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ドブネズミ  作者: 山口 にま
第四章 スクープを求めてパキスタン辺境州
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夢にまでみた部族地域

一騎が連日のようにパキスタンの画像や映像をウェブ上に保管し、蛍がそれを日本でCDに落とし込む作業が続いている。更に多香絵の記事の事で問い合わせが入り、蛍の仕事は深夜に及ぶことが多くなる。

 午後十時に蛍のパソコンに一騎からのビデオ通話が入る。残業中の蛍は会社の机で応答した。すぐに録画ボタンをクリックする。

「根津さん、今晩は。パキスタンのペシャワールよりお届けします。アッサラマレークン」

満面の笑みでムスリム式の挨拶をする一騎。日に焼けて眼窩が落ちくぼんでいる。出国前から伸ばし始めた髭がより一層濃くなった。今日も彼は民族衣装のシャワルカミーズだ。

「アッサラーム」

蛍ははきはきした声で一騎に調子を合わせて挨拶を返す。同じフロアの十数人の社員達が何事かと蛍を振り返る。一騎は蛍の背後を見て気づいたのか

「今日はまだ会社ですか?」

「色々立て込んでおりまして」

蛍は声のトーンを変えずに嫌味で返す。一騎は蛍の返事など全く気にする風もなく、

「遂に部族地域への入域が許可されました」

と上機嫌で報告する。そして画面いっぱいに北西辺境州政府が発行したと思われる書類を映し出すのだ。

「おめでとうございます」

入域許可があれば合法的に取材が出来る。蛍は慇懃に祝福する。

「政府の気が変わらない内に、明朝から部族地域に入ります」

「随分急ですね」

蛍は驚きの声を上げる。

「明日行けるところまで行くつもりです。出来ればここから六〇キロのアフガン国境付近まで。そこで数日間取材をします。国境付近はネット環境が良くないと思われますのでビデオ通話はいたしません。短文のメールぐらいは出来るかも知れません。しばらく連絡が途絶えても心配しないで下さい。国境での取材を終えたら、部族地域の市街地であるラーンディーコータルという街で取材を続けようと思います。ラーンディーコータルからならばビデオ通話ができるようです」

「分かりました。良いご報告をお待ちしております」

蛍の後ろから香山が画面を覗き込んだ。

「あ、香山君、元気ですか?」

一騎は香山に向かって手を振る。普段では絶対に出さないような優しい声だ。

「長谷川さん、パキスタン取材お疲れ様です。意外とお元気そうで」

香山は画面にかじりついて一騎を労う。

「いやー暑さで食が進みませんよ。僕は夢にまで見たパキスタンの部族地域に明日から行きます。日本のメディアがほとんど入った事がない国境付近で取材します」

「頑張って下さい。全社をあげて応援しています」

香山も録画を意識して上司思いの部下を演じる。

「ありがとう!君たちも頑張ってスクープを取ってきてくれ。ではさよなら。ご機嫌よう」

一騎の笑顔でスカイプは終わった。


通信が途切れた事を確認すると蛍は大きく息を吐く。香川は心配顔で、

「根津さん大丈夫ですか?顔色が悪いですよ」

「大丈夫じゃない。長谷川さんにこき使われている」

「パキスタンで撮影した映像の管理ですか?」

「そう」

「大変っすね。それに引き換え長谷川さんの元気の良さ。スキップせんばかりじゃなかったですか。ご機嫌ようなんてどこの華族かと思いましたよ。出発前は俺はもうダメだ、今回は大口の生命保険に入った、後は頼んだと弱気だったくせに」

「香山君も言われたの?私も散々聞かされたわ。お嬢さんを保険金の受取人にしたとか。あーもう勝手にしろ」

ここで蛍は例によって一騎からのメールが届いていることに気がつく。蛍はパソコンの画面を顎でしゃくって、

「スカイプの後に必ず不幸のメールが届く。現地で撮った映像をすぐにCDに取り込んでおけっていう長谷川さんからの命令よ。時差を考えろって。向こうは夕方、こっちはもうすぐ終電。長谷川さんは俺は部族地域に行く、命の保証はないって気取っているけれど、こっちは過労で生命の危機に直面しているわ、全く」

蛍は香山相手に溜まりに溜まっていた不満をぶちまける。

「根津さん、可哀想・・・・」

香山は同情を込めた眼差しを蛍に向ける。

「ちっ、あのハゲ」

蛍は呪詛の言葉を吐いた。

「それを言っちゃおしまいですって。本人だって髪のことは気にしているんだから」

と香山は必死で宥めた。


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