
そんな気まずそうな春人に美玖が目を細める。
「ちゃんとこっちを向いてください」
「えーと……」
「向いてください」
有無を言わさせない美玖の圧に春人はゆっくりぎこちなく首を動かす。
(おぉー……)
美玖の顔を確認して春人は内心で声をこぼす。
眉間を寄せ眉尻も少し上がっている。相当ご立腹の様子だ。
「はる君知ってるよね。私の気持ち」
「はい……」
「知っててあんなことしたんだ」
「でもあれは仕方なくて――」
「知っててやったんだよね?」
「……はい」
なんだろうかこの重っ苦しい空気は。冷えっ冷えの熟年夫婦の喧嘩のような空気が漂っている。
(すんげぇ気まずい)
この空気を肌で感じながら春人は眉を顰める。
すると美玖がムスっとした表情を作り口を開く。
「そんな私はとても傷つきました。これははる君にちゃんと責任を取ってもらわなければいけないと思います」
「責任って……なにすれば許してもらえるんだ?」
この際、この空気から解放されるのなら春人はできる限りのことは言うことを聞こうと思っていた。罪悪感もあることだし。
「ん」
すると美玖は組んでいた腕を解き、今度は逆に手を広げだした。まるで春人を迎え入れるような姿勢だ。
「ハグして。はる君から」
「え?」
美玖の言葉に春人は、ぽかーんと口を開けて固まる。
これが春人に対しての責任の取らせ方なのだろうか。
妙に可愛らしいお願いをしてきた。
言った本人は頬を赤らめ恥ずかしさを隠そうとでもしているのか表情を硬くしているがむしろバレバレである。
「ハグって……文字通りハグってことでいいのか?」
「他に何があるの」
「抱き着くってことでいいのか?俺が美玖にこう、ばっと」
「いいから!あってるから!なんでそんなにしつこく聞いてくるの!?」
間違っては問題だと思い念のためにジェスチャーを交えながら確認していたのだが美玖にとっては只々恥ずかしいやり取りでしかなかったみたいだ。
逆に怒られてしまった。
「だって違ってたらまずいだろ。いきなり抱き着くことになるんだから」
「はる君だったら別にいきなり抱き着かれたって私は全然いいんだけど」
「……まあ、そうか。美玖ならそうか」
無駄なことを気にしていたらしい。
美玖なら本当に春人が急に抱き着いても気にしないだろう。むしろ嬉々として受け入れる姿が目に浮かぶ。
そんなやり取りをしていて春人がなかなか美玖をハグしないからなのだろうか。美玖が不満げに頬を膨らまし始めた。
「どうするの?やるの?やらないの?」
「因みにここで断ったらどうなるんだ?」
「私の機嫌はこのまま悪いまま。はる君としばらく口きかないかも」
「それは困るな」
春人としても美玖と話ができないのは困るし、美玖がそんな態度を取れば香奈辺りが詮索してきて非常に面倒なことになりそうだ。
春人は美玖に歩み寄る。
そうすると美玖は表情を緊張したように引き締める。
もう手を伸ばせば美玖を両手に収めることができる距離まで近づく。
「本当にいいのか?」
「私はいいよ。はる君がしたいかしたくないかだけ」
それならしたいに決まっているし、そもそももうそれ以外の選択肢もない。
春人は両手を開くと「いくぞ?」と一応確認を入れ美玖の正面から抱き着いた。
「っ!」
一瞬美玖の身体がピクっと跳ねるがしばらくすると身体を委ねるように春人へ寄りかかる。
「えへへ、はる君暖かい」
先ほどまでのぷっくり膨らんでいた頬が今は見事にふにゃふにゃに緩んでいた。
ここまで機嫌が一気によくなるものかと春人は苦笑いを浮かべる。
「ねぇ、もっとぎゅってして?」
「ここぞとばかりに甘えてくるな」
「だって今は私が立場的に上だからね。ほらぁ~はやくぅ~」
春人の腕の中でゆらゆら揺れながら甘えるような声を出す。
美玖が動くたびに彼女のシャンプーの匂いなのか、甘いフルーツのような香りが春人に届く。
その香りに春人は美玖という女子をいやというほど意識してしまう。
(これは結構刺激的だな……そういえば美玖から抱き着いてくることはあったけど俺からはなかったな)
美玖は怖がりなので驚いたりしたときなどによく春人に抱き着いてくることがあった。
春人からは確かに初めてだったが、そもそも男の春人が美玖に抱き着くなんてシチュエーションがまずなかった。
「ねぇ?ぎゅってしてくれないの?」
上目遣いに少し不安を宿す瞳が春人を見上げてくる。
そんな可愛らしく愛らしい姿に春人は唾を飲み込む。
(ほんとに甘々じゃねえか。なんなんだこの可愛い生き物)
こんな可愛いおねだりをされては春人も答えないわけにもいかない。
美玖を抱く両手に力を入れる。
「ひゃっ」
すると美玖がまた可愛らしい声を上げるので春人は咄嗟に動きを止める。
「あ、ごめん強すぎたか?」
「う、ううん、違くて……ちょっとびっくりしちゃった。えへへ」
美玖は幸せそうに緩んだ顔を春人に向けてくる。これだけで春人の勘違いであることは十分に伝わった。
「そ、うか……ならいいんだけど」
安心して春人も落ち着きを取り戻してきた。冷静に今の状況を分析し始める。
(女子って服越しでもわかるくらい柔らかいんだな。腰なんて細すぎないか?力入れたら折れちゃいそうで怖いんだけど)
両手に収まる美玖という女性を感じながら春人はまた唾を飲み込む。
興奮しているのか身体が熱くなり、これ以上はまずいと春人に警鐘を鳴らしてくる。
「美玖ここまで。もういいだろ?」
春人は少し慌てながら両手の力を抜いて美玖から離れようとするのだが――。
今度は美玖の方から、ばっと両手を身体に回された。
「ちょっ、なんだよ?」
「私はまだ満足してないから止めちゃダメ」
「満足って……満足そうな顔してたろ」
「確かに嬉しかったけど満足はまだしてないの。だから止めちゃダメ」
「えー……」
なんだそれはと春人は困惑を色濃く顔に表す。
正直もう春人も限界だ。
それでも美玖が満足するまで止めないのならと春人は意を決して表情を固める。
再び美玖に抱き着くが今度は腕に一層力を入れる。
「え?はる君?」
動揺している美玖を置き去りにして二人の身体の間に隙間ができないくらい強く抱きつく。心臓の音が互いに聞こえそうなほどの距離に美玖は顔を耳まで赤く染め口をぱくぱくと動かし始める。
数秒の抱擁を終え春人は美玖から離れる。
「満足したか?」
春人の言葉に美玖はどこか、ぼーっと夢見心地に顔を上げ。
「ふぁいぃ……」
とろんとした潤んだ瞳で春人に返事をする。
そんな魅惑的な美玖の姿を見て春人は気まずそうに視線を逸らす。
(やりすぎたか?やりすぎたよな俺。何やってんだよほんとに!)
いくらなんでも身体を密着させ過ぎたことに春人は今更ながら後悔していた。
美玖に満足してもらうというしっかりとした理由があったがそれでもだ。他にいくらでもやりようがあったのではないかと春人は頭を悩ませ始める。
そんな春人とは違う方向で美玖も混乱で頭を回していた。
「はる君が、はる君があんなに情熱的に……はわわわわ」
火照った美玖は顔だけでなく首までも薄ピンクに染めていた。もう周りなんて何も見えていない。春人のことで頭がいっぱいになっていた。
お互いにお互いのことを意識したまましばらく二人は落ち着くまで悶々とした時間を過ごすことになった。




