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ドブネズミ  作者: 山口 にま
第六章 君のいないJNP通信
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しなのの疑問

由紀子としなのはレストランで向かい合わせに座る。二人は泣いた後でさっぱりとした気持ちだ。由紀子はワインを注文した。

「お母さんはどうしてお父さんと結婚したんや?看護師とジャーナリストじゃ何だか合わんような」

しなのはそう言って首を捻る。由紀子は

「お父さんと知り合ったのはインドのマザーハウスや。マザーテレサは知っとるやろ?貧しい人の為に病院を作った聖人や。お母さんは教会の紹介でそこの病院でボランティアをしてて、お父さんはやっぱり教会の紹介でそこに取材をしに来た。その縁でつきあったんや」

「え、そうなん?てっきりお見合いかと思っとったわ」

「あはは、昔は恋人同士やったんやで」

由紀子は笑う。

「お父さんな、学生のころからジャーナリストを名乗っていてな。そうそう、お父さんはフィリピンのスモーキーマウンテンの取材もしていて、お父さんの記事がきっかけになってスモーキーマウンテンが日本に知られるようになったんや」

「スモーキーマウンテン?」

「貧しい人が住んでいるマニラのゴミ山のことや。その人たちはゴミを売って生活している」

由紀子が説明するとしなのはうえーと気持ち悪そうな声を出す。

「そうや、気持ち悪いやろう?でもそんな生活をしている人たちもいるんやで。お父さんが記事にして発信したからスモーキーマウンテンみたいなことがあってはいけないってみんなが声を上げるようになったんや。そのことを感謝して、スモーキーマウンテンの支援をしていたフィリピンの神父様がおメダイをお父さんにくれたんや。お父さん感激してな、あのおメダイを宝物みたいにいつも身に着けるようになったんや」

「ふうん、でもなんでお母さん達は神戸と東京に離れて暮らしたん?」

「それはお父さんの仕事の都合で」

由紀子はとっさにそう答えるが、既にしなのが「うちは単身赴任やない。別居や」と気付いている事を思い出し、誰にも言うなと口止めしてから、

「女性問題や。お父さんが浮気をしとる、お母さんはそう思った。でも本当に浮気をしていたか今じゃもう分からんなぁ」

由紀子はそう言って窓の外を見た。

「どう言うこと?」

しなのは身を乗り出す。

「お父さんに会社をクビにされた人が、お父さんが外国で浮気をしているってお母さんに電話をかけてきたり、お父さんとその女の人が写っている写真を送ってきたりしたんや」

「最低やなその人」

「お父さんの浮気相手って言われた人はスペイン人の血が入っていてな、それはそれは綺麗な人で、丁度その時その人宛のプレゼントをお父さんが用意しているって知ってしまったんや。プレゼント言うてもカシオの安いデジタル時計やで。それでお母さん頭にかーと血が上ってな」

「お父さんは認めたの?」

「ううん、お父さんが言うには、彼女は恩人のお嬢さんだから大事にしているだけや言うとった。でも相手がすごい美人なんや。だからお母さんはお父さんの言葉を信じなかった」


 由紀子は夫のかつての部下が送り付けて来た写真を見た時の衝撃を今でも思い出す。写真に同封されていた便箋には Merced Cruz Andrada(メルセス クルース アンドラダ)とだけ印刷されていた。どれも日に焼けた若く美しい女が写っている。何かの広告のための白人モデルかと由紀は思った。しかし広告ではない。モデルの隣はわが夫の一騎が写っていた。

フィリピン人と日本人を交えての食事会。女と一騎は当然のように隣り合わせだ。参加者達はスピーチをする者の方向に顔を向けているが、二人の男女は笑顔で話し込んでいる。

一騎と女が顔を寄せてモニターを覗き込んでいる姿。

一騎が運転するバイクの後部座席にまたがる女。女の腕は一騎の腰に回されている。一騎は世にも優しい笑顔で女を見やる。

女が手に怪我でもしたのか、一騎は女の手をまるで宝物のように自分の掌に乗せて心配そうに見ている写真もあった。

由紀子はインターネットでMerced Cruz Andradaを検索してみた。すぐにメルセスのSNSに引き当たった。

メルセスは大学を卒業したばかりの二十三歳だった。大学の専攻はマスメディア論だ。彼女もスモーキーマウンテンの撮影に関わっているらしく、彼女のSNSはさながらドキュメンタリーフィルムの撮影日誌の体だった。彼女のSNSには当然のように一騎が写りこんでいる写真ばかりだ。


 当時一騎と由紀子は三十歳、しなのは三歳だった。一騎はスモーキーマウンテンのドキュメンタリー映画を撮影する名目でフィリピンと日本を行ったり来たりだった。由紀子はフィリピンに向かう一騎の荷物の中に、女物のデジタル時計と、封を切っていない一ダース入りのコンドームの箱を見つけ、夫の不貞を確信した。

「メルセスに渡すつもりやったんやろ、そしてその後あなたはメルセスは・・・」

メルセスを抱くんでしょう、そう由紀子は言いたいが涙が出て来て言葉にならなかった。

メルセス、その名前を聞いて一騎は驚愕した。やがて心配そうな顔で

「何かあったのか」

と尋ねた。由紀子は匿名の手紙が来て、メルセルの名前と顔を知ったと

「差出人のない手紙が来た。そこにメルセルの名前が書いてあって、写真も」

「その手紙と写真を見せて」

しかし由紀子は証拠隠滅を恐れて手紙を一騎に渡さなかった。

「素行の悪い社員を解雇にしたら、嫌がらせをされるようになった。その手紙も嫌がらせだと思う。どうせ飲み会で隣同士で座ったとか、一緒にゴミの山を掘り返している写真だろう?」

由紀子は頷いたが、一騎がメルセルに見せた笑顔を忘れることは出来ない。

「メルセスの事もちゃんと説明するよ。彼女は現地スタッフだ。でもスタッフと言っても、実際はマニラの有力者のお嬢さんで、彼女の口利きで撮影がスムーズに行ったことが多々あった。だから機嫌を取っておきたいと言うか、取り入りたいって気持ちはあった。今回で撮影が終わるんだ。だからボーナス代わりに日本のデジタル時計を上げようと思った。コンドームの事は恥ずかしい話なんだけど、現地で女性問題を起こすスタッフが多くって、じゃあせめて日本製の避妊具を使わせるためにフィリピン行きの荷物に入れた」

一騎は言うが、由紀子には言い訳にしか聞こえなかった。

 翌朝一騎はフィリピンに旅立って行った。時計は書斎の机の上に残し、コンドームはごみ箱に捨てて。


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