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ドブネズミ  作者: 山口 にま
第五章 根津さん、聞こえますか?
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夢であれば

翌朝蛍は眠り足りないような気持ちで目を覚ました。それでも夢の中とは言え一騎と触れ合えご機嫌だ。さて今日の天気は、と蛍はタブレットを開くとビデオ通話の留守番電話に気がついた。一騎さんからかしらと蛍は早速ビデオ通話の録画を開いた。

 画面は酷く暗かった。一騎は囁くような声で、

「根津さん聞こえますか?三月二十一日、深夜零時。アフガン国境手前ラーンディーコタールです。状況は非常に良くありません。先ほど部族地域内の軍事施設の画像がネットで世界中に公表されました。部族地域に潜伏した者が密かに撮影したようです。今夜部族会議が開かれ、地域内のジャーナリストは全員スパイとして粛清すると決定されたそうです。もうすぐ私も拘束されるかも知れません。しかし私は信じています。言葉を尽くせば互いに分かり合える事を。こちらには何ら悪意がなく 、諜報活動の嫌疑をかけられるいわれはないと分かってもらうしかありません」

階下でガラスの割れる音が聞こえる。一騎は画面の前で強く目を閉じ、

「もう駄目かも知れない」

と絶望の表情を見せて呟いた。

部屋のドアが蹴破られた。二人の兵士が入って来る。兵士達は既にライフルを構えてそれを一騎に向けていた。一騎は立ち上がって画面に背中を向けた。

「ノーノーノー!」

両手を挙げて一騎は叫ぶ。

「私はただのジャーナリストだ。私の荷物もカメラもフィルムも全てチェックしてくれ。あなた達のスペシャルシークレットは何も撮っていないぞ」

そう一騎は英語で己の潔白を主張する。それでも兵士達は銃を下さなかった。

「ドントショット!ノーノーノー!ナヒーン!ナヒーン!(やめてくれ)」

一騎の命乞いは既に絶叫だ。 立て続けに銃声が響いて、画面が揺れる。次の瞬間には画面から全てが消えた。


何これ?変な夢。もう一度寝直そう。蛍はタブレットを閉じて、再びベッドに戻ろうとした。

しかし蛍は分かっている。これは夢ではない事を。蛍の全身が震え出す。蛍は意を決してもう一度タブレットを手に取った。

「根津さん聞こえますか?」

一騎はアフガン国境の手前から蛍を呼んでいた。

何度見ても結末は同じだ。銃声で幕を閉じる。

蛍は大急ぎで身なりを整えると、化粧もせずにタブレットをバッグに突っ込み一騎のマンションを飛び出した。


蛍は会社に着いて事の次第を剣崎に報告した。その後もずっと泣き喚いて取り乱している。

「根津さん落ち着きましょうよ。きっと何か裏がありますよ。誘拐犯が身代金を釣り上げる為の演出ですよ」

そう慰める香山の声も震えている。

「速報を出しますか?」

社員の一人が剣崎に聞いた。剣崎は

「まだ駄目だ。犯行声明が出されているわけじゃなし、外務省と大使館の連絡を待ってからだ」

蛍は何度も一騎に連絡を試みる。ビデオ通話も携帯電話も、メールも。しかし返答はなかった。蛍は武藤照子の事を思い出す。

「武藤さんに連絡してみます」

蛍は一騎から受け取った武藤照子の名刺を剣崎に振りかざすように見せた。

「武藤さん?誰だ?」

剣崎は急き込んで聞いた。

「長谷川さんのパキスタンでの取材をコーディネートした人です。彼女だったら部族地域にアクセスできるかも」

蛍は早速武藤照子にメールを打つ。

「私は弊社長谷川一騎の部下の根津蛍と申します。以前ご子息のアリさんとお会いした事が御座います。今朝になって長谷川と連絡がつかなくなりました。昨夜部族地域内で外国人ジャーナリストへの粛清があったとの情報を得ましたがそれは本当でしょうか。長谷川の身を非常に案じております」

メールを送信したが返事は来なかった。蛍が武藤に国際電話をかけようとすると、

「おい根津、お前いい加減取材に行け」

と剣崎は命じた。

「今日は事務所で待機しています」

蛍がそう答えると

「時差を考えろ。パキスタンは今午前五時だぞ。こんな朝っぱらから連絡なんか来るか。そのうち犯人との折衝が始まったら仕事どころじゃなくなる。今のうちにできる仕事は片付けておけ」

「そうですよ根津さん。仕事しながら犯人からの接触を待ちましょうよ」

香山も蛍に外出を促した。蛍は言われるがままふらふらと立ち上がり香山に続いた。


昼の休憩時間、二人は会社のライトバンの中で過ごした。蛍は水さえ飲む気になれない。香山は普段吸わないはずの煙草を立て続けに吸っている。蛍の携帯電話に武藤照子からの返信が届いた。蛍は携帯電話に齧り付くようにその返信を読んだ。

「根津様 メールを拝見し非常に驚き、心配しております。私も長谷川さんに連絡していますが、やはり電話は繋がりません。私からパキスタン警察や日本大使館に通報しておきました。何か分かり次第すぐにご連絡します 武藤照子」


夕方二人が会社に帰ってもパキスタン政府や現地日本大使館からはなんの連絡もない。部族地域での事件はパキスタン政府は介入できないのが建前だ。パキスタン警察も捜査できない。蛍と香山は深夜までパキスタンからの連絡を待った。

「根津はもう帰れ。俺と香山が会社で待機する」

「いえ、私も会社に残ります」

「徹夜するならば明日の夜にしろ。交代で会社に待機するんだ。今日は早く寝て明日に備えろ。いいな」

剣崎はそう言って蛍を会社から追い出した。


帰宅した後も蛍は当然眠ることができない。今夜はパソコンを立ち上げ、タブレットのスピーカーも入れたままだ。本当に愚かだった。蛍は激しく自分を責めた。最愛の人が法律の通じない部族地域にいると言うのに、緊張感を持たずに連絡手段を自分から絶ってしまい、おまけに呑気に遊山気分でパキスタンに一騎を訪ねることで頭がいっぱいで、一騎に迫り来る危機を考える事もなかった。これで一騎が死んだらもう自分は生きていけない、蛍は一騎の匂いが消えかけた部屋で彼の消息が届くのを待った。

米津玄師『レモン』を思い浮かべながらこのシーンを書きました。夢であればいいのに。それは蛍の願いでした。

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