ドッペルティーチャーに罪はない
後日談です。
『罪を償いたい?』
それは戦争終結から少し経って、マホさんに相談した時の第一声だった。
『君にも真っ当な倫理観というものがあったんだねえ。だけれど、この罪は償えないものだ。懲役でも禁固でも死刑でも、いいや、完璧に償える罪なんてないんだけどね。刑法とかそういう意味じゃない。精神的な問題だ。どちらの意味でも君だけで責任が取れるようなおのじゃない』
『…………それでも、真実を知る者として、生まれる筈の無かった存在を殺してしまった罰として、何かしたいんです。俺はドッペル団のリーダーですから』
『なら、背負うべき罪はない筈だよ。ドッペル団という組織で起きた腐敗をリーダーがケリをつけました。報道される事などないけれど、世界を救ったのも君の筈だ』
それは違う。俺は世界なんて救っていない。
世界を救うとは、例えば魔王を倒す勇者みたいに。世界を混乱させる元凶をどうにかする事で間接的に全ての問題を解決させる事だ。俺が解決した問題は頭のイカれた男友達を殺して被害の悪化を食い止めた事と…………偏死の戯びを終わらせた事くらいか。後者はともかく前者は救ったとは言い難い。
俺に救う力があるなら、呪われた名前ごと身体を切り刻むなんて方法は取らないし取れない。司令塔がいなくなった所で統率的な動きが取れなくなるだけでゲンガーそのものは止まらない。だからたまたまそこに居た審判に頼んで判定勝ちを狙った訳だが……これも凶行が止まっただけでそれまでの被害は止められていない。
救うというならそれこそデウス・エクス・マキナの様に、道理もへったくれもなく全ての人間を生き返らせる必要がある。せめてゲンガーが始まる前の状態に、欲を言えばそもそも朱斗に凶行を働かせない……もしもは言える。幾らでも語れる。けれどもそれは人間の俺には不可能で。名前を操れる程度でどうにか出来るスケールでもない。
『―――そういう考え方をするかい。ならせめて未来を考えよう。過去は確かに、どうしようもない。そればかりはね。でも未来はどうにでもなる筈だ。償いとは即ち心の在り方。完璧に償うのは不可能だよ、それをした事実は覆らない。ならどう償えばいいかじゃなくて、君にとって何が償いになるのかを考えるべきだ』
『俺にとって……償いになる行動?』
『人は決して他人を理解出来ないが、他人を頼らねば生きていけない。この世のあらゆる行動には何割かの自己満足が含まれる。贖罪だってそう。でもそれでいいじゃないか。君に償おうという気持ちがあって、君なりに考えた行動なら、それは正しい』
マホさんは俺の頭を撫でて、また去っていった。
『倫理観の狂った君なりに、考えるといい。応援してるよ』
―――――――――。
「………………正しい、ね」
教会の奥にある職員室(仮)の中で机に突っ伏しながらそんな言葉を呟いた。十九歳で教師になるとは夢にも思ってなかったが、年齢的にも分かるように正式な職業ではない。給料も無いし休みも不安定なブラック企業だ。早い話がボランティア。
お金が介入しないから責任が伴わない。仕事にお金は絡むべきという言葉は分かるが、自業自得な行いの尻拭いをしているのに無責任はあり得ない。これは俺の仕事であり、義務であり、俺なりに考えた償いだ。
「お疲れみたいだね、匠君」
職員室に入って来たのは戦犯仲間の明鬼朱莉、操さんから貰った名前を与えたので同性同名の別人と言いたい所だが、鬼灯は鬼の力を持って生まれた人間にその名前を与える。操さんにも朱莉にもその適性があったというだけで、裏を返せば適性のあった人間に明鬼の名が与えられる。名前まで被ったのは操さんが特殊な状況で居なくなったからだろうが、ともかくそういう理屈で名前を付けるなら、名前を与えたというよりは返した形に近い。
元の持ち主にはもう苗網操という名前があるのだから、そこに支障はない。
朱莉は外の自販機で買ってきたと思わしき炭酸飲料を俺の机に置くと、パイプ椅子を立ててそこに座った。
「マジ、見直しそう」
「何が? 私のゲンガー判別能力?」
お前の判別能力は鬼の力を介して名前を一時的に渡してるだけだ、と言いたくなるのを堪える。厳密には管神に居た人間なら例外なく同じ真似が出来るのだが、戦犯仲間なので優先的に仕事を回している。
「違う。教師だよ。よくもまあ一年間も何十人相手に授業出来るもんだなって。尊敬。マジリスペクト。嫌いな先生は居たけどそいつも聖人に見えてくる」
炭酸飲料のキャップを回して、呷るように口を付けた。
「流石にオーバーだね。君の仕事は教師より全然軽いよ。人間としての常識を教えるだけなんだ。小学校の道徳の授業みたいなものだよ。まあ表立って教師するのは大変だと思うけど、その裏で私がどれだけ仕事回されてるやら」
「おーそりゃ大変だな。たまには休憩も必要だぜ?」
「君が回してるくせに何言ってんだよ! 君が辛いだろうなと思って面倒な事務作業全部やってるんだから感謝してくれないと割に合わないね!」
ふん、とそっぽを向いてから彼女は水筒に口を付けた。その程度で割に合う面倒とは何なのかという気持ちにも駆られるが、その前に感謝などしてやるものか。
当人は知らないが、これは朱莉の贖罪でもある。
俺達は対等に、二人で罪を償っているのだ。そこに感謝があっていいものか。懲役刑を味わう人間に一々感謝をするようなものである。
「…………ああ、ありがとう」
「え…………はあ。素直じゃないなあ匠君って。まあ、そこがいいという声もあるけどね」
「実際丸投げしてるから、お前がどんな仕事やってるのかは全然分からないんだけどな。何してるんだ?」
「は?」
「え?」
気まずい沈黙。相手が相手ならこの場で蹴り倒されるだろうが、体格差で勝る俺にそんな真似をする奴じゃない。紙くずは投げられたが。
「ゲンガーの年齢は様々だ。本物が居ないなら年齢に応じて―――だから小学生のゲンガーなら小学校に通わせる為に色々手配する必要があるでしょ。親が本物だったり一式で揃ってるならわりかし楽にはなるけど、親がいない子供のゲンガーは書類を偽造する所から始める必要がある。もしくは養子に取ってくれる人を探すか。社会人のゲンガーなら就職斡旋? ハロワ行かせればいい話かもしれないけど、基礎教育受けただけでハロワってのはちょっと……うん。ゲンガーについて知ってる家に今は色々働きかけてる感じかな。知らない機関にも表向きのストーリーをいい感じに作って協力を働き掛けてる最中。それに加えてゲンガー探し。一日中書類仕事かと思えば外回りもやらされてそれに―――」
「ああもう分かった。分かったごめん。お前凄い。天才。俺が悪かった」
「分かればいいんですッ! フフフッ」
ゲンガーの学習状況に応じて卒業か否かの選択が迫られる。今日は何十回と行った卒業式で五人のゲンガーを送り出して、とりあえずの仕事を終えた。時刻は午後五時。二月という季節には春の足音も気が早く、日も沈めば十二月と何ら変わりない冷え込みを見せている。
―――寒いな。
コートは着ているが寒いものは寒い。とっとと家に帰って温まりたい。早歩きで帰路につくと、通りがかる声に身体を縛られる。
「死が嘘って何だったんだろうね……」
「お父さん死んだけど、生き返ったりしないし」
「この間隣のクラスの奴らが捕まったって聞いた? 殺人罪で―――」
「…………ごめん」
その謝罪が自分達に向けられた事にさえ気づかぬまま、すれ違った女子高生は去っていった。ゲンガーが居なくなっても置き換えられた価値観は時間をかけて修復していくしかない。あの事件から一年と少し。まだまだ『死』は絶対の終わりという以前の価値観を取り戻すには時間がかかりそうだ。今朝のニュースによると殺人で逮捕された人間は過去十数年で最高値に達しているそうな。刑務所がパンクしていると言えば分かりやすいか。鬼の子が残してくれた傷跡はまだまだ快癒の兆候も見せてくれない。
「あれ、匠与君?」
角を曲がってレストランを通り過ぎる。向かい側から駆け寄って来たのは操さんだ。買い物帰りを窺わせるエコバッグを手に提げているが、見た目からして重さがないので中には何も入っていないと思われる。
死者の村こと管神唯一の生存者は、俺の案内を受けてこっちに出てきていた。
それはここ数週間の話で、まだまだ文明の発達した社会には慣れていないようだ。黙り込んで観察していると、不安そうにきょろきょろと道路や建物に目を向けていた。
「仕事終わったんだ? 迎えに行こうと思ったのにな」
「迎え? …………迎え?」
いつから俺と操さんはルームシェアしたのだろう。釈然としない表情を察して、彼女は「ああー違う」と手を振ってから補足するように言った。
「詠姫に誘われたんだ。遊びに来ないかって。それでまあ色々あって……迎えに来たみたいな」
「まあ、それは有難いですけど。何でエコバッグ?」
「ついでに買い物してビックリさせようかと思ったら……怖くなった。恥ずかしい話だけど、管神とぜんっぜん勝手が違うから怖くて」
「成程。それじゃあせっかくなので今日は泊まっていって下さい。明日、また仕事ついでに操さんにも文明社会の歩き方を教えるので」
「え、本当? うわー助かるなーッ。匠与君みたいに外に詳しい人が居ないと、私ってば全然駄目で。あそこに居たツケかな?」
「誘拐されたせいなのをツケとか言い出したら不幸すぎるのでそんな言い方はやめてください。操さんは狩猟が出来るから十分じゃないですか。狩猟出来る人なんて中々いませんよ」
「でもこっちじゃ狩猟禁止でしょ?」
「禁止はないですけど、肩身は狭いっちゃ狭いかな。色々法律がありますからね、操さんが免許持ってるとは思わないし、管神でほそぼそと狩りしてた方がいいんじゃないんですか。俺も機会があれば帰ってまた宍肉料理を食べたいです」
「その時は任せてッ。あの時みたいにとびっきり美味しい部分をあげるから。あーでも、色々な方法試したいからその時は調理器具持ってきてよ。土産でも何でもいいから」
あの場所、電気通ってたっけ。
電気の要らない調理器具となると一気に選択肢が狭まるのだが、そこはまたいつか気にしよう。歩いている内に家の玄関も迫ってきたし、雑談もこの辺りで切り上げるべきだ。
「……何、この一軒家みたいなの」
「お姉ちゃんが買ったので知りません」
「―――すご」
以前住んでいた家の二倍はある大きさだ。オカルトライターがそこまで儲かるとは到底思えないのだが何処からお金を引っ張り出したのだろう。
「ただいまー」
「お邪魔しまー……す?」
「よっす匠ちゃん! 仕事帰りって感じ?」
「センパイ、お帰りなさい!」
「お帰り、タク」
俺達を出迎えた三人は言うまでもなく同居人―――いや、一人おかしな人が居る。
「山羊さんは、何でここに?」
「来たかったからだよ? 匠ちゃんの家がこんな大学に近いとは思わなかったけど」
同年代とて進路は違ってくる。俺と同じく一度は学校をやめた山羊さんは卒業後、大学へ進学した。俺達の仕事についてもある程度は把握しており、嬉しい事に『匠ちゃんのサポートをしたいから』と様々な分野を勉強してくれている。将来は俺の所で働きたいと言って聞かないので、申し訳ないが朱莉には給与について色々と考えてもらわないと―――その時は俺も考えるが。
「お風呂にします? ご飯にします? 今日は鍋ですよッ」
千歳は、単純に家に帰れなくなったので住んでいる。本人曰く、『ナムシリ様と懇意になれ』と、それだけを言われ父親に叩き出されたそうな。経緯が経緯であまりにも可哀想なので住まわせた。どうにも話題に出すのを憚られるが、卑吸的にはナムシリ様に媚を売って欲しいようだ。俺自身はそう満更でもないとはいえ、何度も後輩を政治道具のように使われるのは気分が良くない。住まわせたのはそういう理由もある。
「お帰り、タク」
「……ただいま」
大好きなお姉ちゃんには、今も味覚が無い。
それでも度々マホさんが出張しに来ては根気強く料理を教えてくれる甲斐もあって徐々にその腕前は改善されつつある。具体的には卵焼きが、まともに作れるくらい。取り敢えずダメージを負う事は無くなった。
「鍋って事はすき焼きか何か?」
「ま、そーだね。お風呂にしないなら直ぐに始めちゃうから、悪いけど愛莉栖ちゃんを起こしてくれない?」
「あいつまた寝てんのか」
ここには俺も含めて四人の居住者が居て、最後の一人がアイリスだ。あの日以降、審判としての役目も無く普通に過ごしているが、一日の大半を眠っているので起きている姿を見る事は生活サイクル的にも珍しい。
階段を上ってそんな眠り姫の寝室へ向かうと、アイリスは珍しく起床していた。
「おはよう」
「違う」
ここには余分な家具が一つとしてない。時計もなければテレビもなく、辛うじて窓がある程度の独房みたいな部屋だ。実際は机もライトもないので下手な独房よりも酷い。見方を変えれば就寝特化の寝室、正真正銘その名前が相応しい部屋だが、文明的とは言い難い。
「こんにちは」
「違う」
「おやすみ」
「寝るな!」
彼女の手を引いて、リビングへ。既に席は用意されており、後は俺達の到着を待つのみだ。心なしか鍋を上から見つけたアイリスの歩みが早くなった。手を引いていた筈がいつの間にか手を引かれ、席につかされる。
「おいしそう」
「まずかった事なんてない。テロうりはもう消えたんだから」
「タク~? 幾ら寛容なお姉ちゃんでも一年間ずーっと弄られるのはちょーと傷つくぞー? もうそんな物作れないってば!」
「…………」
作れない、は語弊がありそうだ。味覚がないのを遠慮してかお姉ちゃんの皿だけが特別小さい。事情を知る人間は少ないのに、彼女は楽しくもない食事を雰囲気を壊さない為にもわざわざ参加して―――
「楽しいけどね」
何故か、心を読まれた。お姉ちゃんの顔をずっと見つめていたからか。「いただきます」と手を合わせてから、また俺の方を一瞥して、独り言のように言葉を繋ぐ。
「お姉ちゃんは単純なので、大好きな弟がいるだけで楽しいんだよ―――あ、その肉私が育ててるから待って」
「なさけむよう」
「うんまあ間違ってないよねって愛莉栖ちゃんッ? 私の事だけ重点的に狙ってるよね!」
「センパイ、これどうぞ!」
「え? ……うん。有難う千歳」
「はい♪ どんどん食べましょうねッ」
「あー鍋やってる!」
「全員。集合?」
楽しい食事に水を差した二つの声は、それぞれ俺の友人に当たる。朱莉とレイナが玄関を開けたままこちらをじーっと見つめていた。
「いや、ピッキングで開けんなし」
「開けてないわ。ただ。鍵が開いてたから。ちょっと心配だっただけ」
「そうそう。同居人が居るのに不用心だなーって思ったんだよ。それで開けたらこれだもの」
―――左側に顔を向けると、操さんが気まずそうに視線を逸らした。俺の動きを見てから露骨に。彼女があっちで住む家には鍵なんてなかったから習慣付いていないのも無理はない。俺はアイリスを起こしに行ってしまったし、何となく閉めるだろうと常識的に考えていた。
「……ああ。それ。俺がやらかした。悪い。恥ずかしいから口止め料にお前等も鍋参加してけ」
「え、いいの?」
「流石に。狭いと。思うけど」
許可を再確認するレイナとは違い、朱莉は既に靴を脱いでいる所だった。彼女は多分、誰かに物を借りる時に「貸して!」と言って物を借りるタイプだ。相手の返事が「イエス」前提で動くせっかちタイプ。
「微妙に図々しい奴が入ってきたしこの際気にするなよ。ほらほら、来いってば」
「でも。具材とか」
「大丈夫だってば」
「箸とか」
あああああああああああああああ!
席を立って、玄関前から石のように動かないレイナの手を引っ張る。
「朱莉が図々しい感じ出したと思えばお前はまどろっこしいな! いいったらいいんだ参加しろ!」
「はぅぅッ!?」
今度こそ鍵を閉めて、レイナを席へ。彼女の予測通り本当に狭くなってしまったが、上下左右に動けない程ではない。
「―――肉、こんな少なかったっけ?」
「赫倉ちゃんが全部食べたぜ?」
「おいしい」
「愛莉栖ちゃんの食欲は考えてなかった……判断ミスだなー」
穴だらけ。
この世界には深すぎる爪痕が残ってしまった。それの修復が終わるのもいつになる事やら。
穴だらけ。
この世界には不穏が残ってしまった。いつ誰が、どんな状況で爆発するか分からない。
穴だらけ。
この世界は不幸になってしまった。ただでさえ存在していた軋轢が、ただでさえしこりを残していた問題が、場合によっては深刻化するだろう。
この世界は、穴だらけ。
何処かの誰かがそういう風にしてしまったから。
それでも。
この場所には幸福が満ちている。不可能は無い。手の届く範囲に幸福が満ちるなら、手の届かない場所にもまた幸福は生まれる筈だ。満たせる筈だ。ならそれでいい。それが正しい。間違った俺が、間違いだらけの人間が足した答えでも、きっと正しい。
この世界は、美しい。
尊ぶ必要も無ければ重さについて語る必要もない。単なる純粋な事実を事実として、真実のまま目標に俺は生きていく。生きて行かないといけない。せめてものケジメとして。
ゲンガーが死を嘘にしたように。
夜に虹をかけるように。
何年かかってもいいから、俺がこの世界を平和にする。『幻影事件』なんて嘘っぱちだったと。そう思われても仕方ないくらい。