気持ちばかりの贈り物
翌日蛍は取材を終えると早めに帰宅した。その日は蛍の誕生日だった。誕生日ぐらい自分の好きに時間を使いたい。アフガニスタン国境手前まで出かけた一騎は今日はビデオ通話をして来ない。いつものように大量の画像を送りつけてくることもないのだ。
一人の静かな誕生日。それはそれで寂しいが。
一騎さんから愛されていない、蛍はそう思った。それどころか利用されている。彼が女を欲しくなると抱かれて、特別な関係になったことを振りかざし通常業務以外も押し付けてくる。私はこうして一人で誕生日を迎え、彼はずっと私を放っておきっぱなし。これで本当に愛し合っていると言えるのだろうか。
蛍が一人暮らしのマンションで安いシャンパンと出来合いのローストビーフで三十四になった自分を祝福していると、一騎から英文のメールが届いた。
「アッサラーム。あなたの誕生日を共に祝えない事をとても残念に思います。
気持ちばかりの物を送ります。日本時間の午後八時から九時の間に届くと思いますので受け取って下さい。IKKI」
蛍は嬉しい気持ちで何度もメールを読み返す。まさか一騎が自分の誕生日を覚えているとは思いもしなかった。やっぱり私は一騎さんの恋人なんだろうか。しかし気持ちばかりの物って何だろう。指輪かな。いやいやそんな高価なものは普通郵送してこないだろう。すごい楽しみ。蛍はシャツの襟口から聖母マリアのメダイを引き出して胸の前で握り締め、一騎からのプレゼントが届くのを待った。
八時前に玄関のチャイムが鳴った。蛍の安普請のこのマンションにはインターフォンがない。玄関の扉の向こうから、
「宅急便です」
と言う来意を告げる声がした。蛍は返事をして認印を手に玄関を開けた。
玄関に立っていたのは見慣れぬ制服を着た宅配業者だった。紺色の帽子をかぶり、表情は見えない。個人の業者かしら、と蛍は思う。男が差し出したのはとても誕生日プレゼントとは思えぬ使い古された汚らしいダンボール箱だった。蛍は業者に箱を持たせたまま、
「あの、ハンコはどこに押しましょうか?」
と聞いた。男は答えず玄関の中に一歩足を踏み入れた。玄関の扉が閉まる。蛍の背中にざっと鳥肌が立った。その瞬間蛍は玄関を開けてしまった事を後悔した。
「玄関から出て下さいよ」
蛍は命令口調で男に告げた。彼女は男の横から手を伸ばしドアノブを回そうとしたが、男は蛍の肩を押して彼女を突き飛ばした。男はひさしの下から日本人形のような奥行きのない眼差しで蛍を見据える。蛍は倒れそうになるのを堪え、傘立てにあった傘を男めかげて振り回した。男は蛍からの攻撃かわしつつ拳を蛍の方へ突き立てた。一発、二発。男の拳は蛍の目と口に当たった。口が痺れて何も喋れなくなる。目の痛みが激しく蛍は目を強く閉じうずくまった。男は蛍の首に手をかけて一度強く締めた。蛍は窒息しそうになる。蛍が解体される寸前の鶏のように動かなくなったのを見て、男は蛍の服を脱がしにかかった。
蛍は動けないながらも自分が何をされようとしているのか分かる。こんな事をされたら私の将来に傷が付く、一騎さんと別れなければならなくなる、と思いながら。
再び玄関のチャイムが鳴った。その時蛍と男は玄関の鍵がかかっていない事に気がついた。男は一瞬狼狽の色を見せた。その隙を突き、蛍は身を起こす。
「うわー」
蛍は叫びながらドアノブに手を伸ばした。蛍がドアを開ける寸前に男の手が蛍の手首を掴んだ。男はもう一方の手で鍵を閉めようとする。その瞬間ドアが外側から開いた。
「大丈夫ですか?」
玄関の外に立っていたのは宅配業者だった。本物の宅配業者は透明なケースに入って花籠を抱えていた。蛍と男はもつれ合いながら宅配業者の足元に転がり出た。男の帽子が床に落ちる。男は自分の帽子を拾い上げてかぶりなおし、脱兎のごとく駆け出して行った。宅配業者は男を追おうとするもマンションの通路で口から血を吹きながら倒れている蛍を打ち捨てる事も出来ず、花籠も置かずに右往左往しているだけだった。