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ドブネズミ  作者: 山口 にま
第六章 君のいないJNP通信
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指輪物語

「おい、根津、香山、一時間ぐらい時間はあるか?」

剣崎が声をかける。

「大丈夫です」

蛍と香山はそう答えて立ち上がり、剣崎と共に会議室に入った。


剣崎は会議室の扉を閉め、言った。

「お前達、最後の共同作業だぞ」

剣崎の言葉の意味が分からず、蛍と香山は顔を見合わせる。

「長谷川との共同作業だ。これを写真に撮れ」

剣崎はビニール袋に包まれた衣服を机の上に置いた。

「これって・・・」

「襲撃された時、長谷川が着ていた物だ。ご遺族に返す前に記録を取っておこうと思ってな」

蛍と香山の間に緊張が走る。血のついた衣服をジャーナリストとして客観的に撮影できるだろうか。

「その前にだ、お前達、長谷川の死に顔を見ておくか?」

「見ます」

蛍は即答する。

「僕も」

「そうか。そうだよな。お前達は葬式さえ行けなかったし、長谷川とお別れしていないもんな」

剣崎はノートパソコンの電源を入れ、写真ホルダーを検索し、一度合掌してから、画面をクリックした。


パソコン画面で大写しされたのは一騎の死に顔だ。口も目も半開きである。蛍は心の中で一騎に話しかける。

怖かった? 痛かった?

死ぬ前に私に助けを求めたのに、気づいてあげられなくって本当にごめんなさい。

誰か私を罰して。私を死刑にして。

 香山は蛍の横で号泣だ。剣崎はハンカチで顔を拭き上げると、

「よし、始めるか。まず椅子と机を脇に寄せろ。そしてビニールシートを床に敷いて」

と指示を出す。三人は布手袋をして、一騎の衣服を広げた。絶命の時に失禁したのか、血の臭いに混じって尿の臭いもした。

蛍は銃弾が貫通した衣服を見ても意外にも冷静だった。何にも悪いことはしていないのに粛清された。その事実だけは許せないと思ったが、粛清の実行者を罰する法律は、部族地域では通じない。

何がどう間違っちゃったのかな?

ねぇなんで?


蛍はズボンのポケットを探る。出てきたのは血塗れの腕時計だ。血塗れながらも時計は何もなかったかのようにパキスタン時間を刻んでいる。部族兵は大義の為に一騎を殺めたがコソ泥ではない。報道に関する物以外は没収しなかった。蛍は時計をビニールシートの上に置いた。

次いでポケットから出てきたのは、切れたシルバーの鎖と、大ぶりの石のついた指輪だ。石は血糊で元の色が分からない。剣崎と香山は一瞬息を呑む。蛍は私情を抑えて、それもビニールシートに置いて写真を撮った。

撮影が終わり、三人は衣服を元どおりに畳む。蛍は布手袋を外して、指輪を持ち上げた。剣崎も香山も蛍の行動を咎めなかった。

蛍は指輪を左の薬指にはめてみた。蛍の為に誂えたようにぴったりだ。蛍は指輪がはまった手で涙をぬぐった。蛍の涙が指輪の血糊を洗い流す。彼女の手に一騎の血がつき、その手で涙を拭うので蛍の頬にも血が付いてしまった。

蛍は初めて一騎の気持ちを見たような気持ちになった。指輪を贈るという約束を死んでも果たしてくれた。どんなに一騎が自分を愛してくれていたか、今やっと確かめられた。剣崎も香山も二人の間の絆を知り、涙を禁じ得なかった。一方の肉体は滅んだが、二人の気持ちは未来永劫結ばれたままだ。



ブラインドの隙間から西陽が入る。やがて剣崎が言った。

「指輪を離しなさい」

思わず香山は剣崎を見る。剣崎は静かに、同じ言葉を繰り返した。蛍は指輪を守るように右手を左手に重ねて首を横に振った。剣崎は更に言う。

「これはご遺族に返すんだ」

「だってこれは私ので・・・」

蛍は言い返す。香山は蛍に加勢する。

「これ、どう見ても根津さんのじゃないですか」

剣崎は宥めるように、

「遺品は遺族の物だよ。根津、お前には何の権利もない。分かるな?」

蛍は泣いたまま返事をしない。剣崎は蛍の左手を取ると、指輪を引き抜いた。裸になった左手を見て蛍は声を出して泣いた。剣崎は涙がこぼれないように一度天井を仰ぎ見てから、

「もうすぐ宅配業者が来る。香山、梱包しておくように」

そう言って指輪を衣服と共にビニール袋に収め、香山に渡した。香山は剣崎に引っ張り出されるようにして会議室を出る。蛍は悲しみで立っていられない。床に座り込み、嗚咽を漏らして泣きじゃくっている。香山は振り返ったが、剣崎は半ば強引に会議室のドアを閉めた。

ドア越しに蛍の泣き声が聞こえて来た。


「こんな物を返されても遺族は困惑するだけじゃないんですか?」

香山は小声で言った。こんな物とは指輪のことだ。剣崎は横目で香山を見ながら言った。

「仕方ないだろう。遺族からは早く遺品を返せと言われているんだから。奥さん、何かを探しているらしいんだ」

「いやーこの指輪を探しているとはとても思えませんが。奥さんは長谷川さんがいつもしていたペンダントを探しているんじゃないですかね」

「ノットマイビジネスだ。遺品は遺族に返す。それ以外我々に何が出来る?おまけに貴金属だ。動産だぞ。遺族に渡さにゃ俺たちが横領の罪に問われる。あー長谷川の奴、色々置き土産を残してあの世に行きやがって!いいか、結婚不適合者が無理に結婚するとこう言う結果になるんだ。よく覚えておけ!」

「こうやって男の浮気はばれるんですね」

香山は先ほどの号泣は何処へやら、いやに冷静に言った。

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