情報提供者
木曜日の午後、由紀子は待ち合わせ場所であるターミナル駅に向かった。スーツ姿の剣崎は一人で待っていた。剣崎は再会の挨拶と、由紀子に対する労いの言葉を述べてから彼女を貸し会議室に導く。
席に着くと剣崎は備え付けのサーバーで淹れたコーヒーを由紀子に勧めた。そして恭しく東京の銘菓を由紀子に差し出した。
「手紙と電話でもお伝えした通り、一騎さんの映像や写真の使用許可を頂けないでしょうか?」
剣崎は頭を下げた。由紀子は何から話せば良いのか考えて、自分の膝に置かれた指を見ながら黙っていた。剣崎は同情を込めた眼差しで、
「ご遺族として、辛い事も多々あるでしょうね」
と暗に雑誌の記事で由紀子が傷ついている事を憂慮する。夫の上司に神戸まで来てもらったのだからきちんと話さなきゃ、と由紀子は自分を奮い立たせた。
由紀子は意を決して言った。
「長谷川は、根津蛍さんと交際していましたよね?」
唐突に蛍の名前が出ても剣崎は顔色を変えずに
「私から見てそのような印象は持ちませんでしたが。同じチームだから一緒に仕事をしていただけの関係ですよ。一騎さんにご家庭があった事は社員一同存じておりましたのでご心配は無用です」
と由紀子の疑念を否定する。そして気の毒そうに、
「一部でそのような報道が出たらしいですが、単なる噂話の範疇です。同業他社はお互いに足の引っ張り合いをするんですよ」
そこで由紀は手持ちのカードを切る。
「長谷川の部屋にいる根津さんの写真を見ましたが」
一瞬剣崎は黙ったが、
「うちの社員は皆仲が良くって、休みの度に飲み会だボーリングだと繰り出しています。きっと何かのイベントの帰り、二次会がわりに一騎さんのマンションに皆で押しかけたんでしょうな。ただ職場の風味を乱しますし、このように奥様にもご心配をおかけしますので、以後個人宅に上がりこむのは辞めるよう今一度社員教育を徹底させます。申し訳ございませんでした」
と慇懃に頭を下げた。
剣崎は言い訳に終始した。流石は一騎の上司である。言い訳ばかりを並べていた生前の一騎の姿と重なった。由紀子は言った。
「生前の長谷川に対して変な記事が出ていますが」
「ひどい記事ですよね。弊社としても訴訟の準備がございます」
剣崎は眉をハの字にして応じた。由紀子は内心訴訟は困ると思う。裁判沙汰になったらまた一騎のことが報道される。由紀子の望みは世間が一騎を忘れることなのだ。由紀子は続ける。
「何だか私が長谷川が死ぬのを待っていたように書かれたり」
「本当に馬鹿馬鹿しい。だれも信じやしませんよ。とりあえず様子を見ていたらどうでしょうか?人の噂も七十五日と言いますし。次号が出る頃にはそんな噂、みんな忘れていますよ」
剣崎はことも無げに言った。由紀子はこれが噂話を広める方の方便かと思い知る。彼女は自分の考えを剣崎にぶつけた。
「我が家に関する記事は、根津さんが情報提供をしたんじゃないですか?」
剣崎は由紀子の言葉に驚愕し、
「あ、あいつはそんな事だけはしません」
色をなして否定した。由紀子は剣崎の動揺を物ともせず、
「それとも根津さんご自身が記事をお書きになったか」
ともう一つの疑念を口にする。剣崎は何か思い当たったのか、目を見開き、
「まさかとは思いますが、根津の奴、奥様の所に取材に行ったんじゃ・・・・」
と彼が一番恐れている事を由紀子に尋ねた。
「特にいらしてないようですが」
由紀子はぶっきらぼうに答えた。剣崎はその答えに心底安堵し、
「ああ、そうですか。それならば根津は関係ありません」
と確信をもって由紀子の疑念を否定した。蛍はとらえた獲物は逃さない。そのような獰猛さを由紀子にも見せたのかと剣崎は本気で心配したのだ。剣崎は改めて、
「あいつはいやしくもジャーナリストです。取材なくして記事を書いたり情報提供するような奴じゃありませんよ。その点は私も厳しく指導してきました」
私も長谷川もと、剣崎は口が滑りそうになる。しかし由紀子は剣崎の答えを聞いていないようだった。彼女は懸念を口にする。
「根津さんが長谷川が撮ってきた映像を自分の都合の良いように編集するのがとても怖いんです。実際根津さんは長谷川の映像に手を加える事が出来る立場ではないですか」
「奥様、本当にそのようなご心配をする必要は・・・・」
「根津さんはマスコミの世界であまり良く言われていない様ですし」
根津がこんなに嫌われているのは御宅のご主人の真似をしているからだ、ご主人こそ嫌われ者の権化だったと剣崎は心の中で反駁する。
「私は別に世間からどう思われてもいいんですよ。九年間も長谷川を単身赴任をさせてしまったのは事実ですし。ただ子どもには罪はないはずですわ。娘が言っていました。中学校で変な目で見られていると。上級生まであれが長谷川一騎の子どもだと教室をのぞきに来ると」
「ご遺族が遭われていることは紛れもなく報道被害ですよ」
剣崎は暗い顔をする。