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ドブネズミ  作者: 山口 にま
第六章 君のいないJNP通信
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自由を得て

 一騎が出て行った後、看護師をしながら子育てをする由紀子を助けたのは彼女の実家の両親だった。由紀子はしなのを連れて実家を訪れることが多くなる。ある週末の夕方、テレビをつけっぱなしにして由紀子は母親と台所に立つ。父親はしなのの相手だ。

 テレビは地面に火炎が上がる場面を映し出す。

「これなーに?」

しなのが傍らの祖父に聞く。

「戦争。可哀想やなあ」

由紀子の父親は答える。そのうち台所の由紀子の所まで戦闘機のエンジン音や爆弾が炸裂する音まで聞こえてきた。戦隊ものでもしなのに観せているのか、由紀子はチャンネルを変える為にテレビに近づいた。

 テレビでは一時間のニュース番組を放映していた。画面は夕暮れだ。夕暮れの空に火花が散っている。ついで低い音の爆破音。爆発の衝撃で画面が揺れる。アラブ系の人々が血相を変えてカメラの方に逃げて来た。

画面の下に字幕が入る。撮影 長谷川一騎


 由紀子も由紀子の両親も画面から目を離せない。日本語でナレーションが入る。

「あ、今着弾しました!スクールバスに着弾しました」

その声は明らかに一騎の声だ。男児達が頭を下げてバスから飛び出して来た。さっきからひっきりなしに救急車が通る。また新たなミサイルが飛んできて、撮影者もその周りの者も悲鳴を上げた。 

   

 画面は切り替わり病院内部を映し出す。カメラは泣き叫びながら搬入される血だらけの女児や、人工呼吸器のチューブを咥えていて横たわる虫の息の乳児を捉えた。

「あ、パパや」

しなのは声を上げる。マイクを握る一騎が画面に現れた。

「先程パレスチナ自治区・ガサで大規模な空爆が行われました。イスラエル政府は、ここガサの北部がイスラム原理主義組織ハマスの拠点だと主張し空爆を行いましたが、実際はハマスとは無関係な一般市民が被害を受けています。先程の空爆の被害規模はまだ分かっていませんが、百人近くの死者が出たとの情報が入っています。以上パレスチナ自治区・ガサからでした」


 テレビはCMになった。

 「一体どう言うことや?」

由紀子の母親は険しい顔で聞いた。由紀子は首を捻るばかりだ。

「一騎君は東京で働いているんやろ?何でこんな危険な場所で」 

母親は興奮してまくし立てる。父親は言った。

「こんな仕事、辞めさせろ」

母親はその言葉を受け

「ほんまや。別居中とは言え父親の自覚が無さすぎや」

「ベッキョってなーに?」

しなのが疑問を口にする。由紀子の母親は優しい声になり、

「しなのちゃんは心配しなくていいんやで」

しなのは由紀子に聞いた。

「東京で戦争してるん?東京は怖いところやな。しなのちゃん、東京に行くのやめるわ」


由紀子は一騎の姿をテレビで見かけるようになった。一騎が取材に訪れるのは紛争地域や大規模自然災害の現場など変な場所ばかりだった。まるで自分に罰を与えているみたいだ、由紀子は思う。一騎は家のローンの返済を滞納する事はなかった。由紀子も自分の病院勤務のボーナスをローン返済に充てた。


一度一騎がふらりと幼稚園の運動会に姿を現した事があった。その姿を見て由紀子も由紀子の両親も息を呑む。一騎はひどく痩せて顔色が悪かった。「あの人は浮気したから」と一騎を常に悪ざまに言い続けた由紀子の母親も、やつれた一騎を前にしては

「随分お仕事大変みたいやないの」

と姑らしい気遣いを見せた。一騎は表情を変えずに頭を下げる。しなのは久しぶりに会う父親を横目でチラチラ見ながらも無視した。

運動会は午前中で終わる。一騎も含めて一行は近くのレストランで食事を取ることにした。料理が来るまで一騎はしなのを自分の膝に乗せた。しなのは一騎の膝の上で身を硬くするも時折嬉しそうな笑みを見せた。

 由紀子は両親を前にしてどう一騎と向き合って良いのか分からない。由紀子に代わって母親が

「ちゃんと食べているの?どんな生活をしているの?転職先はまともな会社なの?」

と一騎を質問攻めにする。

食事が終わり、由紀子はやっと一騎に聞くことが出来た。

「今日はこっちに泊まるんでしょう?」

しかし一騎は

「今日はもう帰るよ」

由紀子はその返事を聞いて泣きたいような気持ちになる。

「どうして?」

「明日からまた海外に行くんだ。取材で」

「どこに?」

「ウクライナ」

「なんでそんなところに」

「旧ソ連の事で調べている事があって」

そこで父親が口を挟む。

「チェルノブイリかい?」

舅の言葉に一騎は驚きの表情を見せたが、素直に

「そうです」

と認めた。

「そんなところに行かないでよ」

由紀子と母親は同時に叫ぶ。次いで由紀子は

「やりたい事ができる会社で良かったじゃない。自由でええな、父親なのに」

と嫌味を言った。一騎の顔は険しくなる。姑は当然自分の娘に加勢した。

「この子がどんな気持ちで一人で育児を頑張っているか考えたことがあるん?」

母親が二の矢三の矢を放とうとすると、由紀子の父親は煩そうに女たちの言葉を遮り、

「好きにさせてやれ」

と一騎の肩を持つ。由紀子と母親は渋々言葉を飲み込んだ。

一騎が去った後、父親は由紀子を叱った。

「危険な場所に行くのにガミガミ言うな」


一騎はもう神戸に寄り付かなくなった。しなのの誕生日や小学校入学の時はいつもよりも多めに生活費を入れてくれた。由紀子は心のどこかで一騎が帰って来るか、由紀子としなのを東京に呼び寄せるのを待っていた。でも被害者の自分が同居を言い出したら、それは一騎の不貞を全て水に流す事になる。それはおかしい。一騎のことを考えると最初に出て来るのは怒りと悲しみだ。その感情に囚われて由紀子は前に進めない。一騎との関係を棚上げにしたまま時間だけが過ぎて行った。

マンションのローンの返済は終わり、話し合いの末所有権は由紀子に移った。それは離婚の財産分与を意味した。


「お父さんは海外でもいっぱいジャーナリストの賞を取ってな。お父さんとの結婚は駄目になったけれどこれで良かったんや。あんな人を神戸に閉じ込めておいたら勿体無い。世界に羽ばたいていく人や。その証拠にお父さんの東京での住まい、成田空港にすぐに行ける場所やったんやで」

「お母さんも東京に出りゃ良かったやん」

しなのは言う。

「でもそれはな」

そう由紀子は言いかけたが、言い訳を飲み込んで

「そうやな」

と娘の意見に賛同した。

「お母さんな、お父さんが強引に東京に連れ出してくれる事を待っていたんや、本当は」

「男って鈍感やなぁ」

「ほんまにそうや」

二人の女は笑い合う。

「明日学校に行けそう?」

由紀はしなのの顔を覗き込みながら聞いた。

「当たり前や」

そう力強く答える娘を由紀子は頼もしい気持ちで見つめた。

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