第一相続人
帰京してからの剣崎は毎日すこぶる機嫌が悪い。
他誌から出た、一騎のパキスタンでの取材に重大な瑕疵があったのではないかと言う記事に対し、JNP通信は何ら反論をしていない。一騎の取材成果である映像こそが最大の反論になると社員一同は思っている。だからこそ映像の放映に向けて編集作業に余念がない。蛍は被告席に座らせられる三峰多香絵が気になるが彼女に連絡する時間も気力もなく、日夜一騎が遺した膨大な量の映像と取っ組み合っていた。
丁度一騎の死から一ヶ月経った日、蛍は剣崎から第一会議室に呼ばれた。この会議室は一騎の遺品を撮影した場所だ。蛍が部屋に入ると剣崎はドアに鍵をかけた。蛍は少し嫌な気持ちになる。警察の取り調べじゃあるまいし私を外部から遮断して、と。
「まあ座れ」
剣崎は自分の向かい合わせの席に蛍を座らせた。
「どうだ、長谷川はいなくなっちまったけれど、業務は回っているか?」
「まあ何とか。香山君と協力し合いながら」
「随分痩せたけれどちゃんと食っているのか?」
蛍の首も胸も肉が削げて、銀の鎖が重そうに蛍の首にのしかかっている。
「ご心配なさらずに」
蛍は軽く頭を下げた。
「お前、うちの会社に入ってから何年になる?」
「六年ですかね」
「六年か。もうこの世界では中堅どころだな」
蛍はまだまだですよと言いたげに首を横に振る。
「俺がこの会社を立ち上げて十年、一年遅れで長谷川に入社して貰って、お前と香山が長谷川の部下になって、スクープ合戦では連勝で、これからも長谷川を中心にしてやって行くつもりだったんだけどよ」
蛍は目を伏せて頷いた。剣崎は蛍の方に身を乗り出す様にして言う。
「長谷川があんな死に方をして、ドラッグの買い付けに部族地域に入ったとか諜報活動をしていたとか他誌に色々書かれて、これじゃあいつも浮かばれないだろう?長谷川の最後の仕事を何としてでも世に出したい。これが俺にとっての弔い合戦だ。あいつの事を世間から忘れさせるものか」
「うちの社員は全員同じ気持ちです」
蛍は同意する。
「 そこでなんだけれど、著作権という物は相続するんだよ」
「と言いますと?」
「長谷川が撮ってきた写真や映像の権利は今や奥さんと娘さんにある」
「そうなりますね」
「お前が言っていた通りあの夫婦は実質的に破綻しているよ。でも戸籍上は夫婦だし、彼女が第一相続人だ。会社としても奥さんの意向は無視できないし、奥さんの許可なくして長谷川の撮影した映像を放映することは出来ないんだ。分かるか?」
「分かりますけれど、あの奥さん、何かごねているんですか?」
蛍は険しい顔をして剣崎聞いた。
「説得を試みているんだが、色々厳しい状況だ」
「奥さんは何を要求しているんですか?」
蛍の問いかけに剣崎は口ごもりつつ、
「長谷川の私生活に関して記事が出たよな?奥さんと別居していたとか」
「出ていましたね」
「奥さんはその記事、お前が書いたんじゃないかって疑っているんだが」
「はぁ?あの奥さん、バッカじゃないの?」
蛍は由紀子を軽蔑するように口を歪めた。
「で、剣崎さんもそう思っているんだ?」
蛍は下から掬い上げるように剣崎を見る。
「いやいや、俺はお前を信じているよ」
そう言った後に、
「・・・・実は一瞬お前が書いたのかとも思ったよ。でもお前、奥さんの所に取材に行っていないんだろう?」
「行っていません!」
蛍は叩きつけるように答える。
「じゃあお前じゃないよな。取材なくしてお前が記事を書くとも思えないし。奥さんにもそう答えた」
「あー面倒臭い奥さん!」
蛍は口をへの字に曲げて顎を突き出した。背もたれに体を預け、身を反らすように座っている。
「俺もそんな個人的な思惑で映像の使用許可を出さないとは思いもしなかった。たださっきも言った通り、会社として遺族の意向は無視できないんだ」