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ドブネズミ  作者: 山口 にま
第七章 補陀落
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海の向こう側の世界

 車の窓から午後の光を浴びて煌めく海が見えた。無数の光の粒が海面で光を放っている。蛍は話題を変えた。

「さっきのお寺、補陀落寺って言いましたね。那智の方にも同じような名前のお寺があったような」

多香絵は思い出したように、

「そうそう住職さんが言っていました。昔のインド人は海の向こうに観音の住む浄土があると信じていて、それを補陀落って言うんですって」

それならば一騎は今海の向こうの補陀落に住んでいるのだろうか。死の先が補陀落であるならば、死はそんなに忌むべき物ではない。


 洋平は遠慮しがちに聞いた。

「根津さんの会社で殉職なさった方がいらっしゃいましたが」

「はい、長谷川一騎ですよね。直属の上司でした」

蛍は淡々と答えた。

「それならば悲しみもひとしおでしょう」

洋平は同情の篭った声で蛍を慮った。

「そういえば、三峰さんのネットでの告発を私に教えてくれたのは長谷川でした。実は彼と一緒に金本さんの取材に行ったんですよ。「記事に載った金本さんの写真も長谷川が撮影しました」」

「そうだったんですか」

多香絵は驚きの声を上げた。


 車は海沿いを走り続ける。一騎の思い出は尽きない。

「長谷川は三峰さんの記事を出す事には反対していました」

「なんでまた」

洋平は聞く。

「駒木さんと同じ危惧を抱いていました。三峰さんが傷つく事になるんじゃないかと。でもその時は三峰さんが起訴される危険があったので、とにかく世間に向けてアクションを起こすために記事を発表したんです。長谷川はパキスタンから私に連絡を寄越すたびに、三峰さんの件はどうなったと聞いていましたね」

「なんだか随分面倒見の良い上司だったんですね」

洋平は感心した様に言った。

「面倒見が良いというか、いろんなことの首を突っ込んでくるというか」

蛍は苦笑交じりに洋平の言葉を否定する。そして前を向いたまま、

「私はやる事なす事全部長谷川の真似ばかり。信頼していたし、尊敬していました。それでも私は長谷川みたいにはなれないんですよ。永遠にあの人には追い付けないんです」

車は国道一二六号に入った。海は見えなくなった。


日が暮れる頃車は船橋市街地に入った。蛍は多香絵に聞いた。

「ご自宅までお送りしましょうか?それとも駅前で降ろしましょうか?」

「駅前で降ろして頂けますか?」

「私はこれから記事を一本書かなくてはなりませんので帰りますが、どうでしょう、募る話もあるでしょうし、駒木さんと少しお話をされてみては」

蛍の提案に多香絵と洋平は顔を見合わせる。

「駒木さんは三峰さんを支援するお気持ちはあるのでしょうか?」

「勿論です」

洋平は前のめりに答えた。

「じゃあ作戦会議でもなさったらいかがでしょうか」

「うん、まあそうだね」

洋平は多香絵に向かって言う。多香絵も頷いた。

「それからもう一つ。ネットでの名誉毀損の裁判は最近増えてきていますので明日にでも裁判の判例をお送りしますよ。慰謝料の相場、びっくりするほど安いですよ。大体十万円。高くて五十万ぐらいかと」

多香絵は目を見開く。

「だって金本は三百万円払えと」

「そんなのは単なる脅しです」

蛍は言い切った。そして信号で車が止まったタイミングで、後部座席に振り返って言った。

「名誉毀損を受けたとされる当事者が芸能人や有名人だった場合、公共性ありとみなされて、ネットでの書き込みや告発は名誉毀損を認められない事が多々あります。金本さんはフィットネスクラブ会社の次期社長だったんですよね。しかも女性をターゲットとしたフィットネスクラブの。金本さんへの告発は十分公共性がありますから三峰さんは堂々としていれば良いんです。細かいことは弁護士さんとよく相談して。分かりましたね」

多香絵は口を固く結んで頷いた。


車は駅前に着いた。

「では今度お会いするのは裁判所ですね。先ほども申し上げた通り、第一回弁論期日には来る必要はございません。審議が始まったらスーツでいらして下さい。裁判官に少しでも良い心象を残すためです。私もそうします」

「僕も行きます」

洋平は声を上げた。

「駒木さんはお仕事もあるでしょうから無理しないで下さい。もし三峰さん側の証人として召喚があったら必ず応じて下さい」

「ああ、勿論です」

洋平は答えた。


二人が車を降りて駅ビルに入っていくのを蛍はルームミラー越しに見送った。

「さてと」

蛍は勢いをつけてハンドルに両手を置いた。

「色ボケはこれでおしまい。ドブネズミに戻るとするか」

蛍は誰に聞かせるともなくひとりごちて、アクセスを踏み込んだ。

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