被災地取材
午後八時、蛍と長谷川、そして後輩の香山誠の三人は社用車のミニバンで東北の被災地に向かった。日中蛍は睡眠をとったのでちょうど良い具合に夜は目が覚めている。蛍の運転で一路東北を目指す。香山は助手席をリクライニングさせて寝息を立てている。後部座席の長谷川は窮屈そうに足を折り曲げて横になった。
途中で運転を代わりながら彼等が原発がある村に辿り着いたのは翌日の午前中だった。
「随分とのどかな・・・・」
それが香川誠の印象だった。大地震の爪痕は地面の亀裂や家屋の倒壊で見て取れたが、緊急停止している原発のお膝元とは到底思えなかった。交通規制している警官はおらず、誰でも原発に近づく事は出来る。商店街には「原子力の力で明るい未来」と書かれた標識が見えた。
「ま、何もないならば何もないに越したこたぁねぇけどよ」
長谷川が白けた声で言いながら、車の窓を開け放射能測定器のスイッチを入れた。次の瞬間
「おい、お前ら防御服を着ろ!防御マスクもだ!三人分トランクに入っている!あとヨウ素剤も飲んでおけよ」
と怒鳴った。
「どうなってんだよ、全く・・・・」
測定器は十九・九九マイクロシーベルトを指している。
三人はすぐさまヨウ素剤を飲み、防御服を着込み、更にフルフェイスの防塵マスクを着けた。ヨウ素剤は甲状腺への放射性被ばくを低減する効果があると言われている。長谷川はビデオカメラを取り出し、助手席の蛍に撮影させた。実況は運転席の長谷川だ。
「本日地震から二日目の朝です。ここ〇〇村には緊急停止中の原発があります。原発から十キロの距離です。ご覧下さい。手元の放射能測定器は十九・九九マイクロシーベルトで針が振り切れています。これ以上の放射能量の測定は不可能です。なおこの辺りの通常の放射線量は〇・〇ニマイクロシーベルトと言われています。ゆうに一千倍近いの線量です。仮に今の十九・九九マイクロシーベルトが一年間続くとしたら年間被曝量は発がんリスクが高まる百シーベルトをはるかに凌ぎます。今現在十キロ圏内は屋内退避指示が出されています。さっきから何台も自動車が通り過ぎ、原発の方に向かっていますね。ちょっと話を聞いてみましょう」
長谷川は運転席から車外に出、蛍もカメラとともに車を出る。長谷川は車道中央に近づいた。蛍はカメラを担いだまま追いかけた。長谷川が手を挙げると東北ナンバーの軽トラックは速度を落とした。
「JNP通信の者です。ちょっとお話を伺って良いでしょうか?」
長谷川の防御マスク越しの呼びかけに老齢の男は車の窓を開けた。
「今原発が緊急停止している事はご存知ですか?」
長谷川の問いに、男は知っていると答えた。
「さっきから原発に向かって車を走らせている方が多いので気になってお声をかけたのですが」
「別に原発に向かっているわけじゃねぇ。こっちに家があるだけ。地震後に家が倒壊するかもと言われて避難所に行ったんだけんど、寒いし不便だし家に戻りたくなっちゃってな」
老人はそう言って、長谷川と蛍の防御服を訝しげに見やった。
「政府や電力会社からは何の発表もないと思いますが、今の放射線量は十九・九九以上です。大変危険ですので屋内退避とは言わず出来るだけ原発から離れて下さい」
「何なのあんた達?警察?」
「いえ、報道です」
長谷川は老人に放射線量測定器を見せた。
「ふうん。でも一度家に戻んないと仕方ないっぺ。わしら老人はあんまり気にしないでも良いんじゃねぇの」
「そうは言っても危険は危険です」
「あー分かった。あんがと。あんたらも気をつけて。わしらは良いけれど、農作物はもう駄目だっぺな」
老人はそう言うと軽トラックの窓を閉めて原発の方向へ去って行った。
「これで子ども連れが来たら良い絵になるんだけどな」
カメラが回っていない時に長谷川が蛍に囁く。
「あ、言っているそばから!」
蛍は近づいてくる一台の車を指差した。家族四人を乗せたボックスカーだ。
「行くぞ根津さん」
二人はシャカシャカと防御服のきぬ擦れの音をさせて車に近づく。長谷川は日本人としては長身で、防御服がつんつるてんだ。蛍はビデオカメラを作動させた。車は止まり、運転席の父親が窓を全開にした。
「危険ですからそんなに窓を開けないでください。こちらはJNP通信です。今空中の放射線量は通常時の一千倍になっています」
長谷川の呼びかけに前方座席の夫婦は顔を見合わせた。後部座席には小学生と思われる兄弟が座っている。長谷川は夫婦に十九・九九を指したままの測定器を見せた。
「特にお子さんには危険です。DNA が損傷されます。原発には近づかないで下さい」
夫婦は用心深い顔で頷き合った。運転席の夫が路肩で車をUターンさせてもと来た道へと戻って行った。
参考文献 日本ビジュアル・ジャーナリスト協会編『3・11メルトダウン』