伝説のジャーナリスト
蛍は上条の遺体が搬出されるのを待ちながら、一騎の撮った映像の事を考える。どうしても日の目を見ないと言う事態になったらネットで流出させればいい。しかし本人はテレビでの視聴を前提で制作したはずだ。できれば全国ネットで、更にゴールデンタイムで放映してあげたい。しかもアフガン国境の状況が変わらない内に、できるだけ早く。
由紀子が危惧していたヤクザからの報復は、実はあながち空想とは言えない。全世界に流通しているアヘンの八割はアフガン産である。アフガン・パキスタン間の流通経路が閉鎖されたら自動的にアヘンやその精製物のヘロインの価格が高騰してしまう。
しかしアフガンからのアヘン密輸は既に世界の公然の秘密であり、歴代のアメリカ大統領も黙殺して来た。一介のジャーナリストが撮影して来た密輸現場の映像をきっかけとして国連軍が国境閉鎖に動くとは思えない。ただ日本の暴力団は一騎の映像を快くは思わないだろう。
蛍には敵が多い。仮に蛍が一騎の映像を流出させたら今後は暴力団まで敵に回す。由紀子でなくとも二の足を踏みたくなる決断だ。海外のプロパイダー経由で一騎の映像ネットで公開したら?真っ先に疑われるのは蛍だろう。蛍は一騎とのビデオ通話を遺族に無断で公開した前科がある。だからと言って一騎が命と引き換えに撮ってきた映像が封印されたままというのも酷な話だ。
蛍はビデオ通話での会話を公表したことで一騎の汚名を雪いだ気持ちになっていたが、公表した結果は世間が「やっぱりあの二人は付き合っていたんだ」と納得しただけだった。闇社会の人間はJNP通信や由紀子に加え、蛍をも一騎の映像を持つ者としてマークするようになっただろう。
「出て来た」
メディアスクラムから囁き声が聞こえた。病院の裏口が開き、ストレッチャーが出て来た。その上にはシーツに包まれた遺体が載せられている。遺体に対して一斉にフラッシュが焚かれる。付き添っているのは親族と思われる老婆一人だ。政務官経験者の最後としては寂しすぎる死出の旅だ。元秘書たちはメディアから遺体を隠すようにブルーシートを遺体横に広げ、ストレッチャーをリムジンまで導く。
「元経済産業省政務官、上条昇氏の遺体が病院から搬出されました。上条氏は産業スパイとして国際指名手配を受けていた中国人・李朱亜との交際を取り沙汰され引責して政務官を辞任。政界からも引退していました。繰り返します。元経済産業省政務官、上条昇氏の遺体が病院から搬出されました。本日未明肺ガンのため上条昇氏は亡くなりました。享年七十一歳でした」
テレビクルーが実況を始める。蛍は上条昇から政治家としての全ての地位を奪った張本人ながら彼に対してシャッターを切ろうと三脚に向かう。
その時三脚に何かがぶつかり、蛍は三脚ごと前のめりに倒れてしまう。地面に手をついたまま自分の三脚を倒した者を探すために鋭い目で周囲を見渡す。蛍が相手を見つけるより前に、男が蛍の前に回り込み、蛍を見下ろした。
男の手には拳銃が握られていて、蛍は息を飲む。マスコミ各社のカメラマン達は狙撃者と蛍の間に割って入ることもせず、黙ったまま二人にカメラを向けた。香山でさえとっさの出来事に飛び出していく事が出来ず、肩に担いだテレビカメラのスイッチを入れたまま慌てふためいているだけだ。
あの女が死ねばよかったのに、そう毒づいた上条の秘書達でさえも蛍の受難に驚愕した。
蛍は少しでも拳銃から距離を置くために地面に尻を突いて手は尻の後ろに置いた。転倒した弾みでブラウスから聖母マリアのメダイが飛び出している。
今日は私の死刑執行の日となるのだろうか。
ここで狙撃されて命を落としたらアンコールワットで散った一ノ瀬泰造だ。伝説のジャーナリストになる。一命を取り留めたらマララ・ユスフザイだ。来年のノーベル賞を取れるかも知れない。
もし男の銃が空砲だったら?
やっぱり蛍は嫌われ者のドブネズミのままだ。さらに笑い者との称号さえ与えられてしまう。
男は引き金に指をかけた。蛍は目を見開いて自分の未来を見定める。あまたのカメラが時代の証言者となるため蛍と狙撃犯の周りを取り囲んだ。
2カ月に渡りご高覧誠にありがとうございました。励みになりますのでご評価のほどよろしくお願いします。小学生の時分、オフコースの『決して彼らのようではなく』https://bit.ly/2TzTPrK
を聴き、いつかジャーナリストの小説を書きたいと思いました。36年がかりで夢が叶い、感無量です。




