死刑になりたい夜
会社を辞めた後の蛍は気がまぎれることがない。自宅のベッドの中で泣いてばかりいた。自分の中にこれほどの涙が入っていたのかと驚くほどに。
家に男が押し入って来た時さっさと殺してくれたら良かった。そうしたら私と一騎さんは今頃あの世で再会出来たのに。
一騎が粛正される前に部族地域から蛍を呼んだ。「根津さん、根津さん、聞こえますか?」と。それでもその声は蛍には聞こえていなかった。一騎の絶望はいかほどだったか。最愛の恋人を痛みと恐怖の中で死なせてしまったこと、この罪は決して許される事はない。
「死刑になりたい」
蛍は口に出して言った。
そんな時蛍の携帯電話が鳴る。出てみると老人らしい嗄れた声の男だった。
「私ね、銚子でふだらく寺って言う寺の住職をやっている者だけど」
ふだらく?ソドムとゴモラのような寺である。死を考えただけで墓地の営業電話ががかかってくるなんてすごいタイミングだなと蛍は思った。ふだらく寺の住職は言う。
「三峰多香絵さんってご存知かしら?」
いきなり意外な名前が出て蛍は驚く。ベッドから跳ね起き、
「はい、もちろんです」
「三峰さんね、海の方を元気なく歩いていたんですよ。それでね、今夜はもう遅いからうちの寺で泊まってもらう事にしたんですよ」
「それってどういう…」
「あ、今は元気よ。それでね、どうでしょう?ご都合が着けば迎えに来て頂けないかしらと思って電話しているんだけど」
蛍はベッドサイドの時計を見た。午後七時過ぎである。今から車を飛ばせば今日中に着ける。
「はい、今から伺います」
蛍は早くもバッグを引っ張り出している。
「ううん、今日は来なくていいですよ。三峰さんには波の音を聴きながらゆっくりしてもらいたいの。そう言う目的もあるの」
「でもご迷惑じゃ…」
「そんなことは気にしなくていいから。明日の二時ぐらいはどうでしょう?」
「大丈夫です」
蛍がそう返事をすると、住職は寺の住所を言って電話を切った。
何で三峰さんが銚子に?考えられる理由は岬からの投身以外に考えられなかった。
翌日は土曜日だった。蛍はレンタカーを借りて銚子に向かう。寺の名前は補陀落寺。補陀落とは極楽と言う意味だ。蛍は補陀落寺の住所をカーナビに入れた。発車する前、迷った末に駒木洋平に電話をかけてみた。
「何ですか?」
洋平の声には険があった。多香絵を追い詰めた張本人、それが蛍だと思っている。
「実は三峰さんが銚子のお寺で保護されています」
「保護?」
洋平は驚きの声を上げた。
「これから私が迎えに行くところなんですけれど、駒木さんもご一緒して頂けないかなと思って」
「もちろんです。直ぐに向かいます」
「お寺さんからは二時ぐらいに来てほしいと言われています。私もお寺の方と話したいことがありますので、駒木さんには二時半くらいにお寺に来て下さると助かります」
「二時半ですね。分かりました」
「私は車で行きますが、駒木さんは?」
「電車で」
「お寺の名前は補陀落寺です。住所は後ほどメールします」
「ありがとうございます。あの、三峰さんに何かあったんですか?
蛍は更に洋平の怒りが自分に向きそうなので言い淀んだが、
「金本さんが三峰さんに民事訴訟を起こして三百万円を請求して来ました。それで三峰さんは悩んでいて」
「金本の奴・・・・。で、あなたは多香・・・三峰さんに何て言ったのですか?」
「私ならば受けて立つと」
洋平は一瞬黙った後に怒気を込めた声で、
「何で人を追い詰めるようなことばかりを言うんですか!」
「私はそんなつもりでは・・・・。詳しくはまたお会いした時にお話させて頂きます。では銚子でお待ちしております」
蛍はそう丁寧に言って電話を切った。