メダイの行方
由紀子は剣崎から送られた荷物を解いた。中のビニール袋を開けると、鉄のような精肉店のような匂いがした。由紀子は血まみれの一騎の服を広げ、ところどころ銃弾の穴が開いていることを認めた。この出血量と銃創の数では命はないだろう。彼女は看護師らしい静かな気持ちで一騎の死を受け入れた。そのまま探るような目で靴と靴下の中も見る。
由紀子が探しているのは聖母マリアのコイン型肌守りであるメダイだ。一騎のマンションも、パキスタンから持ち帰ったトランクもくまなく探したがメダイは見つからなかった。あのメダイだけは何としてもしなのに承継させたかった。
由紀子は血のついていないガーゼのハンカチを発見する。四隅が縛られたその中からは金属が触れ合う音がした。由紀は慎重にガーゼの包みを解いた。中から出て来たのは血まみれの腕時計だった。血糊でタグホイヤーのロゴが見えなくなっている。時計と共にガーゼに包まれていたのは銀のチェーンだ。銃撃のせいか千切れている。
由紀子は更にズボンのポケットも探る。彼女の指に硬いものが触れた。それは小さな指輪だった。香山はJNP通信でさえその存在に気付かなかったと装うためにわざとぞんざいに指輪をポケットに突っ込んでおいたのだ。
台座は二十二金特有の濃い黄金色で、桃色の大振りの石がはめられていた。台座と爪の間に一騎の血がこびりついていた。
由紀子は試みに自分の指に入れてみる。案の定由紀子の指には入らなかった。根津蛍に与えるつもりで今際の際まで肌身離さず持っていたということか。由紀子は怒りをもって台所に行き、指輪を不燃ごみのごみ箱に放り込んだ。
まさか、メダイも根津蛍が?由紀子は蛍が女性の割には太いネックレスをしていたことを思い出した。一騎は鎖ごとメダイを根津蛍に与えたというのか。
一度も愛されなかった。その事実だけが由紀子の胸に突き刺さる。どうして一騎はいつも証拠を残してしまうのだろうか。他の女性を愛した証拠を。
由紀子は台所で涙を抑えることが出来なかった。涙が流れるに任せていると、娘のしなのが帰って来た。由紀子は涙を拭い、この涙をどう言い訳しようかと考えた。
「マリア様のおメダイがどうしても見つからへん」
由紀子は説明するように言った。
「お父さんがいつもつけていたおメダイを覚えているやろ?あれはお父さんが大事にしていたから、どうしてもしなのに引き継がせたかったんや」
しなのは興味なさげに、
「ふうん」
とだけ言った。中学生になったばかりのしなのは幼い顔をして、体は少年のように痩せている。
「あのおメダイはお父さんの宝物でな」
「もうええよ、あの人のことは」
しなのは遮った。
「そんな言い方はやめなさい」
由紀子は娘を叱責する。
「だって私、あの人・・・お父さんのことを全然覚えとらん」
娘の当然過ぎる反論に由紀子は言葉が見つからない。
「もうええ!全部嘘じゃ。嘘ばっかり、嘘ばっかり。もう沢山や!」
しなのはそう怒鳴って持っていた学生カバンを床に叩きつけた。
「やめなさい!」
「知ってるんや。お父さんは単身赴任なんかじゃあらへん。うちは別居や。お父さんとお母さんは離婚するつもりやったんや。だけども、お母さんは、お母さんは」
しなのはしゃくりあげて次の言葉が出て来ない。由紀子は声の調子を和らげて、
「お母さんが、なんなん?言いなさい」
しなのは涙をぼたぼた垂らして黙っている。
「怒らないから言いなさい」
しなのは苦しい息の下、目を赤くして、
「お母さんが離婚届けを出さなかったのは、お父さんがパキスタンで死ぬのを待っていたからだって」
由紀子は眉間をかち割られたような気持ちで
「誰が言っているんや、そんなこと」
「みんな」
「みんなって誰や?」
しなのは肩で息をすると、母親を睨みつけながら言った。
「ネットを見たら、そんなことばっかりや!」
しなのは絶叫した後、声を放って泣き出した。泣きながら
「もう学校に行かれへん。上級生まで私の顔を見にくるんやで。あれが長谷川一騎の子どもや言うて」
由紀はがっくりと膝を床に落とした。そして娘を抱きしめて詫びた。
「ごめんなしなの。本当にごめんな」
自分が馬鹿だった。一時の感傷に囚われて離婚届を出さなかったことを今になって死ぬほど悔やんだ。武藤照子が言った「これからいろんなことが起こる」と言う不吉な予言はこう言う事だったのか。