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ドブネズミ  作者: 山口 にま
最終章
93/94

上条昇死去

元経済産業大臣政務官 上条昇死去。享年七十一歳、死因肺ガン。


そのニュースは即日マスコミを駆け巡った。既に政務官も国会議員も辞職していた上条の死は政界に何の影響も及ぼさないが、外国人産業スパイと交際していた事実を世間は忘れてはいなかった。

蛍はカメラを手に彼の入院先の大学病院に急ぐ。上条の遺体が病院から搬出される場面をカメラに収めるつもりだった。

十一月の寒い朝である。蛍と同じ目的を持ったメディアが複数病院に集まり、辺りはメディアスクラムの様相を呈していた。

黒いスーツを着た若い男が二人、カメラの前を横切り病院に入って行った。蛍と男達は互いの存在に気がついて息を飲んだ。

「おい、ドブネズミが来ているぞ」

一人がもう一方に耳打ちをする。

「ああ。あいつ良く来れるよな。上条先生をこんな目に遭わせておいて」

耳打ちされた方も既に蛍に気がついていて、彼女に険しい目線を向けた。睨まれた蛍の方は涼しい顔だ。

「あの女が死ねばよかったのに」

一人が憎々しげに呪詛の言葉を口にする。

二人の男達はかつて上条昇の私設秘書だった。妻と死別し、政界を追われた上条に頼るべき相手はいない。勢いかつての秘書が昔のよしみで遺体の移送や葬儀の手伝いをすることになったのだ。

上条と交際していた李朱亜の身柄は未だにアメリカにある。彼女は最後まで何の目的で上条昇に近づいたか口を割らなかった。スパイを取り締まる法律のない日本では彼女を厳しく追及する術がないのだ。

上条の亡骸はまだ出て来そうにない。下手をしたらメディアの裏をかいて違う出口からの遺体の搬出もあり得る。蛍は耳をそばだて他社の情報を盗み聞こうとする。

「あ、根津さん?」

そう呼ばれて蛍は振り返った。蛍の背後にいたのはテレビカメラを担いだ香山誠だった。

「香山君!」

二人は数ヶ月振りの再会を喜んだ。蛍は気がつく。香山がテレビ局の腕章をしていることを。

「これっすか?僕もJNP通信を辞めちゃいました」

「何でまた?」

「剣崎さんは長谷川さんの奥さんの言いなりで、僕も剣崎さんに呆れちゃって。まだ上条昇は出て来ないですよね」

香山は首を伸ばして病院裏口を見る。

「ちょっと向こうに行きませんか?」

香山は蛍を誘った。二人はそれぞれのカメラを三脚に立て、メディアスクラムから離れる。


香山は言う。

「あの奥さん、いつまでも映像の使用許可を出さないんですよ。亡き夫の遺作ですよ。遺作の公表を妨害するなんてあの奥さんは本当に長谷川さんに対する気持ちが冷め切っていたんでしょうね」

「剣崎さんは何て?」

「長谷川さんが世間から忘れられて行くのが辛いと。奥さんに訴訟を匂わせたら、多少奥さんの態度が軟化したらしいけれど、こうして時間ばかりがすぎていく。長谷川さんが撮ってきた映像の鮮度が落ちるわけですよ」

「確かに。八カ月前の映像じゃ報道としての価値はなくなるよね。長谷川さんはJNP通信の社員だったし、取材費もJNP持ち、撮影機材もJNP通信の所有物だったんだから撮影した映像はJNP通信の物だと思うけどね、私は。こうなったらしれっと映像を流出させちゃえばいい。すっぱ抜きとリークこそJNP通信の社是だったのに」

「お蔵入りよりはマシかも知れませんね。根津さん、頑張って」

「私はやらないよ。JNP通信の社員がやればいい」

蛍は面倒臭そうに顔の前で手を振りかざした。

「根津さんが五月にネットに上げたビデオ通話の録画映像、結構なインパクトでしたよ」

「少しは長谷川さんに対する嫌疑が晴れたかしら?無許可で部族地域に入ったとか、アヘンの購入が目的だったとか、良くあんな捏造報道できるよね」

「それよりも、長谷川さんが見せた入域許可証の未婚欄にチェックがついていて、そっちの方が世間はびっくりしましたよ。空港でインタビューに応じたあの女性は何だったんだって話になって。長谷川さん本人は離婚しているつもりだったんでしょうけれど」

「剣崎さん、怒っていた?」

蛍は恐る恐る聞いてみた。

「全然。何だ根津の奴、意外とパンチがねぇなとうそぶいていましたよ」

「奥さんは?余計態度が硬化したんじゃないの?」

「さあどうでしょうね。逆にいい薬になったんじゃないですか?情報なんてどこから漏洩するか分からないんだから奥さん一人で長谷川さんの映像を握りつぶそうったってそうはいきませんよ。実質的に長谷川さんと奥さんの関係は破綻していたんでしょ?夫婦として機能していなかったくせに配偶者が死んだ後に権利主張するなよ。長谷川さんの遺作ぐらい気持ちよく放映させてやれよ」

香山は憤懣やるかたないと言った口調である。そうねぇと蛍は相槌を打ちつつ 、一騎が離婚の理由を明確には答えなかった事を思い出す。一騎の方に重大な背信行為があったのかと今の蛍には考えられるのだ。

パキスタンで撮影した映像を放映させない、これは妻から一騎と私に対する復讐なのか、蛍はそう思った。


二人は病院の裏口を見る。まだ特に動きはない。蛍は言う。

「ボディレメディは廃業したそうよ」

「ボディレメディって、あの例の変態次期社長がいた?」

「そうそう、金本っていう後継ぎが学生時代に女の子に一服盛って猥褻動画を撮ったって、あれ」

「最後は金本が女性を刑事告発したり、民事訴訟起こしたりと、どっちが被害者か分からない様相になってきていましたけれど。そうですか、廃業ですか」

「金本が起こした裁判も終わったよ」

「判決が出たんですか?」

「ううん、終結の前に和解した。裁判官から和解勧告が何度も出ていたし。こんな馬鹿馬鹿しい裁判、どこの物好きが最後まで付き合うのよ?」

香山は苦笑しつつ、

「確かに」

そして思い出したように、

「和解金はいくらでした?」

と聞いた。

「三十万円」

蛍の返答に香山は驚きを禁じ得ない。

「三十万円ですか?金本、何百万円も女性に請求していましたよね?」

「三百万円請求していたね。でも裁判で認められるのはせいぜい三十万円よ。被害女性は嬉々として支払っていたわね。加害者を社長の座から引きずり下ろして、家業の会社まで畳ませて。三十万円でいい買い物が出来たとご満悦だった」

「いい買い物・・・・」

香山は絶望的な表情で首を横に振る。蛍はつまらなそうに言った。

「裁判の結果を報道したかったけれど、和解条項にこれ以上報道しない事が謳われちゃったから本件はこれにて終了」


病院裏にリムジンが止まった。上条の遺体を運搬する為のものだろう。メディアは急に色めき立った。

「そろそろね」

蛍と香山は自分達の三脚の場所に戻った。

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