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ドブネズミ  作者: 山口 にま
第五章 根津さん、聞こえますか?
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由紀子敗北

 車は右折した。剣崎は言う。

「私はこれから警察に出頭しなくてはいけません。一騎さんのご遺体は明日解剖に回されて、数日後には返ってきます。いつまでも遺体を警察に預けておくことができないので遺体の搬送先を決めておく必要があるのです。本当に神戸の教会で大丈夫なんですね?」

「はい、教会は受け入れるとおっしゃっています」

「教会なり、教会に出入りしている葬儀会社が解剖した場所まで遺体を回収しに行くんですよ。そこまで出来ますか?」

剣崎は旅の疲れもあり、苛立った声で聞いた。

「はい、多分・・・・・」

消え入りそうな声で由紀子は返事をする。剣崎は遺族にいら立ちをぶつけた事を後悔し、優しい声で

「私から教会に電話をして打ち合わせしますよ。それで色々決めましょう」

 車は大阪府警前に停まった。驚くべき事に警察にも数社マスコミが来ていた。

なんでムスリムなのに教会で弔ったんだ、妻が夫の改宗を知らなかったのは何か理由があるのか、そもそも十年近くも単身赴任とは不自然ではないか。由紀子はカメラの前でマイクを突きつけられる事を想像する。すると冷たい汗が吹き出て来た。

「奥様はこのままご帰宅下さい。社の者にご自宅まで送らせますので。おい、俺は自分の荷物を持って行くからな。トランクを開けてくれ」

剣崎は運転席の社員に言った。そして由紀子の方を向き、

「じゃあ奥様、長旅本当にお疲れ様でした。今度お会いする時は一騎さんのお葬式になるでしょうね。どうぞお気落としなきように」

剣崎はそう言い残して車のドアに手をかけた。由紀子は前を向いたまま、

「お葬式の事、剣崎さんにお任せします」

「えっ?」

剣崎は振り返り、思わず聞き返した。由紀子は相変わらず前を向いたまま、

「お葬式はイスラム式でいいです。土葬にして下さい」

事実上由紀子の敗北である。

運転席の社員は由紀子の方を見ず、聞こえない振りをした。

「分かりました。ムスリム専門の葬儀社に連絡しておきます」

剣崎は内心胸を撫で下ろす。それでも感情が表に出てこないように淡々と説明する。

「今後の流れなんですが、警察から指定された日時にご遺体を迎えに行って、大阪のモスクに行き、モスクで遺体を囲んで礼拝して、その後和歌山県で埋葬です」

「家族葬にしたいんです」

由紀子ははっきりと自分の意思を表明した。

「マスコミの方も、出来れば会社の方も来ないで下さい」

JNP通信の社員は思わず振り返りそうになったが、姿勢を正したままハンドルに手をかけルームミラーで由紀子と剣崎のやり取りを盗み見た。

剣崎は何かを言い返そうとするが、言葉を飲み込み

「そうですね。そうしましょう」

と由紀子に同調した。剣崎の言葉に安堵して由紀子は泣き出してしまう。

「由紀子さんにも色んなお気持ちがおありでしょうし」

剣崎は初めて由紀子を名前で呼んだ。

「葬儀社はオリエントメモリアルと言う所にお願いするつもりです。家族葬にしたいご意向、必ず伝えます。奥様も直接葬儀社に電話して葬儀の希望を伝えてもいいんですよ。電話番号は後でメールしますね。葬儀をする予定のモスクの電話もお知らせします。そこに電話して、故人と家族の宗教が違う旨を相談してみて下さい。きっと良い方法が見つかりますよ。ご遺体が返ってくるまで時間がありますので、そんなに焦る必要はないんですよ。マスコミ各社には葬儀への取材は遠慮して貰うよう通達しますからどうぞ安心下さい」

由紀子は溢れる涙を拭きながら、剣崎の言葉に頷いた。

「奥様を苦しめて申し訳ございません。ただ私もマスコミの人間なので、マスコミがどう言う手を打つか分かってしまうのですよ。事態を収拾させるにはシナリオ通りに動くしかないのです。すみません、警察を待たせていますので私はこれで行きます。一騎さんの弔いはまだスタート地点にすら立っていません。これからも協力し合って良いお見送りをしましょう」

剣崎は車を降り、車外から最敬礼をしてドアを閉めた。手伝おうとする部下を手で制し、自分でトランクから荷物を取り出し、名残惜しそうに由紀子を振り返って、出頭して行った。


運転席の社員は何も言わずに静かに車を発進させた。由紀子の涙はいつまでも止まらなかった。社員は一言も喋らなかった。


やがて車は由紀の自宅マンションに着いた。社員はトランクから由紀と一騎のスーツケースを出し、マンションのエレベーターまで運んだ。エレベーターの扉が閉じる刹那、彼は腰を直角に曲げ、深く頭を垂れた。

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