部族地域の記録
蛍は週末を利用してウェブ上で保管された一騎の映像をCDに落とし込み、腰を据えてじっくりと観た。普段は精査せずに機械的に媒体に記録させるだけだが、一騎と仲直りしたこともあり、恋人の仕事を見てみたくなったのだ。
一騎のナレーター。
「これから私達はペシャワールを離れて部族地域へと入っていきます」
走行中の車の中から撮影されたらしく、エンジン音が入る。
家々は全て高い塀に囲まれ、塀に開けられた穴からは雨樋のような物が前にせり出すように刺さっている。
「この穴は何だか分かりますか?銃眼です。外敵には自ら銃を取って闘わねばなりません。部族地域はパキスタン国内法が通じません」
場面が切り替わる。
字幕「部族地域内の駅周辺。カイバル峠に通じる線路」
二十人余りの男達が線路沿いに横になっている。どの顔も深く皺が刻まれ老人のようだ。
一騎のナレーター。
「みんなアヘンで酩酊していますね。近くにアヘン窟があり、常習者達は線路まで出て来て横になっています」
外国人の一騎に気づいて手を振ってくる男も。その頭髪は既に白い。
一騎「実際に常習者を目の当たりにすると、薬物密輸に反対せざるを得ません」
字幕「かつてこの線路は定期的にカイバル峠までに列車が出ていたが、今は不定期に観光客相手の列車が通るだけ。格好のアヘン吸引場になっている」
場面が切り替わって、薄暗い商店の中。煙管のような器具が並ぶ。一騎は同行するパキスタン人ガイドに英語で聞いた。
「オピウム(アヘン)を売っているの?」
「アチャー(そうだ)」
とガイド。一騎は店主にアヘンを見せてくれと頼んだ。店主は
「オピウムはない。ヘロインならあるぞ」
店主はビニール袋で密閉された白い粉を見せる。
字幕「ヘロインはアヘンから抽出した精製物である。高品質のヘロインはヨーロッパに流れるが、一部はアフガニスタン周辺国で売買される」
「いくら?」
と一騎。店主は
「一グラム二十ドルだ」
一騎は大げさな驚きの声を上げ、
「二十ドルだって?相場は六ドルだって聞いたぞ」
店主は顔色を変えずに
「それは五年前の値段。今はタリバンが値段を釣り上げているんだから」
と尤もらしく値上げの理由を並べる。一騎が購入意欲を示さないと見ると、
「まとめ買いをするならば値引きするぞ」
と値段交渉に応じる姿勢を見せた。一騎が返事をしないと、
「チョコは?」
とカウンターに茶色い板状の物体を出す。勿論本物のチョコレートのはずはない。
「ハシシ?」
一騎は尋ねると、店主は頷いた。大麻の樹脂だ。冷やかしだけで一騎とガイドは薬物ショップを後にする。
字幕「アヘンの栽培には他の農作物と違って多量の水を必要としない。灌漑の整っていないアフガニスタンではアヘン栽培こそが貧困を抜け出すための手段だった。アフガニスタンでは世界中で流通するアヘンの八十パーセントが生産されている」
突然金属と金属が激しくぶつかり合うような音が聞こえる。一騎は飛び上がり、それに伴いカメラも揺れる。ガイドは驚いた様子もなく
「ああ、近くにガンショップがあるからな」
と言う。
「見に行くか?」
とガイド。アチャー(うん) と一騎は気乗りしない声で答える。
ガンショップはバザールのそこここにあった。手近な店に一騎とガイドは入った。
「カメラを回してもいいか?」
一騎が聞くと、丸いムスリム帽を被った中年の店主は
「why not?(駄目なものか)」
と承諾の意を伝えた。
字幕「ここ密輸市場での写真撮影は禁じられていない。小型家庭用ビデオで撮影した」
小さな店内には銃器が所狭しと並んでいる。
「ガンズヘブン」
一騎が呟いた。
字幕「カラニシコフのコピー、ロケットランチャー(重火器)、リボルバーピストル、オートマチックピストル、マシンガン、ショットガン、ライフル。今すぐ戦争が出来そうである。銃の多くはここから十キロ先のダラと言う街で製造している」
「これなんか便利だぞ。軽くてレディでも扱える」
店主は一騎に対してオートマチックピストルを構える。
「あはは、ナヒーン、ナヒーン(やめてくれよ)」
一騎は笑いながらパキスタンの言語、ウルドゥー語で拒絶の言葉を口にする。彼はかつて南アフリカでピストルを持った強盗に身ぐるみ剥がされた経験があり、銃器に対してトラウマがある。
「一つ試し撃ちしてみるか?屋上に射撃場があるんだ」
店主は盛んに一騎に勧める。一騎の答えは相変わらずナヒーンだ。
字幕「パキスタンは意外にも銃社会で、部族地域だけでなくラホールなどの市街地でも家庭に一台ピストルが常備されている。誤射を恐れて我々はピストルの試し撃ちをしなかったが、他の客の試し撃ちの撮影は許可された」
場所はどうやらガンショップの屋上らしい。口髭を生やした三十代ぐらいの男が空に向かって機関銃をぶっ放している。
一騎はガンショップを出て、再びバザールを冷やかしに回る。カメラは路傍に座る老婆を映し出した。老婆は茶色いショールを頭から被っていた。
「アッサラーム。マダム、何を売っているのですか?いくらですか?」
一騎は英語で老婆に話しかけた。老婆は一騎には理解できない言葉で返事をして、商品と思われる布地を差し出した。ガイドが一騎と老婆が余りに意思疎通が出来ない事を見兼ね、
「アフガンレフジー(難民)」
と言葉を添えた。予期せぬ難民との遭遇だ。一騎は難民に取材をできる機会を得て、ガイドを通訳に英語でインタビューを試みる。
「いつからここにいるのですか?お一人で逃げてきたのですか?」
老婆はショールで顔を覆い、首を横に振る。
「ストップザカメラ」
ガイドは鋭く言った。
字幕「彼女から撮影を拒否された。我々はカメラを止めた。嫌がる女性を撮影することはムスリム国ではご法度である」
ここで一騎の映像は終わった。