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ドブネズミ  作者: 山口 にま
第五章 根津さん、聞こえますか?
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照子の予言

 午後八時に一行はイスラマバードに着いた。ワゴン車が停まったのは病院の裏手だ。アリの母親の武藤照子が通用口から白衣の男と共に出て来た。

「お疲れ様でございました」

照子は丁寧に由紀子と剣崎に頭を下げて労った。

棺はストレッチャーに乗せられ病院内の霊安室に運ばれた。照子の口利きで一晩病院で一騎の棺を預かって貰える事になったのだ。

「かなりドクターに付け届けをなさったんじゃないですか?」

剣崎が聞くと、照子は「まあ多少は」と言葉を濁した。

「そのような経費も会社が持ちますから必ず請求して下さい」

「ではそうさせて頂きます。」

思えば棺を乗せるワゴン車を手配したのも照子である。由紀子は異国に根付いた目の前のこの女性に深い感謝の念を抱いた。


 翌朝、剣崎はホテルのレストランで朝食を食べながら由紀子に言う。

「私は午前中日本大使館でご遺体の運搬について打ち合わせします。帰りの便は午後十一時です。六時にはホテルをチャックアウトしましょうか?ご遺体を病院に引き取りに行って、そのまま空港に行きましょう。その頃になったらお声をかけます。夜までお一人になりますけれど大丈夫ですか」

「大丈夫です」

「お昼はホテルのレストランで召し上がって下さい。では出発までごゆっくり。長い旅になりますので」

「あの、長谷川の荷物の中を確認したいのですがいいでしょうか?」

「勿論です。お部屋までお持ちしましょう」

朝食後、剣崎は一騎のトランクを由紀子の部屋に運び入れる。

「会社の貸与品は抜きました。それから取材メモとか領収書の類も検証の為に会社に一度持ち帰らせて貰いたいのですが。勿論後でお返しします」

剣崎は済まなそうに言った。

「私が欲しいのは娘の形見になるような装飾品とかちょっとした文房具なんですよ」

「ああそうですか。そのような物ならば没収を免れたと思います」

剣崎はそう言い残して由紀子の部屋のドアを閉めた。

由紀子は早速スーツケースを開けた。鍵はかかっていない。服と下着、洗面用具、暇つぶし用の文庫本が数冊、その程度だ。由紀子が探している物は見つからなかった。

「卒業式終わったよ」

由紀子の母親からのメールが届いた。添付された写真には礼服姿のしなのが写っている。一騎との別離を迷っているうちに離婚届を出しそびれた。結局しなのはずっと長谷川しなのもままだ。そして私も長谷川由紀子のままか。


夕方由紀子と剣崎はホテルをチェックアウトした。ホテルの前にはセダンが待っている。運転席はアリだ。

「ムハンマドはワゴン車で先に病院に向かっています」

照子のその言葉を聞いて由紀子は俄かに緊張する。一騎を本当に日本に連れ帰れるのだろうか。一行は重苦しい雰囲気の中で病院に向かった。

 由紀子たちは病院で一騎の遺体を引き取り、ムハンマドが運転するワゴン車に棺を入れた。ワゴン車とセダンに分乗し、イスラマバード国際空港に向かう。剣崎は緊張の為拳を固く握り締めている。

 ライトアップされた空港が見えて来た。空港職員の導きで二台の車は貨物搬入口に入った。剣崎とアリはセダンから降り、一騎のパスポートや日本大使館から発行された書類、病院が作成した防腐処理証明書を提示した。その間職員が一騎の棺をワゴン車から出して運搬用パレットに搭載した。コンテナ牽引車にパレットが接続され倉庫へと運ばれて行った。これだけの手続きで本当に棺は日本に届くのか。由紀子は不安でたまらない。

照子は由紀子と剣崎の不安な気持ちを察し、

「後はインシャアッラー(アラーがお望みであれば)。神様にお任せしましょう」

そう言って天を指差し二人を励ました。照子に励まされると由紀子は安心する。照子の采配で一騎の遺体を引き取り、飛行機にまで載せることが出来た。照子がやってくれたのだ、きっと上手くいくと信じることが出来るのだった。

出国ロビーは搭乗券を持っている者しか入れない。武藤親子とは扉前でお別れだ。照子は初対面と同じように由紀子を抱きしめた。体を離すと照子は強く由紀子の手を握り締めて、

「これから色々な事が起きますからね。強い気持ちを持つのです。お嬢さんを守れるのはお母さんだけですよ」

と命じるように言った。由紀子は悲壮な気持ちで照子の予言を聞いた。


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