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ドブネズミ  作者: 山口 にま
第四章 スクープを求めてパキスタン辺境州
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一騎の言い訳

 翌日、蛍は一騎の部屋から通勤した。

午後十時、パソコンからビデオ通話の呼び出し音が鳴る。一騎は国境での取材を終えて、ラーンディーコータルという部族地域内の街に戻って来ているだろう。レポートしたい事は山ほどある筈だ。一騎のマンションに無断で上がり込んでいる事とビデオ通話を受けるという業務命令を無視すること、この二つを比較したら後者の方が一騎から叱責を受けるだろう。蛍は太いフレームの眼鏡をかけて応答する。すぐに録画ボタンをクリックした。満面の作り笑顔をたたえた一騎がよく通る声で、

「今晩は。今日は三月十三日、私はパキスタンのラーンディーコータルに戻って・・・・」

ここで一騎は息を呑み言葉を失う。

「おい蛍、君は一体どこにいるんだよ!」

蛍は俯いて答えた。

「長谷川さんのマンションです」

「とにかく録画を止めろ」

一騎は焦った口調で命じる。蛍が録画を解除すると一騎は画面に顔を近づけて、

「君、変な顔をしていないか?目の充血が尋常じゃないぞ」

「ええ、まあちょっと」

蛍は眼鏡のフレームに手をやった。

「目の周りも青タンになってるし。口も曲がっている。まさか」

蛍は黙って一騎の予想を聞く。

「まさかまた整形手術を受けたのか?」

「受けていません」

蛍は否定する。一騎は更に聞く。

「じゃあ殴り合いの喧嘩か?」

「私からは殴っていません。すみません、無断でマンションに上がり込んで」

「鍵を預けてあるんだから用があるならば俺の家に来ても良いけれど、おい、一体何があったんだよ」

蛍は何から話せば良いのか言葉が見つからない。

「殴られたのか?」

と一騎。

「はい」

「誰に?」

「分からない。宅急便だと言うから玄関を開けたら、若い男が押し入って来て、顔を二発殴られて、首を絞められて」

一騎は目を見開き、

「そ、それでどうしたんだ⁉︎」

もうここまで言ったら最後まで言うしかない。蛍は

「服を脱がされた」

「え、それって・・・・、だ、大丈夫か?」

蛍の報告に一騎は明らかに狼狽し始めた。

「その後直ぐに本物の宅配業者が来て、難を逃れたと言うかいやらしい事はされなかった」

「そうか」

露骨に安堵する一騎。蛍は、やっぱり強姦されたら私達の関係は終わっていたんだ、一騎さんも普通の男だったんだと少しがっかりする。どう言う形であれ他の男を受け入れた女を愛し続ける度量の大きい男などいやしない。

「警察には届けたのか」

「本物の宅配業者が通報してくれた。家に救急車もパトカーも来て大騒ぎになっちゃった。それに知れない男が家に押しかけて来たって言うのが何だか怖くって、それでもう家にいられない。だから一騎さんのマンションに来させてもらったの」

一騎は短く切りそろえた髪の毛をかきむしり、

「こんなことになるんだったら最初から蛍を俺の部屋に住まわせておけば良かった」

「そう言えば一騎さん、夜道には気をつけろと言っていたよね」

蛍が言葉を発する度、腫れた唇が歪む。

「いやまさか、自宅に襲撃をかける変質者がいるとは」

蛍は自分の背後で一騎から送られた花籠が甘い匂いを放っている事を思い出す。

「お花のお礼を言い忘れていた。どうもありがとう。警察の取り調べとか被害届の提出とかでお礼のメールをする時間がなかったの」

蛍は体を右に寄せて花籠が画面に映るようにする。

「こんな事しか出来なくってごめん。帰国したらちゃんとお祝いをするから」

「一騎さんが花屋さんを手配してくれたから助かったよ」

「犯人に心当たりはあるか?」

「分からない。心当たりがありすぎて、逆に犯人を絞れない。李朱亜の背後にいる組織のような気がするけれど証拠がない」

「金本は?」

「うーん、あの人は世間知らずのおぼっちゃまって感じだから襲撃しかけるような行動力があるかしら。ただ、金本の記事を発表したら、ちょっとした騒ぎになっちゃって」

「騒ぎって?」

「ネットに三峰さんへの中傷の書き込みがあったり、私を名指しで非難する記事が出たり」

ここまで聞いて一騎はため息まじりに言う。

「君、どうしてそんな大切なことを俺に言わないの?」

「それはあなたが仕事の話しかしないから」

蛍から反論されて一騎は一瞬黙った。その後、

「だって、俺は今こうしてパキスタンで・・・・」

と言い訳を並べた。しかしそれもはたとやめて、決まり悪そうに

「悪かったと思っている。ごめん」

と謝った。


蛍は気持ちが収まらずむっつりと黙っている。一騎は気まずそうに言葉を発した。

「あの、こんな時に何だけど、俺、もう買っちゃって」

「何を?」

「あの、指輪を・・・・・」

一騎はそう言って、鼻に頭をこするのだ。

「これなんだけどさ」

一騎は首にかかった細い銀の鎖を引き出した。そこには金色の指輪がぶら下がっていた。

「どうかな?」

一騎は画面の方に指輪を差し出す。

「そのピンクの石はなあに?随分大きい石だけど」

「ピンクトパーズ。ここまで大きい石はパキスタンでしか採れないらしくって、希少価値があるって勧められた。こう言うのだったら蛍に似合うかなと思って買っちゃった」

指輪なんかで私の機嫌を取ろうとして、と蛍は一騎を憎たらしく思うも、指輪が嬉しくって仕方がない。気恥ずかしさもあり身をよじって相好を崩してしまう。

「だから蛍のことを考えていなかったわけじゃないんだ」

一騎は許しを乞うように、蛍の顔を覗き込んだ。

「でもなんで首からぶら下げているの?」

「これか?盗難防止さ」

一騎の言葉に蛍は思わず吹き出す。

「近くに泥棒バザールと言う盗難品から密輸品まで扱っている市場がある。この指輪が盗まれたら、翌日にはバザールに出品されちまうよ」

「物騒だね」

「法律が通じないからな」

「絶対に日本に持って帰って来てよ」

「ああ、分かっている。蛍も気をつけて」

「ビデオ通話を録画する?何かレポートしたい事があったんじゃないの?」

「いや、今日はいい。そんな気持ちになれないよ」

「でも国境から帰って来たばかりだし、伝えたい事があるのならば録画するよ」

「伝えたい事?君に早く会いたいと言う事だけだ」

「もう、何言ってんのよー」

蛍はつい甘い声を出す。

「だからこんな事は録画できないだろう?」

そう言って一騎は恥ずかしげに笑うのだ。蛍がビデオ通話を通じて一騎の本当の笑顔を見たのはこれが初めてだった。


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